ギャンブルバニー×2

(2020/10/11)


「わたしミノソン。怪我したら世話になることもあると思うから、よろしくね」
 軍団での友好関係は大事だ。そんなにベタベタするつもりはないけど、少なくとも最初くらいはいい印象を与えておいた方がいい。経験則から手を差し出すと、その男の子もデスクから立ち、快く応じて握手を交わした。細いがしっかりと力強い手だ。橙の髪が揺れる。医務室らしく、まとうのは消毒液の匂い。
 いつも隣にいるはずのグザファンは、「なんかあの場所雰囲気苦手なのよね〜。ていうかあんたもあたしも怪我とかしないじゃない? 医者に顔合わせとく必要とかある〜?」とか言ってどこかに行ってしまっている。この前顔を合わせた看護師さんの雰囲気にちょっとビビってたのは言わないでおいてあげた方がいいのかな。
 今医務室にいるのは目の前の彼一人だ。
「ああ、キミが。俺はアンドラス、よろしく。話は聞いてる……」
 人当たりが良さそうな笑みを浮かべた彼は、けれど途中で言葉を切って、まじまじと私の顔を見つめてきた。わずかに湿気を含んだ視線。うん? 何かな? 面倒なことでなければいいけど。
「あのさ……」しばらく迷った後、彼は躊躇いがちに切り出した。「キミ、銀髪のクズにはもう会った?」
「うん?」少し面食らいながら、誰のことだろう、とこれまで挨拶回りした面々をぐるりと思い出す。銀髪……となると、目つきの悪いハルバードの彼がいるけどクズかと聞かれると違う気もする。別に、単に口が悪いのはグザファンと同じくらいだし。そもそも、人の内面がわかるほど深い付き合いをまだしてない。会ってたとしても、その言い方じゃわかるわけないよ、と思いながら曖昧に微笑む。「多分、まだかな……?」
 言えば目の前の彼が微かに安堵の息を吐く。
「そう。よかった。彼まだキミに身ぐるみ剥がされてないんだね」
「あはは、いくらギャンブルが好きだって言っても、いきなりは剥がさないよー」
 とはいえ、それで大体事情は察した。柔和な口ぶりに反して乱暴な言葉が飛び出したので少しびっくりしてしまったけど、それを心配するということはそのクズくんとやらは相当なギャンブル好きなんだろう。指先で髪をくるりといじりながら、それなら会ったらわかるかも知れないな、と考え直す。ギャンブルは運が左右する分、誰もが実力にかかわらず勝てるように“見える”勝負だ。実際勝つと気持ちいい。その味を忘れられずに引き際を誤って、身を持ち崩す人間は多い。メギドもヴィータも。
 気持ちはわからないでもないけど。
 医者の彼が口にするのもそういう話だ。実は、と言いながら、私のことをじっと慎重に推し測るように見る。実は今、彼の体の権利は賭けに勝った俺にあってね。その琥珀色の瞳の奥になにか油断ならないものを飼っている気配がちらついて、一瞬、私の鼻先を掠めた。なんだろう、と眉を顰める。不安? 敵愾心? 物腰の柔らかさでうまく隠されたそれは、ともすれば見落としそうなほどひっそりと息を潜めて彼の内に根づいている。
「ただ、彼も少し無謀なところがあるからさ……、もしキミに自分の体を賭けるような勝負を持ち出してきたら、断ってくれないかな、と思って」
 密やかに告げられて、そこでようやく、彼からのじっとりとした視線の正体に気づいた。
 取られるんじゃないか。彼が全身に張り詰めさせているのはそういう緊張感だ。ああ、そっか。ストンと納得が腹の底に落ちる。取られたくないんだ。そのクズの彼が、見境なく勝負を仕掛けそうだから余計に。
 少し愉快な気持ちになるのは、今まさに彼の戦略を目にしている実感からだろうか。先を読んで布石を打っておく。結果をできる限り自分の望む方へ引き寄せる。そう言う他人の策を見ると、どうしたってワクワクしてしまう。
「なるほどねー。でもそれ、タダでは聞けないなあ」
 だってそれは、私からギャンブルの機会を一つ奪うということだ。
 それなら何か、対価がほしい。
「……うーん、じゃあさ、こういうのはどう? 今君がここで私に勝てば、私は君のお願いを聞いてあげる。ただ頷くだけっていうのもつまらないしね」
「勝つって……ギャンブルでかい?」
「そうよ」
 いきなりこの場で勝負を持ちかけられると思わなかったのか、今度は医者の彼がパチクリと瞬きをする番だった。ゆっくりと思考を巡らせて、それからなるほど、とあくまで柔らかなひだまりのような笑みを浮かべる。
「白黒つけるならギャンブルで、か。でも、その賭けは成立しないんじゃないか」
「うん? どうして」
