水と胚と
(2020/05/30)
「ガッ……」
がしゃ、と磁器の割れるような耳障りな音が響いた。ばしゃ、となにか水の塊が地面に叩きつけられる音、それと仲間のうめき声。
「アンドラス……!」
焦ったようなソロモンの声に振り返れば、アンドラスが真っ青な顔で立ち尽くしていた。脇腹を押さえる手から、不思議な色をした液体がドクドクと漏れ出している。正面のでかいカマキリ型の幻獣がなおも攻撃しようとその巨大なハサミを振り上げるが、地面にかがみ込んだアンドラスは反応しない。ただ肩で息をしてぐっと何かを堪えている。チッ、と舌打ちが出た。何ぼさっとしてる。目の前の幻獣を素早く仕留め、「クソヴィータ、フォトン回せッ!」と怒鳴りながら地面を蹴る。視線の先で幻獣を挟んだ反対側から駆け寄るウヴァルと一瞬目が合った。合図はいらなかった。同時に跳んで挟撃をかまし、そのデカブツを仕留める。幻獣はそれで最後だ。
「アンドラス! 大丈夫か!」
「あ、ああ……悪い、ソロモン、回復に、フォトン……を……」
アンドラスは言いながら膝をつき、ソロモンの肩を体を支えるように掴んだ。しかしそれも一瞬だ。ふっと目を閉じたかと思うと、無防備に地面に倒れ込む。
呼びかけても返事がない。
まずい。意識を失っている。「ブニ、オーブを!」「わかった!」掲げられたアビシニアンも効果がない。
コイツが割れた、と思ったからだ。服をめくって腹を探ると、果たしてその液槽を擁した腹に、縦に一線、亀裂が入っているのが視えた。水より僅かに粘性のある液体が欠けた部分からどろりと流れ出している。破損部分をなるべく上向けるように体を傾けるが、反対側にも同様の損傷があるのか漏れ出す液体を防げない。フォトンによる回復は生物の部分には効くだろうが無機物の修復には効果がない。メギド体のイメージ表出部分だ。コイツが目を覚まさないことには話にならねえ。
じわじわと、柔らかい土が液体を吸って黒ずむ。
「……おいクソヴィータ、俺を再召喚しろ!」
「え? でも……」
「いいから早くしろッ! ほっときゃやべーだろ!」
「……! フラウロス、頼むっ!」
目の前にいる青年に一瞬呼ばれる感覚。光が視界を奪って、元通りに少し枯れた森の色が戻る頃には体にみなぎる力の種類が異なるのを感じる。
その勢いのまま倒れ伏したアンドラスの側に剣を突き立てる。
「クッソ、さっさと目ェ覚ませよ……」
『いーい、水に形を与えてやんのよ』
頭をよぎるのはリヴァイアサンの言葉だ。
『この子達は基本自由だからねー、誰にもなーんにも言われなかったら、上から下へ、『重力』のかかる方へ、流れやすい方に惰性で流れていく。それに意識を与えてやんのよ、お前はこういう形だっただろーって。意識は力になる。それこそ爆発的な力にね。ハイドロボムってのは、そういう技術よ』
目を閉じて土の中に意識を集中する。そこにいる水、水分から、アンドラスの中身だけを選り分けて力を与えてやる。オメェらアンドラスのもんだろう、勝手に抜けてんじゃねーぞオラッ。そうしてみると存外聞き分けがよく、すい、と土中から水分が玉となって滲み出し、宙に不安定な球体を形成する。
そいつを寄せて、腹の割れてる部分を覆うようにくっつけてやる。腹の中身はぐるぐるとボムの液体と合流して球体の中に流れを作ったが、それ以上は出てこなくなった。
「……おいクソヴィータ。コイツの目が覚めるまでフォトン切らすなよ」
「ああ……!」
クッソと呻く。いつの間にか額には汗が滲んでいた。アイムやサカナ女みてーに『練れる』奴等ならともかく、俺はコレの扱いには自信がない。
俺がオメェの腹爆破させちまう前にとっとと起きろよ。
浮かぶボムは普段と違って洞窟の底に広がる湖のような蛍光色だ。
◇ ◇ ◇
「ウオ」
どうにも好きになれない、と思うのはヴィータの肉体の方が好きだというのでは決してなく、ただこちらからの接触に対して反応がない点で拒絶を感じるからだ。
肉の方が大分素直でいい。指で押せば皮膚は沈むし、柔く撫でれば性感をかしこく拾う。
だから服をめくって、半透明な液体の中にベッドの向こう側が透けて見えるのを目にしたとき、俺は思わずゲ、と顔をしかめた。俺の足を跨ぐように膝立ちになって着衣を脱ごうとしていたアンドラスは、俺の声に反応して顔を上げ、視線を追い、それから少ししてようやく「ああ」と首を傾げた。
