彼のスイートハニーについて




「よし……とどめは頼む、モラクス!」
「任せとけ、アニキ! おっりゃあああ‼︎」
 戦斧の強力な一撃を受け、獣の形をした大型の幻獣が咆哮を上げてどう、と倒れ込んだ。衝撃に、森の木々が激しく吹き荒れる。幻獣はそれ以上動かない。完全に沈黙したことを確認して、ソロモンはふぅと肩を撫で下ろした。
 周囲に見える幻獣はこれで最後だ。
「この辺りを荒らし回ってたって幻獣、やっぱりコイツかな」
「どうかな。手応えとしては中々だったが……」
「腹の中を見てみたらいいんじゃないですか? 人が食べられてるって話でしたよね?」
 言い出したのはプルソンだ。その言葉に、ソロモンは表情を僅かに曇らせる。もっと早くに来ていれば防げたかもしれない——どうしたって考えてしまう。けれどチッと背後から舌打ちが聞こえて、慌てて首を横に振った。考えてる場合じゃないな。
「じゃあ開いてみようか。悪いけど、誰か頼めるか——」
 言うのと同時に、直前まで暴れて体の温まったモラクスが、我慢できないとばかりに「俺、他にも残ってねーか見てくる!」と走り出した。「じゃあ俺も行こう。万一大型がいたら面倒だからな」と続くパイモン。残ったフラウロスとウェパルは我関せずで、プルソンが仕方ないなあこの人たちはとナイフを取り出し腕まくりする。
「……うう、プルソン、ありがとう……」
「任せてください、ソロモンさん!」
 幻獣の死体に刃を挿し入れて、ギコギコと手前から奥に向かって線を引く。「よっ」「あれ」「固……」「プルソン、俺代わ……うまく切れないな」何故だかいつもと勝手が違って苦戦していると、背後からフラウロスが鼻を鳴らして覗き込んでくる。
「……いや、オメェら何してんだ?」
「何って、コイツがヴィータを喰べた幻獣なのか確かめるんじゃないですか……うわっ血! ベトベトだ……」
「ギャハハ、だっせ! ンなとこじゃなく腹裂けよ腹!」
「やってるだろ……。ここじゃないのか?」
「は〜? 明らかちげーだろ?」
「じゃフラウロスさんがやってみてくださいよ」
「あ? なんで俺が」
「あれ? できないのに大口叩いてるんでもないでしょう?」
「テッメ……」
 プルソンはキョトンとしていて、悪気はないのだろうがマルチネもびっくりするくらいの特攻だ。案の定フラウロスの目が剣呑に細まるものだから間に慌てて割って入る。こんな状態で喧嘩はごめんだ。パイモンがいないから止める人もいないし。
「フラウロス、俺からも頼むよ」
「……チッ、しゃーねーな。貸しやがれっ」
 そう言うと、口を尖らせながらも渋々プルソンから解体ナイフを奪い取った。フラウロスは概ね面倒事を避ける傾向にあるが頼ると案外引き受けてくれることも多い。「めんどくせー」だの「なんで俺が」だのとブツブツと呟きながら、倒れ伏した獣の腹の下部に迷いなく刃を入れる。
「大体、こーゆータイプは腹の筋肉が厚いから一枚ずつ剥がすのが定石だろうが……あと火ィ吐いてたし、この辺にでけえフォトンの臓器があンなら多分胃はもっと下に……っと、お。あったあった」
 パクリと開いたピンク色の臓器の中身を三人で覗き込んだ。オラ、と顎で促され、布で手を覆ったソロモンが拾い上げた白い細い棒のようなものに、うげ、とプルソンが顔を顰めながらなんとか答える。
「人骨……ぽい」
「ヴィータの大腿骨だろソレ。んじゃコイツで決まりだ、チビとオッサンにも知らせようぜ。はー終わった終わった、ったくあの程度のツケでこんだけ働かされるとかやってらんねーぜ!」
 ナイフを放り出してフラウロスが立ち上がる。目で追っていると息をするように「おいウェパル、手洗いてーから水出せよ」「ハ? 嫌、便利に使わないで」「あ〜? オメェ見てただけのくせに!」「向こうの水場に行けばいいでしょ」などと言い争いを始めるものだから、ああ、止めないと……と思うがソロモンとプルソンはフラウロスの背中から目が離せない。
 正直、だって、意外だったのだ。
 フラウロスが死体の側にしゃがみ込んだままの二人に気付く。正確には自分に向けられる視線に。それを諍いに対する非難の目だと受け取ったのか、不機嫌そうに舌打ちをする。
「あ? 何見てんだオメェら。見物料取んぞ」
「ああ、いや、違くて、その……フラウロスが器用なのは知ってたけど、こんなに解体に手慣れてるとは思わなくってさ」
「すごいですね、手際の良さがまるでアンドラスさんみたいでしたよ!」
 聞いたフラウロスの目は冷ややかだった。口を噤んでこちらを見るウェパルも心なしか温度を下げて、今度はソロモンたちの方を見ている。ソロモンとプルソンは首を傾げた。何か変なことを言っただろうか?
 はあ、と二人同時のため息。
「……まあいいわ。それにしても、アンタみたいなのでも恋人の影響受けるのね。可愛いじゃない」
「うるせーぞクソ人魚。オメェに可愛いとか言われても毛ほども嬉しかねーよ」
「え、恋人? 急に何の話⁉︎」
「……ああ、そういうことだったんですね! 道理で」
 プルソンまでわかった風な顔をするものだから、ソロモンは一人置いていかれて焦る。
 恋人の影響って何⁉︎
「あら、じゃあ誰に言われれば嬉しいのよ」
「あ? そりゃあ、なあ?」
 ウェパルの仕掛けた質問に、鬱陶しがって否定するかと思われたフラウロスはしかしニヤニヤと笑うだけだ。そこでようやく、ウェパルは自分のミスを悟った。
 恥ずかしがるフラウロスなんて珍しいものでも見れるかと思ったのに、コイツ、開き直ってる。
「……最悪」
 反してフラウロスは上機嫌だ。表情が獲物を見つけたときのデカラビアくらい悪辣だ。
「顔がうるさい。惚気はやめて」
「オイオイ、オメェが言い出したことだろうが?」
「ちょっとぉ! 恋人って誰のこと⁉︎」
「アンドラスさんってことじゃないですか? そういえば俺、この前お二人がこっそり相引きしてるの見かけましたし」
「嘘だろ⁉︎」
「うるさい」
「うるせーぞクソヴィータ」
 ソロモンは泣いた。

