The show must go on.
(2020/11/09)
霧の中に突如現れた巨大なメギド体を目にし、俺は反射的に縄鏢を構えた。少し距離があるからか、こちらに気付かれている様子はない。落ち着いて観察する。……どこか見覚えのある個体だった。メギドラル時代の知り合い——いや——あの個体の”中身”すら俺は知っている。
この手でズタズタに裂いた感触も。
打ち捨てられた砦の古びた匂い、メギドラルの懐かしい空気が記憶の奥をくすぐってくる。そうだ、あれは追放前、俺が最後に解剖したメギドだ。アドラメレクに唆されて、面倒ごとに巻き込まれたときの。しかしどうしてあれがここにいる? 死体は再利用できないほどに損壊させたはずだった。大メギドならまだしも、上位とはいえあの程度の個体にそこまで手間をかけて修復するほどの価値はない。
だったらこれは幻覚か。
けれど正面にはロノウェが対峙している。彼にもあれが見えているのだ。じっと眼前の敵対者を睨み、しかしどこか思い詰めたような顔で歯を食い縛って剣を構えている。
その、立っている位置が気になった。
「……ロノウェ?」
既視感への疑念が声になって漏れ出る。
彼のいる場所は、本来『メギド喰らい』が立っているはずの場所だ。
そしてヒョウと殺気を伴って彼に飛来する一条の矢。
目にも止まらぬ速さで放たれたそれに一瞥もくれず、ロノウェは最小限の動きで弾き返した。振り返った視線の先にいる、鮮やかな緑のフードの射手。交わされる、抜き身の刃のような視線のやりとり。
「……レラジェ! ああ、そうか、キミたちあのときの……!」
これはあのときの再演だ。気づいて思わず破顔する。こんなことってあるだろうか。耳元で血潮がざわざわと鳴って、自分が興奮しているのだとわかる。実際、手が疼いて仕方がない。
気づけば走り出していた。
これはあのときの心残りを清算する、絶好のチャンスじゃないか。
後悔、ともいえない小さな記憶のしこりがあった。
傷つき、倒れ伏した上位メギドの新鮮な死体を前に、思わず舌で唇を湿らせたことを覚えている。あれは自分にしては随分とヴィータ的な反応だったな、と後に幾度となく反芻することになるからだ。ヴィータとして暮らしていく上で参照したメギドラル時代の記憶の、一番直近のものだった。
しかしそのとき俺の目の前では、あと二体のメギドが戦争を繰り広げていた。
いや、戦争とも呼べない、それは一方的な狩猟だった。
狩られている、手負いのメギド喰らい。
そして冷酷無比に矢を放つ、狩人のメギド。
(——あれも手に入らないだろうか)
ほぼダメージを受けていない狩人の方に対して、メギド喰らいは満身創痍で乾いた地面を這いずり逃げ回っている。それでも善戦している方だろう。上位メギドとの殺し合いからの連戦で、それも食らったのは完全な不意打ちだ。今だって攻撃が当たりもしない位置から次々に射かけられていて近づけすらしていない。両者合意の戦争において、射手がそんなベストポジションを獲得できることはまずない。ましてやこの荒廃したメギドラルの大地ではスナイパーは不利で、潜む場所を探すのにも苦労する。実際、俺がいるこの観覧席のような棄てられた砦もアドラメレクからの情報あってのことだ。十中八九、メギド喰らいをハメる策が練られたのだろう。上位メギドはそのための餌だ。ならば射手の背後には別のメギドがいる。この状況を画策した誰かが。
そしてそれは、俺がこの上位メギドのとどめを刺すよう仕向けた誰かだ。
俺は死体を見下ろし、それから未練がましく遠く戦場へと目を向ける。別に誰のどんな意図が絡んでいようと、興味はなかった。実験さえできればそれでいい。そう、実験さえできれば。
(……そして材料は、多いに越したことはない)
早く、という焦りもあった。早く解体して処理してしまわないと、魂の抜けたメギド体は何故か時間が経つと傷んでしまうことが多いのだ。けれど、と視線を遠方へ移す。傷を負い、地面をのたうつように逃げ回っているメギド喰らい。
アイツくらいなら、いけるんじゃないか?