「嫌だった? ごめんごめん、しまうよ」
「いや……」
嫌か、と問われれば別に嫌じゃねーけど。気まぐれにコツコツとその透明で硬質な腹を爪で叩くが、特に何かなるわけでもない。反応がねえから、触り甲斐もねえ。
「これ、感覚あんのか?」
「いいや? 無機物だからその部分はないよ。状態の観測は視覚に頼る部分が大きくなるな」
「フーン……」
撫でる。触感はガラスに近い。厚さは結構あるみたいだが、武器で殴れば割れそうだとも思う。
俺の考えを読み取ったのか、アンドラスが苦笑する。
「アハハ、ヴィータの肉より硬いよ。それに誰だって腹を思い切り横から殴りつけられたら無事じゃ済まないだろ。そう考えれば、生身より損傷の危険は少ないと思うけど」
「そりゃそうだ」
「じゃ、いいかいフラウロス、そろそろ……」
しまわせてくれ、と続けようとした口を塞ぐようにキスしたのは気まぐれでだ。後頭部を捕まえて、首筋を撫でるとまるでそれに反応したようにコポ、と気泡の音が漏れる。
反応がない、と思っていたが、そういやこのまましたことねーな。
「おもしれえからこのまま一回やってみよーぜ」
「ええ……いいけど、割らないでくれよ」
「丈夫なんだろ? つーかこの前メンテナンスっつって中身全部抜いてたじゃねーか、割れても大丈夫なんじゃねーの?」
「抜くには色々と準備がいるんだ。俺は血のようなものと認識しているから、まあ割れても体の構造的に命は落とさないだろうけど……」
俺が腹をさするのをむず痒そうに眺めながら、アンドラスは言っていた。
「多分、急に抜けるとショックで色々体に不調はきたすよ」
多分、死にはしないだろうけど、と眉を下げて笑った。
◇ ◇ ◇
こぽ、と。
かすかな気泡の音と共に閉じていた瞼が持ち上げられる。
「フラウロス……?」
かすれた声で名前を呼ばれて息を吐いた。やっと目ェ覚ましたかよ、と嫌味を言う余力はまだない。
アンドラスはその目をフラウロスの背後の空に留め、状況の把握のために周囲に留め、それから自分の腹に目を留めた。小首を傾げる。
「あれ? 死んでない」
「そうだよ、いーからとっとと腹直せ! 中身その辺にぶち撒けんぞ」
「……ああ、そうか、キミが」
悪いね、と言い終わらないうちに腹を一無でしたアンドラスの手の下で、割れた腹がみるみるうちに形を取り戻していく。俺はその中にボムを押し込む。
ぽちゃん、とボムはその中に収まった。
もう寝てていいぜ。腹を撫でてそう呼びかけると、それを合図に爆発するためのエネルギーを孕んだ液体は途端しゅうと空気の抜けた風船のようにおとなしくなる。勢いが萎んで、最後にアンドラスの腹の中で、ぽちゃん、ともう一度跳ねた。
その様子を、アンドラスが不思議な面持ちで眺めていた。自分の腹と、それを撫でる俺の手を。俺は何も言わず、その視線を振り切るように立ち上がる。
「……っかーーー、疲れたぜ……おい、俺に何させやがる! ガラじゃねーだろこんなもん!」
「すごいじゃないか、フラウロス! アンドラスは大丈夫か?」
「……ソロモン。ああ、平気だ。さっきは油断してすまなかったね。フラウロスのお陰で回復も早いよ」
ニコ、と笑うアンドラスはいつもどおりだ。焦った様子もない。つーか死ぬわけじゃねーんだからなんで俺もこんなに必死になってんだ? 放っておいてもよかったんじゃねーのと、なんだか今になって思い返して、つい数分前の自分がバカのように思えてくる。
「なあ、フラウロス……」
「うるせーな! 礼は金なら受け取ってやるよ」
多分、ぱち、とびっくりしたみたいに瞬いてるだろう。礼くらい言わせてくれよと。俺はどうしてもその面を真正面から見られなかった。俺が今したのは別に大したことじゃねえ。礼なんか言われても鬱陶しいだけだ。瞬時にそう思考を組み立てる。「いいから先行こーぜ! ったく、オメェの所為で無駄な時間食っちまったじゃねーか、今日は奢れよなー」
「……ああ。ソロモン、幻獣は?」
「さっきので最後だよ。街に戻ろう」
アンドラスは俺の言葉を律儀に守って、街へ着くまで礼を口にしなかった。ただ、道中ちらと振り返って盗み見たアンドラスは、一度だけふと思い出したように自分の腹に視線を落として、何か大事なものでも詰まっているかのように一つ、撫でた。
「ガッ……」
