甘えたがり甘やかしたがり
(2021/08/04)
「よお。ウチの大将は元気か」
そう言ってラインハルザがレオナと一緒に古戦場の地に降り立ったのは、今回の討伐メンバーがグランサイファーを離れてから実に六日目の深夜のことだった。とはいえ毎日誰かしらが激励だの差し入れだのを届けにきているらしいから、向こうにしてみればさほど世間から隔絶されている実感はないだろう。夜の薄暗闇が焦げ付いたような匂いの中、築かれた魔物の死体の山を超え、無数の騎空団で賑わう野営エリアに乱立したキャンプの一つを訪れる。
二人を出迎えたのは、バタリと地面に倒れ伏したカインの背中だった。
「お。力尽きてやがるな」
「カッ……カイン!? だ、大丈夫!?」
レオナが慌てて駆け寄ると、カインはピクリと反応し、よろよろと上体を起こそうとして——バタッとその場に再度力尽きた。
消え入りそうな声だけが漏れ聞こえる。
「ああ、その声はレオ姉……ラインハルザ……」
「カイン、しっかりして!」
抱き起こされ、レオナの腕の中で目を薄く開いたカインは、力を使い果たし息も絶え絶えといった様子だった。「お、俺……もうだめかも」その言葉を最後に、ふっと意識を手放したように目を閉じる。「カイン、どこか怪我してるなら言って、お願いっ……、カイン……? カインーッ!!!」茶番じゃねぇか。心配よりもまず苦言の方が先にラインハルザの口を突いて出てくる。
「お前……オレにカッコ悪いとこ見せられねえ、とか言ってなかったか?」
あの威勢の良さはどこへやったんだよ、とラインハルザはこれ見よがしに溜め息を吐いて、カインの傍にしゃがみ込んだ。精根尽き果ててレオナの膝に頭を預けたカインからの返事はない。口元に指を当て、とりあえず息はしていることを確認する。それから袖やら襟やら捲ってみるが、あるのは細かい外傷程度だ、深い傷や打撲の気配はない。体が動かせないのは本当らしいが、体力切れってとこだろう。
土で汚れた頰を拭ってやる。
「……それにしたってボロボロだな。お前、仮にも軍人がそれでいいのか?」
「まあ、そう言ってやるなって」
背後から声がかかる。ふよふよと宙を飛びながら寄ってきたのは、小さな赤いトカゲ——ではなくビィだ。
持参した差し入れ品の中から林檎を渡せば、顔を綻ばせてそれを齧りながら口を開く。
「カインのやつ、いっつも一番に仕掛ける役だからよお。その分動き回って、しんどいと思うぜ。武器も一番手数が多いやつだしな」
「まあ、それはそうか? ……あっちは元気なようだが?」
そう言ってラインハルザが指差した先には、元気にシャフレワルを素振りする我らが団長とその側で飛び跳ねているルリアの姿がある。
「いやぁアレは……単にハイになっちまってるだけだな! 疲労度で言や、カインと同じくらいだぜ!」
「……止めなくていいのか?」
「そのうちぶっ倒れんだろ。もう今日は魔物いねえしな、ちょうどいいぜ!」
「…………そうかよ」
よくわからないが、ラインハルザは頷くしかなかった。隣でレオナも「ちょうどいい、のかな……?」と困惑を深めているが、まあ、この竜が言うならそうなんだろう。ラインハルザは肩を竦めて、深く考えないことにした。あの団長なら、多少様子がおかしくても大丈夫だろう。普段から無茶しかしてないのだろうし。
「あっちは?」
そうして指差した逆側には、この荒れ果てた地にあって何故か麦わら帽に水着姿のヒューマンの女が、身長の三倍ほどはある巨体の少女とのんびりと寛ぎながら優雅に談笑している。そこだけ時空が歪んでアウギュステの海辺にでもなっているようだった。女の背に背負われている巨大なライフル銃さえなければ。