     ◇ ◇ ◇

「と言うわけで、特別授業を始めるよ。講師は俺、アンドラスだ。今日の課題は幻獣のタイプ別、腹部の解剖について」
「いやなんで⁉︎」
 貸し切られた大広間に、各所からかき集めただろう様々な種類の椅子が無造作に並べられていた。その前には黒板と教壇。招集が医療チーム名義だったものだから出席率もよく、続々とメギドたちが顔を覗かせる。ただ、来てみればバティンもユフィールもおらず、一人るんるんと楽しそうに準備しているアンドラスがいるだけだ。それを一目見て踵を返すメギドもいたが、大半は何なんだ?と首を傾げながらも渋々と用意された座席に座る。
 ソロモンだけが事情を知っていて肩身が狭い。
「なんでアタシらここに座らされてんだよ」
「つよい敵は? キマリスの出番はあるのかー?」
「解剖はアンドラスさんの専売特許じゃないんですか?」
「俺だって、いつもソロモンに連れていってもらえるならそうしたいさ。でも実際はそうじゃない……それなら、俺がいないときに倒した幻獣の胃の内容物を調べるのに効率のいいやり方を、広く知らせておいてもいいかと思ってね」
「そんなこと言って、見てないところで死体を損壊されたくないだけじゃないのか?」
「それもあるね」
「あっさり言った」
「そこ気にするのか? どうせ解剖できないんだろう?」
 その中でブネも首を傾げる。ちなみに彼は酒を飲んでいたところを謎の特別授業に占拠された被害者だ。
「とは言っても、慣れてねえやつならともかく、そこそこ生きてるやつは適当に捌いたりできるだろうが。必要あるか?」
「普通の獣ならみんなできると思うよ。でも幻獣は、突然変異も含めて体の作りが変異していることが多いからね。幸い、特徴はいくつかのパターンに分けられるから、そういう情報はもっと共有しておいた方がいいんじゃないかって、ありがたいことに俺のかわいい恋人が」
 あ、とアンドラスがそこで言葉を切った。んん、と咳払いをして何事もなかったかのように続ける。
「失礼、フラウロスから勧めを受けてね。なのでこうして第一回特別授業を開く運びとなったわけさ!」
「かわいい恋人って言った」
「ねえなんで公然と惚気を聞かされてるの私たち?」
「アイツ腹捌くの他の奴にやらせたいだけじゃないのかよ」
 アンドラスは気にせずチョークを滑らせる。黒板に幻獣の構造を一つ、二つ。その図は特徴を捉えていて意外とうまい。
「てかそのフラウロスはどこ行ったんだよ。いねえじゃねえか」
「ああ」
 アンドラスは手を止めずに頷く。
「わからないけど、夜には戻ってくるんじゃないか」
 振り返り、ニコリと微笑む。
「多分今夜もしたいだろうし」
 何を、とは誰も訊かなかった。
 ただ、なんていうか、破れ鍋に綴じ蓋だなあと思った。

おわり
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