がしゃ、と磁器の割れるような耳障りな音が響いた。ばしゃ、となにか水の塊が地面に叩きつけられる音、それと仲間のうめき声。
「アンドラス……!」
焦ったようなソロモンの声に振り返れば、アンドラスが真っ青な顔で立ち尽くしていた。脇腹を押さえる手から、不思議な色をした液体がドクドクと漏れ出している。正面のでかいカマキリ型の幻獣がなおも攻撃しようとその巨大なハサミを振り上げるが、地面にかがみ込んだアンドラスは反応しない。ただ肩で息をしてぐっと何かを堪えている。チッ、と舌打ちが出た。何ぼさっとしてる。目の前の幻獣を素早く仕留め、「クソヴィータ、フォトン回せッ!」と怒鳴りながら地面を蹴る。視線の先で幻獣を挟んだ反対側から駆け寄るウヴァルと一瞬目が合った。合図はいらなかった。同時に跳んで挟撃をかまし、そのデカブツを仕留める。幻獣はそれで最後だ。
「アンドラス! 大丈夫か!」
「あ、ああ……悪い、ソロモン、回復に、フォトン……を……」
アンドラスは言いながら膝をつき、ソロモンの肩を体を支えるように掴んだ。しかしそれも一瞬だ。ふっと目を閉じたかと思うと、無防備に地面に倒れ込む。
呼びかけても返事がない。
まずい。意識を失っている。「ブニ、オーブを!」「わかった!」掲げられたアビシニアンも効果がない。
コイツが割れた、と思ったからだ。服をめくって腹を探ると、果たしてその液槽を擁した腹に、縦に一線、亀裂が入っているのが視えた。水より僅かに粘性のある液体が欠けた部分からどろりと流れ出している。破損部分をなるべく上向けるように体を傾けるが、反対側にも同様の損傷があるのか漏れ出す液体を防げない。フォトンによる回復は生物の部分には効くだろうが無機物の修復には効果がない。メギド体のイメージ表出部分だ。コイツが目を覚まさないことには話にならねえ。
じわじわと、柔らかい土が液体を吸って黒ずむ。
「……おいクソヴィータ、俺を再召喚しろ!」
「え? でも……」
「いいから早くしろッ! ほっときゃやべーだろ!」
「……! フラウロス、頼むっ!」
目の前にいる青年に一瞬呼ばれる感覚。光が視界を奪って、元通りに少し枯れた森の色が戻る頃には体にみなぎる力の種類が異なるのを感じる。
その勢いのまま倒れ伏したアンドラスの側に剣を突き立てる。
「クッソ、さっさと目ェ覚ませよ……」
『いーい、水に形を与えてやんのよ』
頭をよぎるのはリヴァイアサンの言葉だ。
『この子達は基本自由だからねー、誰にもなーんにも言われなかったら、上から下へ、『重力』のかかる方へ、流れやすい方に惰性で流れていく。それに意識を与えてやんのよ、お前はこういう形だっただろーって。意識は力になる。それこそ爆発的な力にね。ハイドロボムってのは、そういう技術よ』
目を閉じて土の中に意識を集中する。そこにいる水、水分から、アンドラスの中身だけを選り分けて力を与えてやる。オメェらアンドラスのもんだろう、勝手に抜けてんじゃねーぞオラッ。そうしてみると存外聞き分けがよく、すい、と土中から水分が玉となって滲み出し、宙に不安定な球体を形成する。
そいつを寄せて、腹の割れてる部分を覆うようにくっつけてやる。腹の中身はぐるぐるとボムの液体と合流して球体の中に流れを作ったが、それ以上は出てこなくなった。
「……おいクソヴィータ。コイツの目が覚めるまでフォトン切らすなよ」
「ああ……!」
クッソと呻く。いつの間にか額には汗が滲んでいた。アイムやサカナ女みてーに『練れる』奴等ならともかく、俺はコレの扱いには自信がない。
俺がオメェの腹爆破させちまう前にとっとと起きろよ。
浮かぶボムは普段と違って洞窟の底に広がる湖のような蛍光色だ。
◇ ◇ ◇
「ウオ」
どうにも好きになれない、と思うのはヴィータの肉体の方が好きだというのでは決してなく、ただこちらからの接触に対して反応がない点で拒絶を感じるからだ。
肉の方が大分素直でいい。指で押せば皮膚は沈むし、柔く撫でれば性感をかしこく拾う。
だから服をめくって、半透明な液体の中にベッドの向こう側が透けて見えるのを目にしたとき、俺は思わずゲ、と顔をしかめた。俺の足を跨ぐように膝立ちになって着衣を脱ごうとしていたアンドラスは、俺の声に反応して顔を上げ、視線を追い、それから少ししてようやく「ああ」と首を傾げた。
「嫌だった? ごめんごめん、しまうよ」