「シルヴァは……鍛え方が違うんじゃねえか? ユグドラシルはまあ、星晶獣だし比べてやるのが可哀想だろ」
「……で、これは?」
最後に指差したのは、いつの間にかカインの横で転がっていた修道服姿の女だ。
う゛にゃあ、と呻きだか何だかよくわからない声が聞こえる。
「おしゃけ……くらはい……もー限界……」
「お、お酒? あるけど……飲ませてあげてもいいのかな……?」
レオナが躊躇いながら、手荷物にあった瓶ビールを、膝に乗せたカインの頭を落とさないよう器用に開けて女の口元へ運んだ。途端、「おしゃけのにおい!!!」と叫んだ女がガバリと上体を起こして覚醒する。今まで地を這っていた姿はどこへやら、全身から気力が溢れ出ている。流石に嘘だろう、と思いながらラインハルザは試しにカインの口元にもビールを持っていって嗅がせてみるが、当然変化は見られない。
「はっ! そのビールくれるの……!? ありがと〜っ、キミは命の恩人にゃ〜っ!」
「わっ、ちょっと……待ってください!」
「あっちで一緒に飲もうよぉ〜!」
そうこうしている間に、餌付けに成功したレオナが強引に引きずられていってしまった。途中、カインの頭が地面に落とされそうになって慌てて手のひらで受け止める。あの女が一番元気なんじゃねぇか? ここにくる途中に山と積まれていた、魔物の山を思い出す。あれを伸した後で、どこにあんな力が残ってんだ。
結局、カインが一番消耗しているようだったが、規格の外れた奴らと比べても益体もないし、ビィの言っていたように一番動き回っていたというのもあるのだろう。
まあ、それはコイツらしいと言えばコイツらしい。
「じゃ、オイラはそろそろアイツらに明日に備えて寝るよう言ってくるからよ、カインのことは任せたぜ!」
そう言い残して、林檎を食べ終わったビィがくるくると螺旋を描きながら去っていった。夜も深まり、野営地の周りで煌々と焚かれていた明かりも、ぽつりぽつりと消えては闇を湛えた空が広がっていく。周囲で繰り広げられていた酒臭いどんちゃん騒ぎも、段々と人の寝息を含むようになっていく。
人も魔物も眠る時間だ。
「……任せたぜと言われてもな。レオナみたいに膝枕でもしてやればいいのか?」
動くに動けず、聞く人間もいないのについ冗談を飛ばしてしまって、独り口の端を持ち上げた。別にこの状況ならやっても不自然ではねぇか? ……それより、寝袋のあるところに運んでやる方が真っ当か。けど一度起こして、軽く汚れを拭ってやった方がいいだろう。
と、不意にんん、と眠っていたカインの眉間に皺が寄った。お、とその顔を眺めていると、青い瞳が薄く開き、ぼんやりと焼けた空を見上げ——そしてラインハルザを視認した。
「おわっ、ラインハルザ……」
「起きたか。情けない声出しやがって……ほら」
寝ぼけた様子のカインの背を支えて、その場に座らせてやる。その顔からして、まだ疲労が完全に抜けてはいないようだった。腕をだらんと垂らしているのは、刀の振るいすぎで腕が動かないんだろう。按摩くらいならしてやらないでもないが、と考えていると、カインがぼんやりとした表情で、チラリと何か言いたげにこちらを見る。
それといつの間にか、向こうでラムレッダが酒を数本飲み干して宴会になってる女性陣の方を。
「なんだ」
「いやあ……よかったら俺も充電させてほしいなー、なぁんて……」
「…………」
冗談を装った下に隠した甘えるような響きに、思わず片眉を跳ね上げた。そのうえ「あ、駄目か? いや、駄目ならいいんだけどさ」と姑息に身を引こうとするやり方も腹立たしい。仕方なく両手を広げてやると、「やりぃ!」嬉しそうによろよろと寄ってきて、そのままばふりと腕の中に倒れ込んでくる。
