ハロウィンのらくがき

(2021/10/10)


「おうラインハルザ! トリックオアトリー……よっと!」
 ふざけた仮装に身を包んだカインが勢いこんで駆けてきたかと思うと、ずいっと目の前に包装紙を剥いた菓子が差し出され、オレは思わず面喰らってしまった。仮装もだし、それに口元に寄せられたこの菓子もだ。急になんだ、と焦点を合わせれば、カインが手にしているのはどうやらビスケット生地の上に流して固めたチョコレートを、バー状に切り分けたものらしかった。断面に見えているのは中に入れたフルーツか。もう片方の手にぶら下げたカボチャ型のバスケットの中にも同じように菓子が詰まっているが、しかしどれもこちらに向けているものの四分の一の大きさもない。配る用には小さく分けている。
 しげしげと観察している間にも、カインの期待に満ちた眼差しがぐさぐさ刺さって落ち着かない。どうやら食べろということらしい。
 ……まあ、コイツが持ってきたんならそう悪いもんでもないんだろう。
 ん、と無造作に口を開けてかぶりつき、パキッと噛み砕けば口の中に甘い味と食感が広がる。お、うまい。
 オレの表情の変化を読んだのか、カインも嬉しそうにチョコバーの包装紙を更に剥く。食べさせられるがままに咀嚼する。オレの口にチョコレートを端まで押し込んで、用は済んだとばかりに逃げようとする親指の表面をぺろりと舌で舐めとると、カインが笑顔のままピシッと背を凍らせた。微かに耳が赤くなる。動揺するくらいならやるなよ。
 幸い周囲の他の団員たちも、オレと同じく艇内の喧騒に一息つこうと甲板に出てきてのんびりしている人間ばかりだ。こちらに注目しているやつはいない。
 グランサイファーは、今日も平和そのものの速度でゆっくりと空を航行している。

 なんと言っても、今日は団をあげてのハロウィンイベントだ。少し前から団長直々に「当日は絶対仮装してね!」とのお達しが出され、用意ができない者は団総出で手伝うから申し出ろという徹底っぷりだ。普段とは違う装いの団員を見て楽しみたいがための団長権限の濫用だろうが、しかし団には子どもも多いものだから、大人勢から年少組にお菓子を配るこのイベントは、なんだかんだ年齢の離れた者が触れ合えるいい交流の機会になっている。
 ちなみに当日普段着で過ごしているのを見つかると、無慈悲に捕獲され団長の選んだ仮装を有無を言わさず着せられるらしいので、相当な無精者でない限りは皆思い思いの仮装を準備していた。
 カインもそうだったはずだ。
 オレは改めて目の前の男に向き直る。恐らくカインの手作りだったのだろう菓子の感想を「美味かった」と告げ、そのカインの頭のてっぺんから爪先までもう一度視線を走らせ錯覚ではないことを確認してから本題を切り出す。
「……で。何のつもりだその格好は」
「ああ、これか? 魔女っ子だってさ!」
 笑ってカインがその場でくるりと回ると、夜の色をした膝上丈のフレアスカートの裾が太腿もあらわにふわりと舞った。その頭にはつばが広くファンシーな布飾りのついた三角帽子。抑える手元にはキャンディスリーブがあしらわれ、コルセットベストの合間からはブラウスのフリルが覗いて愛らしさを主張している。
 胸元で揺れるリボンタイ、ストライプのソックス。ついでに手にはカボチャ型のバスケット。
 靴だけが男物の革靴であることを差し引いても、端から端まで少女趣味だ。
 思わず頭を抱えたくなる。
 絶ッ対にコイツの趣味ではねえし第一カインが準備してたやつじゃねえだろう誰だこんな服着せやがったやつは団長か? いやでも無理に着せられたにしては嫌がってる様子はねえ、というかノリノリで着こなしていやがる、じゃあテメェで用意したってことか。事前に準備してた仮装を派手に破いちまったとかで、だ。だが調達はどこから……。少し考えて、たどり着いた答えを問いの形で口にする。
「……ゼタから剥ぎ取ったか?」
「いやゼタさんのはもっとすごいだろ、露出が……こう、バーンって……あれは流石に着れないって。俺のはどっちかというとアンナちゃんのが近くないか?」
 ほら、ちゃんと見えないようになってるし、とたくし上げられたスカートの中にはきっちりパニエが詰められていて、更に布をかき分けた先にはドロワーズを履いている。なるほどゼタは確かにこういう、脚を見せてんのに中の露出は隠すようなどっちつかずなのは好きじゃあねえだろうな——っていや何を見せられてるんだオレは。
 何故だか深い溜め息を吐きたくなった。
「……誰のだ」
「レオ姉の!」
「……あ? なんで」
「どっちのことだよ? なんでこんなキュート系衣装をレオ姉がってこと? それともなんでそれを俺が、って?」
「………………どっちもだが強いて言うなら後者だ」
 ああ、それならとカインが我が意を得たりと頷く。
「むしろ、剥ぎ取られたのは俺の方なんだよ」

 曰く、カインとレオナなら体格が似ているから、お互いの衣装を交換しても入りそうだな、という話が着替えのときにその場で持ち上がり、菓子を配り回る前に試しに衣装を交換することになったらしい。何やってんだ、というツッコミは辛うじて飲み込む。
 事件は、カインが用意していた執事服を先にレオナが着たときに起こった。
『あっらァン? かわいいコがいるじゃな〜い!?』
『め……メーテラさん酔ってます? 私いいオトコじゃないですよ? レオナですよ?』
『そォんなのどっちでもいいわよォ! ほらァ、アッチでおねーさんといいことし・ま・しょ♡』
『ま……待って……メーテラさんったら! とめてくださいスーテラさん!』
『え、ええと、そうなってしまった姉様はもうスーテラにも止めることが叶わず……すっ、すみません……!』

