真夏の恋はシロップ色
(2020/08/26)
「へいお待ち! イチゴとレモンだよ!」
威勢のいい掛け声と共に、客のカップルに削りたてのかき氷を二つ差し出す。一人がカップを二つ持って、もう一人が浴衣のポシェットから財布を取り出した。蒸し暑い空気の中、手を伸ばして差し出された二人分の料金を受け取る。しがないかき氷屋から視線を外し、華やかな浴衣姿で互いに笑い合う二人の女性はどこか初々しい。その背中を見送りながら、俺は思わずため息を吐いた。はあーいいなあ。浴衣デートなんか夏祭りの醍醐味じゃねーか。俺もかわいい彼女と夏祭り来てえなあ。
いやそんな贅沢は言わないからとりあえず今この瞬間隣にいるのがコイツじゃなければなあ。
隣の屋台をちらと見る。そこには近所のガキンチョに出店の屋台にまとわりつかれながら焼きそばを作る銀髪の男がいるだけだ。
「おいガキども! 親に言ってさっさと焼きそば代貰ってこい! 売り上げあがんねーじゃねーか!」
「うわ、ここフラウロスが店番やってんのかよー」
「年上なんだから奢れよケチー」
「ていうかこの前貸した100ゴルド早く返せよなー!」
「オメェら、金がねーならくんじゃねーよ! ほら散った散った!」
シッシッとまるで犬にするみたいに手を払う男の仕草に合わせて、「わー」とガキどもが散っていく。
ていうかこいつ子どもにまで金借りてんのかよ。
流石、クズの名に恥じない行いだ。素行が最悪なことで有名な隣の男は、今はシャツの腕をまくり、タオルを巻いた額に汗を滲ませながら一心に焼きそばの鉄板を温めている。焼けた肉とキャベツとソースの匂いが香ばしい。そうしていると一見普通のにーちゃんだ。が、俺はいつ「よおし、この売り上げで飲もうぜ!」と俺の売り上げも勘定に入れられて手をつけられるか気が気じゃない。
「何でよりにもよってオメェが隣なんだよぉ……」
「ああ? そりゃお互い場所取りに負けたからだろーが」
フラウロスが鬱陶しそうに言う。
そう、ここは出店の列の端も端だった。二人の屋台の向こう側には明かりはなく、夜道には人もまばらだ。行き帰りの人間が通り過ぎるくらい。ここから街の中央に向かうにつれて、出店も人ももっと賑わっていくはずだった。屋台を視界に入れた客が、祭りの端まで来たことを悟って折り返していく。そう、客が店の前までこない。さっきのカップルは奇跡だ。ここにいるのはむさい男二人だけだ。
夏の空に、少し欠けた月がよく見える。
ああ、せめてもうちょっと街中の方だったら俺にも出会いのチャンスが……。
と、世を儚んでいたそのときだ。
俺の視界に、天使が映り込んだ。
いや、天使としか形容しようのない、それは信じられないくらいかわいい女性だった。夜の街になびく桃色のツインテール、愛嬌のある顔立ち、ふわりと漂う名前も知らない花の香り。ひらりと彼女の動きに合わせてひらめく浴衣はまるで澄んだ水を泳ぐ金魚のひれようだ。
小さな舌が、綿飴をちろりと舐めている。
ちら、とこちらを向いた彼女の甘い瞳に、俺は心臓を貫かれてたような衝撃を受けた。
か、かわいい……!
「あっ、あっ、か、かき氷、いかがっすか!」
しかしその天使は俺をスルーして話しかけてきた。
隣に。
「えー? フラウロス、なんでこんなとこいるワケ? アンドラスは?」
は。
あああ!?
「あ? んだよサキュバス、俺は……」
「いやいやいや待て待て待て」
話を遮ってフラウロスの肩にがしりとすがりつく。
「フラウロスお前このかわいい子と知り合いなのかよ!! ズルいだろうが紹介してくれ!?」
「あー? 知らねーよ、勝手に知り合いなれよオメェら」
「ハァイ、優しそうなお兄さん! サーヤのことは、サーヤって呼んでね!」
フラウロスのつれない態度に反して、天使——サーヤはひらりと手を振ってくれた。夜だというのに彼女の周りだけ後光が差し込んで見える。向けられるのはとろけるような笑みだ。
ああー……。
よだれの垂れそうなほどだらしなく口元を緩める俺を無視して、フラウロスはサーヤにチッと舌打ちする。いやなんでこいつサーヤにこんな態度取れるんだ!? 相手は天使なのに!?