「あー……ラインハルザだー……」
「またワケのわからんことを……」
言いながら力を入れすぎないよう背をさすってやると、ざりざりと布地の中で砂利の擦れる感触がした。一瞬手を止めるが、カインは気にしないのか腕の中で体を弛緩させ、「んあー……」と気の抜けた声を漏らしている。汗と砂っぽさの混じった匂い。胸板に頰を擦り付けられて、高い体温の心地よさでこっちまで緩んだ気分にさせられそうだ。
ラインハルザは溜め息を吐いた。
オレも甘い——と思う。
だが口実を無駄にすることもない。
それに、弱っているこの麒麟児の姿を目にしていることに、ひどく満たされている自分もいる。いつも口にしている「カッコ悪いところを見せられない」、という言葉のとおり、この男は張り巡らせた思考の奥底を隠し布で覆いがちだ。
それがなりふり構わずこうして自分に甘えてきているという事実に、ラインハルザは自分でもどうかと思うほど高揚を覚えずにはいられなかった。少し早く打つ鼓動と、じわりと熱さを増す皮膚の下。さて、どうしたもんかと明後日の方を見る。うっかりこのまま持って帰らねぇうちに、このひっつき虫を引き剥がす必要がある。
すると突然、カインがガバリと顔をあげた。頰の緩みがバレたかと顔を引き締めるが違ったらしい。こちらには目もくれずに後ろを振り返る。はずみで胸元に柔らかな黒髪が擦れる。
「団長ぉー! やっぱラインハルザも一緒に連れて行かせてくれ! もう離したくねぇ……!」
「おい」
そこまでは甘やかさねぇぞと釘を刺すより早く、遠くの団長から、うーん、シルヴァに代われるか聞いてみてー!と投げ返される。ちらと酒宴になってる方を見やれば、麦わら帽子の下の平静な視線と目が合った。構わないが、と言いたげに首を傾げられるが、いや、オレは代われないだろう。このパーティでラインハルザがシルヴァの代わりを務めるのは難しいはずだった。「私が代わろうか、カイン?」いつの間にか戻ってきていたレオナが、腰にしがみついたラムレッダに水を飲ませながら提案する。まあ、確かにレオナなら連携が取れる。
だがそれだとカインが外れるわけで。
「……いや、多分それには及ばないだろ。甘やかしすぎだ」
「でも、このままじゃ……」
「いいや。……カイン?」
「何……」
顔を上げた将軍殿の、顎を摘んで上向かせる。覗き込むと弱々しく向けられる瞳に、妙に昂る気持ちを刺激される。
「……フィジカルも鍛えるいい機会だ。もうちょっと頑張れるな?」
「うう……お前までそういうこと言う……」
カインは傷ついたようなふりをして、よろりと立ち上がった。しかしもう充電は十分らしい。試すように肩を軽く回し、腰に差した刀に触れ、全身に纏った疲労を振り払うとニカッと快活な笑みを浮かべた。
声の調子はいつものそれだ。
「……ま、やるっきゃないよな! お前にカッコ悪いとこ、見せねえって言ったし」
「そうだな。今日のことはノーカンにしといてやる」
「う。た、頼むぜ……」
自分でもやらかした自覚はあったらしい、渋い顔をして心臓の上を押さえる仕草を見せる。乗ったラインハルザも同罪ではあるが、それは言わないでおいた。どうせこの策士はわかった上で「お互い様だろ」と言わないでいるのだ。ラインハルザは、『カインに言われて甘やかしただけ』だ。
フン、と鼻を鳴らす。
「……カイン、私たちはそろそろグランサイファーに戻るけど、交代したくなったらいつでも連絡してね。キミは一人で頑張りがちだから……」
「大丈夫だってレオ姉、だいぶ回復してきたしさ! この調子であと一日……」