「元々、彼の体の権利は俺にあるんだ。それを賭けの対象にした勝負をキミがもし“間違って”受けたらトラブルになる。勝っても彼の体は支払われないんだからね。俺はそれを防ぎたいだけだよ。言ってみれば、これは賭けをする前のルール確認だ。他人の持ち物を対象にする賭けがすべて所有者の同意なしに成立していたら、ギャンブルなんて成り立たないじゃないか」
 おお、言うなあ。面白そうかな、程度だった好奇心に、俄然火がついて燃えてくるのを感じる。
 ここですんなり引いたら勿体無い。
 唇に指を当てて首を傾げる。
「君の言うことにも一理あるけど、でも他人の持ち物を賭けるのは賭けるやつの責任だし、勝負を受ける側が気遣ってあげるのが当然ってわけじゃないよね?」
「……」
「もちろん、負け分が正しく支払われない恐れがあるなら、私は一応止めるわよ。それは君のものじゃないよねって……でも、クズくんが私に勝負を仕掛けてきた“その時点で”彼の体の権利がどこにあるのかは、私は彼の言葉を信じるしかない。君から権利を取り戻した、あるいは取り戻す予定だと言われれば私だって受けざるを得ないわ……それに当然のように賭けられれば、普通はそんな事情があると思わず乗るし。その場合、彼の所有権が君に帰属してることについて、私に悪意があるとは言えないんじゃない?」
「……そうだね。そしてどのみち、そうなったら彼の体を賭けて俺はキミと勝負することになる」
「そうね。そのとき賭けるくらいなら、今賭けておいた方が勝算は高いんじゃない? ……それに、私にとってギャンブルは“個”なの。その一部を制限しようっていうんだもん、単なるお願いじゃ聞けないわ」
 そこまで聞いて、医者の彼が観念したように肩を竦める。
「……まあ、彼がそんな勝負をしない可能性もあるから、その場合は俺のリスクでしかないけど……わかったよ、受けよう。俺が負けたら?」
 にこ、と思わず笑みが溢れてしまった。素直でいい。物分かりのいい子は好きだ。それに頭の回転も悪くない。これは楽しくなりそう。何を賭けてもらおうか。
 気づけば彼の視線が時折私の頭上に流れていた。耳がぴょこぴょこと動いてしまってるんだろう。だって楽しい。こういうのは好きだ。筋道を立てて理詰めで勝ちを取りに行くこの感じ。
「どうしようかな。キミにとって、そのクズくんの体は取られたくないものなんでしょ? なら、同じくらい大事なものを賭けてよ。任せるからさ」
「……うん……うん、いいよ。なら、死後にはなるけど、俺の体を解剖権をつけて進呈しよう。……どうせ彼はいらないって言うと思うしね……」
「解剖権? 何それ?」
「俺の体を好きにしていいってこと」
「体には体でって? 確かにそれなら釣り合うけど、みんな体賭けるの好きね……」
 まあ彼の差し出す他のなんだって私にとって不要のものだろうから、そこは正直どうでもよかった。いつかメフィストと賭けたみたいな。賭けの対象にはなにかいいものを設定しておけばいい。
 さて何で勝負しよう、ルーレットにしようか、と盤を出しながら提案すると「俺が球を投げてもいいなら」と言う。
「キミが狙ったところに球を入れられないとも限らないからね。俺が熟練のキミに勝てる可能性があるとすれば、それは純粋に運任せの勝負だ。赤か黒か、一回限りの……ああ、0が出たときは引き分けにしてほしいんだけど、いいかな?」
 その言葉に、とっても胸が躍る。完全に、二分の一の運任せ。負けるとは思わない。でも、勝てないかも知れない。得意で言えば数字を積み上げて勝ちを取りに行く方が向いているけど、こういうギャンブルもたまには悪くない。「じゃ、私が球を投げ入れてから君が賭けてよ。君が当てれば君の勝ち、外せば私の勝ち。で、どう? それなら私が狙えたとしても意味がない」そう言えば、彼は快く了承した。カラン、と狙わずに投げ入れた球が軽快に盤上を跳ねる。赤か黒か。彼が選んで、行き着く先を二人で固唾を飲んで見守る。
「ちなみに——」
 なんの気なしに訊く。
「そのクズくんの賭けを断るの、体以外は対象じゃなくていいんだよね?」
「……ああ。体以外なら、別に構わないよ。それこそ身ぐるみ剥いでくれても」



「ハァ!? ふっざけんな勝ち逃げなんざ許すわけねーだろ体でもなんでも賭けてやるから勝負しやがれこのギャンブルウサギ女ァ!」
「あはは、君はだめだよー」
「俺はってなんだよ!? あっオイコラ、服返しやがれー!」
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