「何でここにって、店出してるからだよ。オラ、サキュバス、オメェも買ってけよ。どうせ三人分持っていくんだろーが」
「いや、リリムはそんな食べないしィ……んー、そうじゃなくてさ」
サーヤは小さな唇に指を押し当てながらこてんと首を傾げる。
かわいい。
「今日、アジトで見たアンドラスのテンションが珍しく高かったからァー……てっきり一緒にいるのかと思って」
「は? んでアイツの名前が出てくる」
「んー、違ったぁ? アンドラス、楽しそうに浴衣着てたからデートだとばかり……」
ふ、と蒸し暑いはずの周囲の温度が、一、二度下がった気がした。
フラウロスが低く唸る。
「…………あァ……? 聞いてねーぞ……」
「えっ、あっ、ヤバ、サーヤもしかして地雷踏んじゃった? フラウロス、誘われてない……?」
あっでも、単に友達とお祭り回る約束してただけかもしれないし、デートっていうのはサーヤの勘違いだったかも、ごめ〜ん、ほら、ね、とサーヤが必死に言葉を重ねるが、フラウロスは押し黙ったままだ。その目が剣呑に細まる。
俺には何の話をしているのかはわからないが、焦ったサーヤもかわいいことだけはわかる。
「…………。祭りに来てんのは間違いねーのかよ」
「うん、さっき見かけたよ。独りだったけど……」
「おいシェーヴル」
名前を呼ばれる。え、何、と問いかける間もなく焼きそばのヘラを押し付けられた。
「ちょっと店見てろ」
「あ、おいコラ待てよっ!」
フラウロスは聞く耳を持たなかった。額に巻いたタオルをガッと剥がして投げ捨てると、売り上げの入った鞄をひっつかんで屋台を飛び出す。
「お前ー! どこ行くんだよ俺焼きそばやったことねーんだけど!?」
「やだー情熱的ィ! いいんじゃない、たまには!」
聞こえていたのかいなかったのか、フラウロスは人波を肩でぐいぐいと押し除けて、あっという間に見えなくなってしまった。後に残されたのは俺とサーヤの二人だけだ。ちら、とサーヤを見ると、サーヤはうっとりとフラウロスの去っていった方向を見つめている。
「ねえ」
「は、はひ」
「ロマンスの予感……しない?」
「する!」
俺とサーヤのロマンスが、ついに始まる……!
「だよねえ!」
「サキュバス」
そのとき、不意に彼女を呼ぶ声がした。騒がしい祭りの喧騒の中でも、凛と通る声だ。振り返ると、細身のイケメンと眠そうな女の子が立っている。は、と俺は本能的に敗北を予感した。
これは、負ける。
果たして、サーヤは細身のイケメンの腕に甘えるように抱きついた。
「アガリアレプト、おっそおい!」
「何言ってるの、時間通りよ。あなたが早く来すぎたんだわ」
よくよくやり取りを聞いているとそのイケメンはどうやら女性のようだったが、だからと言って俺に勝ち目のないことに変わりはない。
涙する俺の胸中など知らず、三人は楽しそうに話している。
「アガリアレプトォ。サーヤかき氷食べたい!」
「いいわよ。三人分いただけるかしら」
「わたしは……ブルーハワイがいいな……」
「サーヤはイチゴね!」
「そう、じゃあ私はメロン味を」
「は、はい、毎度あり……!」
「ありがと、おにーさん♡」
かき氷を渡すと、サーヤがチュッと投げキッスくれて、それで俺はお代なんてとてもじゃないけどもらえないから三人でぜひ食べてくれと差し出された代金を返してしまった。そういうわけにはいかない、と告げる女性に「いーじゃん、もらっておこ?」とサーヤが満開の笑顔を向けてくれる、その優しさだけで満たされた気持ちになる。チクショー……今日は出血大サービスだぜ……焼きそばでもなんでも焼いてやるよ……。かき氷器を回しながら焼きそば用のヘラを握り締める。
三人はこれから祭りを楽しむのか、街の中心部に向かって歩き出す。見送るサーヤのツインテールが、祭りの喧騒の中に消えていく。後ろ姿だけでもうかわいいのがわかってしまうのがすごい。
やっぱり天使だあ……。