「カイン」
「ん?」
ちょいちょい、とラインハルザは手招きをした。寄せられた無防備なカインの耳に、低く囁く。
「帰ってきたら、今日よりもっと甘やかしてやる」
「!? ……っ!?」
息を呑んだカインが咄嗟に耳を押さえ距離を取ったのは恐らく反射だ。
パチパチと驚いて細かく瞬きする瞳が開かれすぎてまんまるだ。今度は足から力が抜けたようにしゃがみ込む。頰と耳と首筋が、じわじわと赤くなっていく。
してやったり、と笑うと恨みがましい目を向けられた。
「お、お前さあ……なんでそういうこと今言うの……」
「そりゃあ、あと一日頑張ってもらわなきゃならねぇからな」
「ッ……、あーっもう!」
しれっとした表情のラインハルザに対し、何か言おうとして、口をはくはくと開閉し、諦めて閉じた後——カインはくるりと背を向けて、別れの言葉もそこそこに走り去っていった。
「団長! 明日は今日の倍倒そうぜ! 絶対戦貨いっぱい持って帰ってやるからな……!」
さてオレたちは挺に——と去り際、じと、とレオナの何か言いたげな空気が刺さった。
隣を見下ろすと、憮然とした視線とぶつかる。
「……ラインハルザ。私には、甘やかすなって言わなかった?」
「そうだったか? 悪かったな」
「というか、よく考えたら衆人環視でカインをギュッとしてた人の言葉じゃないよね……」
言い返す言葉もなかった。悪びれもせず肩を竦めて「じゃあ二人で甘やかすか」と問えば盛大な溜め息が返ってくる。
「別に、私はいいよ。それにラムレッダさんたちとも約束しちゃったし……」
カインを甘やかすのはあなたに任せる、とレオナに告げられて、ラインハルザは「任せたと言われてもな」と笑いながら、どう甘やかしてやろうか、と数日後の楽しみに思いを馳せた。
「よお。ウチの大将は元気か」
そう言ってラインハルザがレオナと一緒に古戦場の地に降り立ったのは、今回の討伐メンバーがグランサイファーを離れてから実に六日目の深夜のことだった。とはいえ毎日誰かしらが激励だの差し入れだのを届けにきているらしいから、向こうにしてみればさほど世間から隔絶されている実感はないだろう。夜の薄暗闇が焦げ付いたような匂いの中、築かれた魔物の死体の山を超え、無数の騎空団で賑わう野営エリアに乱立したキャンプの一つを訪れる。
二人を出迎えたのは、バタリと地面に倒れ伏したカインの背中だった。
「お。力尽きてやがるな」
「カッ……カイン!? だ、大丈夫!?」
レオナが慌てて駆け寄ると、カインはピクリと反応し、よろよろと上体を起こそうとして——バタッとその場に再度力尽きた。
消え入りそうな声だけが漏れ聞こえる。
「ああ、その声はレオ姉……ラインハルザ……」
「カイン、しっかりして!」
抱き起こされ、レオナの腕の中で目を薄く開いたカインは、力を使い果たし息も絶え絶えといった様子だった。「お、俺……もうだめかも」その言葉を最後に、ふっと意識を手放したように目を閉じる。「カイン、どこか怪我してるなら言って、お願いっ……、カイン……? カインーッ!!!」茶番じゃねぇか。心配よりもまず苦言の方が先にラインハルザの口を突いて出てくる。
「お前……オレにカッコ悪いとこ見せられねえ、とか言ってなかったか?」
あの威勢の良さはどこへやったんだよ、とラインハルザはこれ見よがしに溜め息を吐いて、カインの傍にしゃがみ込んだ。精根尽き果ててレオナの膝に頭を預けたカインからの返事はない。口元に指を当て、とりあえず息はしていることを確認する。それから袖やら襟やら捲ってみるが、あるのは細かい外傷程度だ、深い傷や打撲の気配はない。体が動かせないのは本当らしいが、体力切れってとこだろう。