「いや……」
嫌か、と問われれば別に嫌じゃねーけど。気まぐれにコツコツとその透明で硬質な腹を爪で叩くが、特に何かなるわけでもない。反応がねえから、触り甲斐もねえ。
「これ、感覚あんのか?」
「いいや? 無機物だからその部分はないよ。状態の観測は視覚に頼る部分が大きくなるな」
「フーン……」
撫でる。触感はガラスに近い。厚さは結構あるみたいだが、武器で殴れば割れそうだとも思う。
俺の考えを読み取ったのか、アンドラスが苦笑する。
「アハハ、ヴィータの肉より硬いよ。それに誰だって腹を思い切り横から殴りつけられたら無事じゃ済まないだろ。そう考えれば、生身より損傷の危険は少ないと思うけど」
「そりゃそうだ」
「じゃ、いいかいフラウロス、そろそろ……」
しまわせてくれ、と続けようとした口を塞ぐようにキスしたのは気まぐれでだ。後頭部を捕まえて、首筋を撫でるとまるでそれに反応したようにコポ、と気泡の音が漏れる。
反応がない、と思っていたが、そういやこのまましたことねーな。
「おもしれえからこのまま一回やってみよーぜ」
「ええ……いいけど、割らないでくれよ」
「丈夫なんだろ? つーかこの前メンテナンスっつって中身全部抜いてたじゃねーか、割れても大丈夫なんじゃねーの?」
「抜くには色々と準備がいるんだ。俺は血のようなものと認識しているから、まあ割れても体の構造的に命は落とさないだろうけど……」
俺が腹をさするのをむず痒そうに眺めながら、アンドラスは言っていた。
「多分、急に抜けるとショックで色々体に不調はきたすよ」
多分、死にはしないだろうけど、と眉を下げて笑った。
◇ ◇ ◇
こぽ、と。
かすかな気泡の音と共に閉じていた瞼が持ち上げられる。
「フラウロス……?」
かすれた声で名前を呼ばれて息を吐いた。やっと目ェ覚ましたかよ、と嫌味を言う余力はまだない。
アンドラスはその目をフラウロスの背後の空に留め、状況の把握のために周囲に留め、それから自分の腹に目を留めた。小首を傾げる。
「あれ? 死んでない」
「そうだよ、いーからとっとと腹直せ! 中身その辺にぶち撒けんぞ」
「……ああ、そうか、キミが」
悪いね、と言い終わらないうちに腹を一無でしたアンドラスの手の下で、割れた腹がみるみるうちに形を取り戻していく。俺はその中にボムを押し込む。
ぽちゃん、とボムはその中に収まった。
もう寝てていいぜ。腹を撫でてそう呼びかけると、それを合図に爆発するためのエネルギーを孕んだ液体は途端しゅうと空気の抜けた風船のようにおとなしくなる。勢いが萎んで、最後にアンドラスの腹の中で、ぽちゃん、ともう一度跳ねた。
その様子を、アンドラスが不思議な面持ちで眺めていた。自分の腹と、それを撫でる俺の手を。俺は何も言わず、その視線を振り切るように立ち上がる。
「……っかーーー、疲れたぜ……おい、俺に何させやがる! ガラじゃねーだろこんなもん!」
「すごいじゃないか、フラウロス! アンドラスは大丈夫か?」
「……ソロモン。ああ、平気だ。さっきは油断してすまなかったね。フラウロスのお陰で回復も早いよ」
ニコ、と笑うアンドラスはいつもどおりだ。焦った様子もない。つーか死ぬわけじゃねーんだからなんで俺もこんなに必死になってんだ? 放っておいてもよかったんじゃねーのと、なんだか今になって思い返して、つい数分前の自分がバカのように思えてくる。
「なあ、フラウロス……」
「うるせーな! 礼は金なら受け取ってやるよ」
多分、ぱち、とびっくりしたみたいに瞬いてるだろう。礼くらい言わせてくれよと。俺はどうしてもその面を真正面から見られなかった。俺が今したのは別に大したことじゃねえ。礼なんか言われても鬱陶しいだけだ。瞬時にそう思考を組み立てる。「いいから先行こーぜ! ったく、オメェの所為で無駄な時間食っちまったじゃねーか、今日は奢れよなー」
「……ああ。ソロモン、幻獣は?」
「さっきので最後だよ。街に戻ろう」
アンドラスは俺の言葉を律儀に守って、街へ着くまで礼を口にしなかった。ただ、道中ちらと振り返って盗み見たアンドラスは、一度だけふと思い出したように自分の腹に視線を落として、何か大事なものでも詰まっているかのように一つ、撫でた。
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