フラウロスは意外と早く戻ってきた。
片手に浴衣の男を引き連れて。
「あっ、それお前のこれ?」
小指を立てるとフラウロスが顔をしかめて「おっさん臭えよ」と吐き捨てた。うるせえな! ていうか店戻れよ! そう思うがフラウロスは屋台の前から動こうとしない。
もう一人の男の方——これが噂のアンドラスくんだろうか。身を包んでいるのは地味な草色の浴衣だったが、体型がすらりとしているからか不思議と夜の気配によく映えていた。背の丈はフラウロスと同じくらいだ。大人しそうな見た目に反して片耳に光るピアスが、妙に彼の雰囲気を色気立たせている。
その彼が、困ったように笑う。
「フラウロス、手握ってなくてもさ……俺逃げないから」
「うるせー、信じられっかよ。さっきは逃げたくせに」
「だってびっくりしたんだよ。俺も、キミが部屋にいたら誘いたかったんだって……」
そう言いながら、フラウロスは掴んだ手を離そうとしないし(あのフラウロスが、だ!)、アンドラスくんも無理に振り解こうとしない。
俺は今、何を目にしているんだろう……とぼんやりと思う。
「じゃ、シェーヴル。かき氷二つよこしな。ツケでな」
「いややるかよ!? むしろお前が払えよ留守番代を!?」
「はァー?」
「ああ、俺が買うよ」
アンドラスくんが物分かりよく財布を出してはい、と二人分の料金をこちらへ差し出してくる。見たところ、まだ年若い、学生といっても通るくらいの年齢だ。こんなクズと付き合ってるとお金がいくらあっても足りないんじゃないか? けれど俺の心配に反して、アンドラスくんは楽しそうにフラウロスに「味はどうする?」なんて聞いている。フラウロスもフラウロスで「お? そうだな……」なんて真剣に考え込んでいるものだから、俺は少し驚いてしまった。
意外と普通のカップルやるんだな、と思って。
じゃあこれで、と指差された味を確認して、オーダーの通りシロップをかける。ブルーハワイとメロンだ。手渡すと、ブルーハワイはフラウロスの手に、メロンはアンドラスくんの手に渡った。フラウロスが上機嫌で俺に手を振る。
「じゃな、ちゃんと店番やっとけよー」
「いやお前の店だよ!!」
俺の抗議もどこ吹く風で、フラウロスはアンドラスくんを連れて道の脇に逸れたかと思うと、少し離れた石積み花壇に腰掛けた。そのまま二人でシャクシャクとかき氷を食べている。声は聞こえないが、何やら親しげに話す様子が空気越しに伝わってくる。フラウロスが悪そうに笑って、それに対してアンドラスくんが笑顔を見せる。フラウロスの顔がげえっと歪んで、アハハとアンドラスくんが笑う。ああ、本当に付き合ってるんだな、と自然とわかる距離感だった。アンドラスくんが騙されてるんじゃないか、と一瞬思わないでもなかったが、多分、違うんだろう。
フラウロスの顔が綻ぶのが見える。
「ねえおじちゃーん、焼きそば一つ!」
「お、おじちゃんだと……」
客の子どもの何気ない一言に、焼きそばを詰めて手渡しながらこっそり俺は涙する。
でもいいさ、今夜は若い連中がラブを育んでるのを見るのも悪くないしな……。
と、遠くの暗がりでんべ、とフラウロスが舌を出すのがわかった。かき氷のシロップの色で染まったその舌は真っ青だ。アンドラスくんもそれに釣られてべ、と舌を出す。こちらは血色の悪い緑色。二人で互いの間抜けな舌を指差して笑い合う。
不意にフラウロスがかき氷を石積み花壇に置き、アンドラスくんの頭に両手を伸ばしたかと思うと、ベロとベロをくっつけるようにキスをした。
遠目に見ていた俺は思わず焼きそばのヘラを取り落とす。
だがフラウロスはやめる気配はない。
明かりの少ない闇の中で、二人の影がぴたりと同化していく。
少しの間があって、二人が一瞬離れた。
フラウロスがじっと視線で熱を注いで。
アンドラスくんが、フラウロスにすがりつく。
その、顔。
……い、いや、お前らー!!