土で汚れた頰を拭ってやる。
「……それにしたってボロボロだな。お前、仮にも軍人がそれでいいのか?」
「まあ、そう言ってやるなって」
背後から声がかかる。ふよふよと宙を飛びながら寄ってきたのは、小さな赤いトカゲ——ではなくビィだ。
持参した差し入れ品の中から林檎を渡せば、顔を綻ばせてそれを齧りながら口を開く。
「カインのやつ、いっつも一番に仕掛ける役だからよお。その分動き回って、しんどいと思うぜ。武器も一番手数が多いやつだしな」
「まあ、それはそうか? ……あっちは元気なようだが?」
そう言ってラインハルザが指差した先には、元気にシャフレワルを素振りする我らが団長とその側で飛び跳ねているルリアの姿がある。
「いやぁアレは……単にハイになっちまってるだけだな! 疲労度で言や、カインと同じくらいだぜ!」
「……止めなくていいのか?」
「そのうちぶっ倒れんだろ。もう今日は魔物いねえしな、ちょうどいいぜ!」
「…………そうかよ」
よくわからないが、ラインハルザは頷くしかなかった。隣でレオナも「ちょうどいい、のかな……?」と困惑を深めているが、まあ、この竜が言うならそうなんだろう。ラインハルザは肩を竦めて、深く考えないことにした。あの団長なら、多少様子がおかしくても大丈夫だろう。普段から無茶しかしてないのだろうし。
「あっちは?」
そうして指差した逆側には、この荒れ果てた地にあって何故か麦わら帽に水着姿のヒューマンの女が、身長の三倍ほどはある巨体の少女とのんびりと寛ぎながら優雅に談笑している。そこだけ時空が歪んでアウギュステの海辺にでもなっているようだった。女の背に背負われている巨大なライフル銃さえなければ。
「シルヴァは……鍛え方が違うんじゃねえか? ユグドラシルはまあ、星晶獣だし比べてやるのが可哀想だろ」
「……で、これは?」
最後に指差したのは、いつの間にかカインの横で転がっていた修道服姿の女だ。
う゛にゃあ、と呻きだか何だかよくわからない声が聞こえる。
「おしゃけ……くらはい……もー限界……」
「お、お酒? あるけど……飲ませてあげてもいいのかな……?」
レオナが躊躇いながら、手荷物にあった瓶ビールを、膝に乗せたカインの頭を落とさないよう器用に開けて女の口元へ運んだ。途端、「おしゃけのにおい!!!」と叫んだ女がガバリと上体を起こして覚醒する。今まで地を這っていた姿はどこへやら、全身から気力が溢れ出ている。流石に嘘だろう、と思いながらラインハルザは試しにカインの口元にもビールを持っていって嗅がせてみるが、当然変化は見られない。
「はっ! そのビールくれるの……!? ありがと〜っ、キミは命の恩人にゃ〜っ!」
「わっ、ちょっと……待ってください!」
「あっちで一緒に飲もうよぉ〜!」
そうこうしている間に、餌付けに成功したレオナが強引に引きずられていってしまった。途中、カインの頭が地面に落とされそうになって慌てて手のひらで受け止める。あの女が一番元気なんじゃねぇか? ここにくる途中に山と積まれていた、魔物の山を思い出す。あれを伸した後で、どこにあんな力が残ってんだ。
結局、カインが一番消耗しているようだったが、規格の外れた奴らと比べても益体もないし、ビィの言っていたように一番動き回っていたというのもあるのだろう。
まあ、それはコイツらしいと言えばコイツらしい。
「じゃ、オイラはそろそろアイツらに明日に備えて寝るよう言ってくるからよ、カインのことは任せたぜ!」