「……! ……誰だ」
気配を感じて振り返った。そこには、フヨフヨと宙に浮く無害な伝言用の幻獣がいた。
「……ミュトス? なんだ、誰からだ?」
「欲ヲ……カクナ……」
まるで胸の内を読んだような言葉だった。
差された無粋な水に眉を顰める。ミュトスは構わず壊れたハルマ製兵器のように与えられた言葉をキンキンと吐き出す。
「欲ヲカクナ……欲ヲカクナ……ッ!」
それだけ言い終えると、ミュトスは力尽きてべちゃりと落ちてしまった。その死体を無感情に眺める。散々解剖した生物だ。今更興味は湧かない。
それよりも。
「……チッ」
思わず舌打ちが出た。欲をかくな。どうせアドラメレクだろう。俺がここにいて、上位メギドを解剖しようとしていることをアイツは知っている。そもそもこの作戦も奴の入れ知恵だ。どうせ碌でもないことを企んでいて、けれど俺が自分の思い通りに動きそうにないから、釘を刺せるよう保険をかけたのだろう。
メギド喰らいまで手にかけさせるつもりはないってことか。
手元の上位メギドの死体。
遠くで倒れようとしている、満身創痍のメギド喰らい。
そしてそれを追い詰めている、射手のメギド。
「……ああ、ああ……! 惜しいなあ……俺がもっと戦争向きの個体なら、ここで全員潰すのに……!」
しかし俺は合理的判断を優先した。哀しいかな、無意味な情動に身を任せてこれ以降のチャンスを不意にするほど愚かにはなれなかった。上位メギドの死体を抱えて戦場に背を向ける。背後から、メギド喰らいの断末魔のような咆哮が聞こえる。
「……あとで駄目元でアドラメレクに、彼らの死体をもらえるよう頼んでみようかな……」
「ということを思い出してね。いや、追放されなければ俺はキミたちの解剖もできるところだったんだよ。だから死後の解剖にくらいは同意してくれてもいいだろ」
あの霧は散々だったが(あの後みんな揃ってブネたちにも怒られてしまったが)、久しぶりに懐かしい気持ちになった。得られたのは解剖したい、という感情の再確認だ。隙あらば——というかなんだったらフラウロス相手になら毎日のように口にしてはいるけれど、やっぱり個と向き合い、見つめ直すのは大事だ。
「ね、レラジェ」
しかしどうやらレラジェは違ったらしい。
「いやいやいや! 『だから』の接続が意味わかんないから! なあロノウェ!?」
「俺は……俺が解剖されてみんなの気が済むなら、それでも……」
「ロノウェーっ! ダメだ、完全に陰気のオーラが付与されてる」
「ロノウェテメェ、自分の体を大事にしやがれコラァ!」
「いやだな。キミたちの体は俺が大事にするんだよ」
「話をややこしくするのをやめろーっ! 私やっぱりオマエのこと苦手だ!」
「そう……」
レラジェのその言葉に、俺は少し肩を落としてしまった。本当に、仲間のことは是非とも俺が手ずから解剖したいという気持ちに嘘はないんだけれど、彼女がそう言うなら仕方ない。
「わかった、じゃあ別の医者を紹介するよ。俺の友人なんだけど、腕は確かだしきっと綺麗に切ってもらえると思うから……」
「わかってないだろ!? まず解剖が嫌だって言ってるんだよ!」
「アハハハハ、キミがわかってよ、俺の愛ってやつをさ!」
「その碌でもない感情はクズにだけ向けとけーっ!」
レラジェに頰をグニッとつねられて、それでも俺は、いつか彼らの死を看取るのが、自分であればいい、とささやかに願うのだ。
霧の中に突如現れた巨大なメギド体を目にし、俺は反射的に縄鏢を構えた。少し距離があるからか、こちらに気付かれている様子はない。落ち着いて観察する。……どこか見覚えのある個体だった。メギドラル時代の知り合い——いや——あの個体の”中身”すら俺は知っている。