俺は勢い余って作った焼きそばを二つ持って屋台を飛び出す。
「あ? んだよシェーヴル、邪魔すんなって」
「うるさい、ちゅー以上は家でやれ!!」
そう怒鳴りながらちらと見たアンドラスくんの頰は微かに赤くて、うおお頑張れ青少年……!と念じながら俺はフラウロスに嫌がらせのように熱々の焼きそばを押し付けてやった。
「へいお待ち! イチゴとレモンだよ!」
威勢のいい掛け声と共に、客のカップルに削りたてのかき氷を二つ差し出す。一人がカップを二つ持って、もう一人が浴衣のポシェットから財布を取り出した。蒸し暑い空気の中、手を伸ばして差し出された二人分の料金を受け取る。しがないかき氷屋から視線を外し、華やかな浴衣姿で互いに笑い合う二人の女性はどこか初々しい。その背中を見送りながら、俺は思わずため息を吐いた。はあーいいなあ。浴衣デートなんか夏祭りの醍醐味じゃねーか。俺もかわいい彼女と夏祭り来てえなあ。
いやそんな贅沢は言わないからとりあえず今この瞬間隣にいるのがコイツじゃなければなあ。
隣の屋台をちらと見る。そこには近所のガキンチョに出店の屋台にまとわりつかれながら焼きそばを作る銀髪の男がいるだけだ。
「おいガキども! 親に言ってさっさと焼きそば代貰ってこい! 売り上げあがんねーじゃねーか!」
「うわ、ここフラウロスが店番やってんのかよー」
「年上なんだから奢れよケチー」
「ていうかこの前貸した100ゴルド早く返せよなー!」
「オメェら、金がねーならくんじゃねーよ! ほら散った散った!」
シッシッとまるで犬にするみたいに手を払う男の仕草に合わせて、「わー」とガキどもが散っていく。
ていうかこいつ子どもにまで金借りてんのかよ。
流石、クズの名に恥じない行いだ。素行が最悪なことで有名な隣の男は、今はシャツの腕をまくり、タオルを巻いた額に汗を滲ませながら一心に焼きそばの鉄板を温めている。焼けた肉とキャベツとソースの匂いが香ばしい。そうしていると一見普通のにーちゃんだ。が、俺はいつ「よおし、この売り上げで飲もうぜ!」と俺の売り上げも勘定に入れられて手をつけられるか気が気じゃない。
「何でよりにもよってオメェが隣なんだよぉ……」
「ああ? そりゃお互い場所取りに負けたからだろーが」
フラウロスが鬱陶しそうに言う。
そう、ここは出店の列の端も端だった。二人の屋台の向こう側には明かりはなく、夜道には人もまばらだ。行き帰りの人間が通り過ぎるくらい。ここから街の中央に向かうにつれて、出店も人ももっと賑わっていくはずだった。屋台を視界に入れた客が、祭りの端まで来たことを悟って折り返していく。そう、客が店の前までこない。さっきのカップルは奇跡だ。ここにいるのはむさい男二人だけだ。
夏の空に、少し欠けた月がよく見える。
ああ、せめてもうちょっと街中の方だったら俺にも出会いのチャンスが……。
と、世を儚んでいたそのときだ。
俺の視界に、天使が映り込んだ。
いや、天使としか形容しようのない、それは信じられないくらいかわいい女性だった。夜の街になびく桃色のツインテール、愛嬌のある顔立ち、ふわりと漂う名前も知らない花の香り。ひらりと彼女の動きに合わせてひらめく浴衣はまるで澄んだ水を泳ぐ金魚のひれようだ。
小さな舌が、綿飴をちろりと舐めている。
ちら、とこちらを向いた彼女の甘い瞳に、俺は心臓を貫かれてたような衝撃を受けた。
か、かわいい……!
「あっ、あっ、か、かき氷、いかがっすか!」
しかしその天使は俺をスルーして話しかけてきた。
隣に。
「えー? フラウロス、なんでこんなとこいるワケ? アンドラスは?」
は。
あああ!?
「あ? んだよサキュバス、俺は……」
「いやいやいや待て待て待て」
話を遮ってフラウロスの肩にがしりとすがりつく。
「フラウロスお前このかわいい子と知り合いなのかよ!! ズルいだろうが紹介してくれ!?」
「あー? 知らねーよ、勝手に知り合いなれよオメェら」
「ハァイ、優しそうなお兄さん! サーヤのことは、サーヤって呼んでね!」
フラウロスのつれない態度に反して、天使——サーヤはひらりと手を振ってくれた。夜だというのに彼女の周りだけ後光が差し込んで見える。向けられるのはとろけるような笑みだ。
ああー……。
よだれの垂れそうなほどだらしなく口元を緩める俺を無視して、フラウロスはサーヤにチッと舌打ちする。いやなんでこいつサーヤにこんな態度取れるんだ!? 相手は天使なのに!?