そう言い残して、林檎を食べ終わったビィがくるくると螺旋を描きながら去っていった。夜も深まり、野営地の周りで煌々と焚かれていた明かりも、ぽつりぽつりと消えては闇を湛えた空が広がっていく。周囲で繰り広げられていた酒臭いどんちゃん騒ぎも、段々と人の寝息を含むようになっていく。
人も魔物も眠る時間だ。
「……任せたぜと言われてもな。レオナみたいに膝枕でもしてやればいいのか?」
動くに動けず、聞く人間もいないのについ冗談を飛ばしてしまって、独り口の端を持ち上げた。別にこの状況ならやっても不自然ではねぇか? ……それより、寝袋のあるところに運んでやる方が真っ当か。けど一度起こして、軽く汚れを拭ってやった方がいいだろう。
と、不意にんん、と眠っていたカインの眉間に皺が寄った。お、とその顔を眺めていると、青い瞳が薄く開き、ぼんやりと焼けた空を見上げ——そしてラインハルザを視認した。
「おわっ、ラインハルザ……」
「起きたか。情けない声出しやがって……ほら」
寝ぼけた様子のカインの背を支えて、その場に座らせてやる。その顔からして、まだ疲労が完全に抜けてはいないようだった。腕をだらんと垂らしているのは、刀の振るいすぎで腕が動かないんだろう。按摩くらいならしてやらないでもないが、と考えていると、カインがぼんやりとした表情で、チラリと何か言いたげにこちらを見る。
それといつの間にか、向こうでラムレッダが酒を数本飲み干して宴会になってる女性陣の方を。
「なんだ」
「いやあ……よかったら俺も充電させてほしいなー、なぁんて……」
「…………」
冗談を装った下に隠した甘えるような響きに、思わず片眉を跳ね上げた。そのうえ「あ、駄目か? いや、駄目ならいいんだけどさ」と姑息に身を引こうとするやり方も腹立たしい。仕方なく両手を広げてやると、「やりぃ!」嬉しそうによろよろと寄ってきて、そのままばふりと腕の中に倒れ込んでくる。
「あー……ラインハルザだー……」
「またワケのわからんことを……」
言いながら力を入れすぎないよう背をさすってやると、ざりざりと布地の中で砂利の擦れる感触がした。一瞬手を止めるが、カインは気にしないのか腕の中で体を弛緩させ、「んあー……」と気の抜けた声を漏らしている。汗と砂っぽさの混じった匂い。胸板に頰を擦り付けられて、高い体温の心地よさでこっちまで緩んだ気分にさせられそうだ。
ラインハルザは溜め息を吐いた。
オレも甘い——と思う。
だが口実を無駄にすることもない。
それに、弱っているこの麒麟児の姿を目にしていることに、ひどく満たされている自分もいる。いつも口にしている「カッコ悪いところを見せられない」、という言葉のとおり、この男は張り巡らせた思考の奥底を隠し布で覆いがちだ。
それがなりふり構わずこうして自分に甘えてきているという事実に、ラインハルザは自分でもどうかと思うほど高揚を覚えずにはいられなかった。少し早く打つ鼓動と、じわりと熱さを増す皮膚の下。さて、どうしたもんかと明後日の方を見る。うっかりこのまま持って帰らねぇうちに、このひっつき虫を引き剥がす必要がある。
すると突然、カインがガバリと顔をあげた。頰の緩みがバレたかと顔を引き締めるが違ったらしい。こちらには目もくれずに後ろを振り返る。はずみで胸元に柔らかな黒髪が擦れる。
「団長ぉー! やっぱラインハルザも一緒に連れて行かせてくれ! もう離したくねぇ……!」
「おい」
そこまでは甘やかさねぇぞと釘を刺すより早く、遠くの団長から、うーん、シルヴァに代われるか聞いてみてー!と投げ返される。ちらと酒宴になってる方を見やれば、麦わら帽子の下の平静な視線と目が合った。構わないが、と言いたげに首を傾げられるが、いや、オレは代われないだろう。このパーティでラインハルザがシルヴァの代わりを務めるのは難しいはずだった。「私が代わろうか、カイン?」いつの間にか戻ってきていたレオナが、腰にしがみついたラムレッダに水を飲ませながら提案する。まあ、確かにレオナなら連携が取れる。