この手でズタズタに裂いた感触も。
打ち捨てられた砦の古びた匂い、メギドラルの懐かしい空気が記憶の奥をくすぐってくる。そうだ、あれは追放前、俺が最後に解剖したメギドだ。アドラメレクに唆されて、面倒ごとに巻き込まれたときの。しかしどうしてあれがここにいる? 死体は再利用できないほどに損壊させたはずだった。大メギドならまだしも、上位とはいえあの程度の個体にそこまで手間をかけて修復するほどの価値はない。
だったらこれは幻覚か。
けれど正面にはロノウェが対峙している。彼にもあれが見えているのだ。じっと眼前の敵対者を睨み、しかしどこか思い詰めたような顔で歯を食い縛って剣を構えている。
その、立っている位置が気になった。
「……ロノウェ?」
既視感への疑念が声になって漏れ出る。
彼のいる場所は、本来『メギド喰らい』が立っているはずの場所だ。
そしてヒョウと殺気を伴って彼に飛来する一条の矢。
目にも止まらぬ速さで放たれたそれに一瞥もくれず、ロノウェは最小限の動きで弾き返した。振り返った視線の先にいる、鮮やかな緑のフードの射手。交わされる、抜き身の刃のような視線のやりとり。
「……レラジェ! ああ、そうか、キミたちあのときの……!」
これはあのときの再演だ。気づいて思わず破顔する。こんなことってあるだろうか。耳元で血潮がざわざわと鳴って、自分が興奮しているのだとわかる。実際、手が疼いて仕方がない。
気づけば走り出していた。
これはあのときの心残りを清算する、絶好のチャンスじゃないか。
後悔、ともいえない小さな記憶のしこりがあった。
傷つき、倒れ伏した上位メギドの新鮮な死体を前に、思わず舌で唇を湿らせたことを覚えている。あれは自分にしては随分とヴィータ的な反応だったな、と後に幾度となく反芻することになるからだ。ヴィータとして暮らしていく上で参照したメギドラル時代の記憶の、一番直近のものだった。
しかしそのとき俺の目の前では、あと二体のメギドが戦争を繰り広げていた。
いや、戦争とも呼べない、それは一方的な狩猟だった。
狩られている、手負いのメギド喰らい。
そして冷酷無比に矢を放つ、狩人のメギド。
(——あれも手に入らないだろうか)
ほぼダメージを受けていない狩人の方に対して、メギド喰らいは満身創痍で乾いた地面を這いずり逃げ回っている。それでも善戦している方だろう。上位メギドとの殺し合いからの連戦で、それも食らったのは完全な不意打ちだ。今だって攻撃が当たりもしない位置から次々に射かけられていて近づけすらしていない。両者合意の戦争において、射手がそんなベストポジションを獲得できることはまずない。ましてやこの荒廃したメギドラルの大地ではスナイパーは不利で、潜む場所を探すのにも苦労する。実際、俺がいるこの観覧席のような棄てられた砦もアドラメレクからの情報あってのことだ。十中八九、メギド喰らいをハメる策が練られたのだろう。上位メギドはそのための餌だ。ならば射手の背後には別のメギドがいる。この状況を画策した誰かが。
そしてそれは、俺がこの上位メギドのとどめを刺すよう仕向けた誰かだ。
俺は死体を見下ろし、それから未練がましく遠く戦場へと目を向ける。別に誰のどんな意図が絡んでいようと、興味はなかった。実験さえできればそれでいい。そう、実験さえできれば。
(……そして材料は、多いに越したことはない)
早く、という焦りもあった。早く解体して処理してしまわないと、魂の抜けたメギド体は何故か時間が経つと傷んでしまうことが多いのだ。けれど、と視線を遠方へ移す。傷を負い、地面をのたうつように逃げ回っているメギド喰らい。
アイツくらいなら、いけるんじゃないか?