「何でここにって、店出してるからだよ。オラ、サキュバス、オメェも買ってけよ。どうせ三人分持っていくんだろーが」
「いや、リリムはそんな食べないしィ……んー、そうじゃなくてさ」
サーヤは小さな唇に指を押し当てながらこてんと首を傾げる。
かわいい。
「今日、アジトで見たアンドラスのテンションが珍しく高かったからァー……てっきり一緒にいるのかと思って」
「は? んでアイツの名前が出てくる」
「んー、違ったぁ? アンドラス、楽しそうに浴衣着てたからデートだとばかり……」
ふ、と蒸し暑いはずの周囲の温度が、一、二度下がった気がした。
フラウロスが低く唸る。
「…………あァ……? 聞いてねーぞ……」
「えっ、あっ、ヤバ、サーヤもしかして地雷踏んじゃった? フラウロス、誘われてない……?」
あっでも、単に友達とお祭り回る約束してただけかもしれないし、デートっていうのはサーヤの勘違いだったかも、ごめ〜ん、ほら、ね、とサーヤが必死に言葉を重ねるが、フラウロスは押し黙ったままだ。その目が剣呑に細まる。
俺には何の話をしているのかはわからないが、焦ったサーヤもかわいいことだけはわかる。
「…………。祭りに来てんのは間違いねーのかよ」
「うん、さっき見かけたよ。独りだったけど……」
「おいシェーヴル」
名前を呼ばれる。え、何、と問いかける間もなく焼きそばのヘラを押し付けられた。
「ちょっと店見てろ」
「あ、おいコラ待てよっ!」
フラウロスは聞く耳を持たなかった。額に巻いたタオルをガッと剥がして投げ捨てると、売り上げの入った鞄をひっつかんで屋台を飛び出す。
「お前ー! どこ行くんだよ俺焼きそばやったことねーんだけど!?」
「やだー情熱的ィ! いいんじゃない、たまには!」
聞こえていたのかいなかったのか、フラウロスは人波を肩でぐいぐいと押し除けて、あっという間に見えなくなってしまった。後に残されたのは俺とサーヤの二人だけだ。ちら、とサーヤを見ると、サーヤはうっとりとフラウロスの去っていった方向を見つめている。
「ねえ」
「は、はひ」
「ロマンスの予感……しない?」
「する!」
俺とサーヤのロマンスが、ついに始まる……!
「だよねえ!」
「サキュバス」
そのとき、不意に彼女を呼ぶ声がした。騒がしい祭りの喧騒の中でも、凛と通る声だ。振り返ると、細身のイケメンと眠そうな女の子が立っている。は、と俺は本能的に敗北を予感した。
これは、負ける。
果たして、サーヤは細身のイケメンの腕に甘えるように抱きついた。
「アガリアレプト、おっそおい!」
「何言ってるの、時間通りよ。あなたが早く来すぎたんだわ」
よくよくやり取りを聞いているとそのイケメンはどうやら女性のようだったが、だからと言って俺に勝ち目のないことに変わりはない。
涙する俺の胸中など知らず、三人は楽しそうに話している。
「アガリアレプトォ。サーヤかき氷食べたい!」
「いいわよ。三人分いただけるかしら」
「わたしは……ブルーハワイがいいな……」
「サーヤはイチゴね!」
「そう、じゃあ私はメロン味を」
「は、はい、毎度あり……!」
「ありがと、おにーさん♡」
かき氷を渡すと、サーヤがチュッと投げキッスくれて、それで俺はお代なんてとてもじゃないけどもらえないから三人でぜひ食べてくれと差し出された代金を返してしまった。そういうわけにはいかない、と告げる女性に「いーじゃん、もらっておこ?」とサーヤが満開の笑顔を向けてくれる、その優しさだけで満たされた気持ちになる。チクショー……今日は出血大サービスだぜ……焼きそばでもなんでも焼いてやるよ……。かき氷器を回しながら焼きそば用のヘラを握り締める。
三人はこれから祭りを楽しむのか、街の中心部に向かって歩き出す。見送るサーヤのツインテールが、祭りの喧騒の中に消えていく。後ろ姿だけでもうかわいいのがわかってしまうのがすごい。
やっぱり天使だあ……。
フラウロスは意外と早く戻ってきた。
片手に浴衣の男を引き連れて。
「あっ、それお前のこれ?」