「……で、衣装ごと連れていかれちまったと?」
「そ。だからさ、残った方を俺が着るしかないだろ? ちなみにこの仮装はカリオストロさんに用意してもらったんじゃないかなー、布地がさっき会ったクラリスのと一緒ぽかったし、レオ姉の趣味でもないもんな。ま、俺も似合うかわかんないなって思ったんだけどさ、着てみたら意外と入るし、団長たちも『かわいいよ』なんて言ってくれるからつい調子乗っちゃってさ」
 カインが照れた様子もなくへらへらと笑う。
 で、朝からその格好で艇中を歩き回ってたってわけか。
 誰か止めるやつはいなかったのか、と歯噛みするが、ストッパーになる存在は一人しか思い浮かばない。
 ……オレか。
 だがあいにくオレは今朝鍛錬から帰ってすぐドラフ連中に捕まって、衣装を着るのになんだかんだ世話を焼かれていたのだった。何年か前のユーステスは好評だったな、とバザラガが呟いていた、定番の仮装だ。「ああ、お前のはヴァンパイアだよなー。いつもと違ってシャツの前閉めてんの新鮮だし、なんでも似合うのズリィよ」そう褒められると悪い気はしない。だが素直にお前のも悪くねえなと返せるかと言うと話は別だ。
「どうだ? 俺のも似合うか?」
 そう無邪気に訊かれて、オレから言えることといえば一言。
「脚寒くねえのか……」
「そりゃもちろん……寒い!」
 くしゅ、とカインがくしゃみする。ブラウスは薄手だし、膝から太腿を露出するデザインなのでいくらそこから見えているのが細いなりに引き締まった筋肉だとはいえ秋の冷気が容赦なく冷やしてくるだろう。気候なんかは近くの島の様子に大きく左右されるとはいえ、騎空艇の甲板は常時風に晒されるので基本的には肌寒い。露出高い組はすげーよ、とカインが体を抱きながらしみじみと呟く。
「せめてなんか履けねえのか、タイツとか」
「おっ、ラインハルザはタイツの方が好みか? レオ姉は結構脚線美見せる服が多いからなー」
 つまりタイツの準備はないらしい。
 自分のマントかジャケットを腰に巻かせようか、それなら多少は風よけになるかもしれない、と脱いではみるものの、スカートの立体的な形状を留めるために針金でも入っているんだろう、巻けばその上に暖簾のようにかかってしまって使い物にならない。
「……ああ」
 他にやれるものはないかと思案していると、ポケットから着衣に貼り付けて暖を取るタイプのカイロが出てきた。先程イシュミールからもらったものだが今の自分には必要ない。これでも貼っておけ、と二枚差し出せば、カインから大袈裟に感謝を述べられる。
「サンキュー! うわ腹あったか! すげーいいなこれ!」
 と言って人目も気にせずガバリとスカートの下から手を入れて腹のあたりに貼り付けるものだから目を覆う。着てるものに合わせて少しくらい慎みってものを持ったらどうなんだ。
「なーなーラインハルザ、尻側にも貼ってくれねえ? ほら」
「だからお前はちょっとは慎みってのを持ちやがれ……!」
 今度はぺらりと後ろ側が捲られたスカートの中に、叩きつけるようにカイロを貼り付けた。カインが痛って!と悲鳴をあげるが自業自得だ。寒いなら早く艇内に戻りやがれ。
「わーかったって、じゃ先に艇内に戻ってるよ……今ベアトリクスがお菓子焼いてるらしいし!」
「……ベアトリクスが?」
 聞き捨てならない初耳情報だった。ベアトリクスの菓子は絶品だ(菓子だけは、だ——料理には多少問題がある。オレは嫌いじゃないが)。何度か相伴に預かっているが、迂闊そうな言動に反して不思議と繊細さを要する菓子作りの腕がいい。甘いものを作らせればこの団内でも一、二を争うだろう。洋菓子屋を開けるかもしれない。この前のチーズケーキなど程よく口の中でとろける食感が堪らなく、年甲斐もなくトリック・オア・トリートをしに行く算段が組み上がる。
 だからカインの言葉への反応が遅れた。
「あ、そうだ。カイロはもらったけどさ、いたずらしてもいいか?」
「……あ? なん」
 だ、と最後の音はカインの唇に塞がれて出なかった。
 柔らかい感触と、触れ合わせた部分からじわりと伝わる熱。
 パチリと驚きに瞬いた瞬間にはもう添えられた手はパッと離されていて、そこで初めてカインがオレの首に腕を回していたことに気づく。
「ッオイ……!」
「なんだよ、お前もさっきやったろ? じゃな、お前も早くこいよ!」
 ニヤリと笑い、何事もなかったかのように無邪気にスキップで去っていく魔女娘姿に、今日何度目かの深い溜め息が抑え切れない。
 別に似合ってないわけじゃない。むしろ体型から考えれば恐ろしく着こなしている方だ。
 いつもと違う格好に動揺してしまっているのは、突き詰めれば惚れた弱みなわけで。
 俺は動揺を抑え込むように、額を押さえてその場にしゃがみ込む。
「魔女っ子だと? 小悪魔の間違いじゃねえのか……」
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