「……! ……誰だ」
気配を感じて振り返った。そこには、フヨフヨと宙に浮く無害な伝言用の幻獣がいた。
「……ミュトス? なんだ、誰からだ?」
「欲ヲ……カクナ……」
まるで胸の内を読んだような言葉だった。
差された無粋な水に眉を顰める。ミュトスは構わず壊れたハルマ製兵器のように与えられた言葉をキンキンと吐き出す。
「欲ヲカクナ……欲ヲカクナ……ッ!」
それだけ言い終えると、ミュトスは力尽きてべちゃりと落ちてしまった。その死体を無感情に眺める。散々解剖した生物だ。今更興味は湧かない。
それよりも。
「……チッ」
思わず舌打ちが出た。欲をかくな。どうせアドラメレクだろう。俺がここにいて、上位メギドを解剖しようとしていることをアイツは知っている。そもそもこの作戦も奴の入れ知恵だ。どうせ碌でもないことを企んでいて、けれど俺が自分の思い通りに動きそうにないから、釘を刺せるよう保険をかけたのだろう。
メギド喰らいまで手にかけさせるつもりはないってことか。
手元の上位メギドの死体。
遠くで倒れようとしている、満身創痍のメギド喰らい。
そしてそれを追い詰めている、射手のメギド。
「……ああ、ああ……! 惜しいなあ……俺がもっと戦争向きの個体なら、ここで全員潰すのに……!」
しかし俺は合理的判断を優先した。哀しいかな、無意味な情動に身を任せてこれ以降のチャンスを不意にするほど愚かにはなれなかった。上位メギドの死体を抱えて戦場に背を向ける。背後から、メギド喰らいの断末魔のような咆哮が聞こえる。
「……あとで駄目元でアドラメレクに、彼らの死体をもらえるよう頼んでみようかな……」
「ということを思い出してね。いや、追放されなければ俺はキミたちの解剖もできるところだったんだよ。だから死後の解剖にくらいは同意してくれてもいいだろ」
あの霧は散々だったが(あの後みんな揃ってブネたちにも怒られてしまったが)、久しぶりに懐かしい気持ちになった。得られたのは解剖したい、という感情の再確認だ。隙あらば——というかなんだったらフラウロス相手になら毎日のように口にしてはいるけれど、やっぱり個と向き合い、見つめ直すのは大事だ。
「ね、レラジェ」
しかしどうやらレラジェは違ったらしい。
「いやいやいや! 『だから』の接続が意味わかんないから! なあロノウェ!?」
「俺は……俺が解剖されてみんなの気が済むなら、それでも……」
「ロノウェーっ! ダメだ、完全に陰気のオーラが付与されてる」
「ロノウェテメェ、自分の体を大事にしやがれコラァ!」
「いやだな。キミたちの体は俺が大事にするんだよ」
「話をややこしくするのをやめろーっ! 私やっぱりオマエのこと苦手だ!」
「そう……」
レラジェのその言葉に、俺は少し肩を落としてしまった。本当に、仲間のことは是非とも俺が手ずから解剖したいという気持ちに嘘はないんだけれど、彼女がそう言うなら仕方ない。
「わかった、じゃあ別の医者を紹介するよ。俺の友人なんだけど、腕は確かだしきっと綺麗に切ってもらえると思うから……」
「わかってないだろ!? まず解剖が嫌だって言ってるんだよ!」
「アハハハハ、キミがわかってよ、俺の愛ってやつをさ!」
「その碌でもない感情はクズにだけ向けとけーっ!」
レラジェに頰をグニッとつねられて、それでも俺は、いつか彼らの死を看取るのが、自分であればいい、とささやかに願うのだ。
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