だがそれだとカインが外れるわけで。
「……いや、多分それには及ばないだろ。甘やかしすぎだ」
「でも、このままじゃ……」
「いいや。……カイン?」
「何……」
顔を上げた将軍殿の、顎を摘んで上向かせる。覗き込むと弱々しく向けられる瞳に、妙に昂る気持ちを刺激される。
「……フィジカルも鍛えるいい機会だ。もうちょっと頑張れるな?」
「うう……お前までそういうこと言う……」
カインは傷ついたようなふりをして、よろりと立ち上がった。しかしもう充電は十分らしい。試すように肩を軽く回し、腰に差した刀に触れ、全身に纏った疲労を振り払うとニカッと快活な笑みを浮かべた。
声の調子はいつものそれだ。
「……ま、やるっきゃないよな! お前にカッコ悪いとこ、見せねえって言ったし」
「そうだな。今日のことはノーカンにしといてやる」
「う。た、頼むぜ……」
自分でもやらかした自覚はあったらしい、渋い顔をして心臓の上を押さえる仕草を見せる。乗ったラインハルザも同罪ではあるが、それは言わないでおいた。どうせこの策士はわかった上で「お互い様だろ」と言わないでいるのだ。ラインハルザは、『カインに言われて甘やかしただけ』だ。
フン、と鼻を鳴らす。
「……カイン、私たちはそろそろグランサイファーに戻るけど、交代したくなったらいつでも連絡してね。キミは一人で頑張りがちだから……」
「大丈夫だってレオ姉、だいぶ回復してきたしさ! この調子であと一日……」
「カイン」
「ん?」
ちょいちょい、とラインハルザは手招きをした。寄せられた無防備なカインの耳に、低く囁く。
「帰ってきたら、今日よりもっと甘やかしてやる」
「!? ……っ!?」
息を呑んだカインが咄嗟に耳を押さえ距離を取ったのは恐らく反射だ。
パチパチと驚いて細かく瞬きする瞳が開かれすぎてまんまるだ。今度は足から力が抜けたようにしゃがみ込む。頰と耳と首筋が、じわじわと赤くなっていく。
してやったり、と笑うと恨みがましい目を向けられた。
「お、お前さあ……なんでそういうこと今言うの……」
「そりゃあ、あと一日頑張ってもらわなきゃならねぇからな」
「ッ……、あーっもう!」
しれっとした表情のラインハルザに対し、何か言おうとして、口をはくはくと開閉し、諦めて閉じた後——カインはくるりと背を向けて、別れの言葉もそこそこに走り去っていった。
「団長! 明日は今日の倍倒そうぜ! 絶対戦貨いっぱい持って帰ってやるからな……!」
さてオレたちは挺に——と去り際、じと、とレオナの何か言いたげな空気が刺さった。
隣を見下ろすと、憮然とした視線とぶつかる。
「……ラインハルザ。私には、甘やかすなって言わなかった?」
「そうだったか? 悪かったな」
「というか、よく考えたら衆人環視でカインをギュッとしてた人の言葉じゃないよね……」
言い返す言葉もなかった。悪びれもせず肩を竦めて「じゃあ二人で甘やかすか」と問えば盛大な溜め息が返ってくる。
「別に、私はいいよ。それにラムレッダさんたちとも約束しちゃったし……」
カインを甘やかすのはあなたに任せる、とレオナに告げられて、ラインハルザは「任せたと言われてもな」と笑いながら、どう甘やかしてやろうか、と数日後の楽しみに思いを馳せた。
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