小指を立てるとフラウロスが顔をしかめて「おっさん臭えよ」と吐き捨てた。うるせえな! ていうか店戻れよ! そう思うがフラウロスは屋台の前から動こうとしない。
もう一人の男の方——これが噂のアンドラスくんだろうか。身を包んでいるのは地味な草色の浴衣だったが、体型がすらりとしているからか不思議と夜の気配によく映えていた。背の丈はフラウロスと同じくらいだ。大人しそうな見た目に反して片耳に光るピアスが、妙に彼の雰囲気を色気立たせている。
その彼が、困ったように笑う。
「フラウロス、手握ってなくてもさ……俺逃げないから」
「うるせー、信じられっかよ。さっきは逃げたくせに」
「だってびっくりしたんだよ。俺も、キミが部屋にいたら誘いたかったんだって……」
そう言いながら、フラウロスは掴んだ手を離そうとしないし(あのフラウロスが、だ!)、アンドラスくんも無理に振り解こうとしない。
俺は今、何を目にしているんだろう……とぼんやりと思う。
「じゃ、シェーヴル。かき氷二つよこしな。ツケでな」
「いややるかよ!? むしろお前が払えよ留守番代を!?」
「はァー?」
「ああ、俺が買うよ」
アンドラスくんが物分かりよく財布を出してはい、と二人分の料金をこちらへ差し出してくる。見たところ、まだ年若い、学生といっても通るくらいの年齢だ。こんなクズと付き合ってるとお金がいくらあっても足りないんじゃないか? けれど俺の心配に反して、アンドラスくんは楽しそうにフラウロスに「味はどうする?」なんて聞いている。フラウロスもフラウロスで「お? そうだな……」なんて真剣に考え込んでいるものだから、俺は少し驚いてしまった。
意外と普通のカップルやるんだな、と思って。
じゃあこれで、と指差された味を確認して、オーダーの通りシロップをかける。ブルーハワイとメロンだ。手渡すと、ブルーハワイはフラウロスの手に、メロンはアンドラスくんの手に渡った。フラウロスが上機嫌で俺に手を振る。
「じゃな、ちゃんと店番やっとけよー」
「いやお前の店だよ!!」
俺の抗議もどこ吹く風で、フラウロスはアンドラスくんを連れて道の脇に逸れたかと思うと、少し離れた石積み花壇に腰掛けた。そのまま二人でシャクシャクとかき氷を食べている。声は聞こえないが、何やら親しげに話す様子が空気越しに伝わってくる。フラウロスが悪そうに笑って、それに対してアンドラスくんが笑顔を見せる。フラウロスの顔がげえっと歪んで、アハハとアンドラスくんが笑う。ああ、本当に付き合ってるんだな、と自然とわかる距離感だった。アンドラスくんが騙されてるんじゃないか、と一瞬思わないでもなかったが、多分、違うんだろう。
フラウロスの顔が綻ぶのが見える。
「ねえおじちゃーん、焼きそば一つ!」
「お、おじちゃんだと……」
客の子どもの何気ない一言に、焼きそばを詰めて手渡しながらこっそり俺は涙する。
でもいいさ、今夜は若い連中がラブを育んでるのを見るのも悪くないしな……。
と、遠くの暗がりでんべ、とフラウロスが舌を出すのがわかった。かき氷のシロップの色で染まったその舌は真っ青だ。アンドラスくんもそれに釣られてべ、と舌を出す。こちらは血色の悪い緑色。二人で互いの間抜けな舌を指差して笑い合う。
不意にフラウロスがかき氷を石積み花壇に置き、アンドラスくんの頭に両手を伸ばしたかと思うと、ベロとベロをくっつけるようにキスをした。
遠目に見ていた俺は思わず焼きそばのヘラを取り落とす。
だがフラウロスはやめる気配はない。
明かりの少ない闇の中で、二人の影がぴたりと同化していく。
少しの間があって、二人が一瞬離れた。
フラウロスがじっと視線で熱を注いで。
アンドラスくんが、フラウロスにすがりつく。
その、顔。
……い、いや、お前らー!!
俺は勢い余って作った焼きそばを二つ持って屋台を飛び出す。
「あ? んだよシェーヴル、邪魔すんなって」
「うるさい、ちゅー以上は家でやれ!!」
そう怒鳴りながらちらと見たアンドラスくんの頰は微かに赤くて、うおお頑張れ青少年……!と念じながら俺はフラウロスに嫌がらせのように熱々の焼きそばを押し付けてやった。
1/1ページ