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ここは空座総合病院小児科。
石田雨竜医師を筆頭に、腕のいい医療従事者たちが日々、患児とその保護者を治療・指導している。
待合室は体調が悪くて機嫌が悪い子供、注射が嫌で泣く子供、体調不良がなんのその、元気におもちゃや絵本で遊び、はしゃぐ子供、そしてその子供を連れてきて疲労困憊の保護者達。それでもなお、病院では静かにしなさい、としつけをしているのはさすがだ。
ひとりの子供に定期の予防接種を施し、泣き叫ぶその子にお気に入りのキャラクターシールを渡して保護者に次は健診でお会いしましょうね、と伝えて会計のため待合で待つように指示し、看護師に次の患児を連れてくるように伝える。
「花江はなちゃん。第一診察室へどうぞ」
電子カルテをはなちゃんにして、入ってくるのを待つ。
目を赤くはらして、しゃくりあげながらお母さんと入ってくるその子は、ピンクのふわふわした子供用のドレスを着ていた。
「今日はムンプスとMR……、おたふくかぜと麻しん風しんの混合ワクチンで間違いないですか?」
「はい」
お母さんが持ってきた母子手帳を確認してはいるが、注射の間違いがないように確認しておく。
背後にベテランナースの神田さんが二本の注射を準備している。
「い!や! はなちゃん、注射しない」
はなちゃんは泣きはらした赤い目で最後の抵抗をする。
女児が男児と違うのは泣き叫んで床に寝転んで暴れたりせず、泣いたりするものの、暴れたりすることが少ないことだ。
はなちゃんも、お母さんの背中に隠れて泣きながら首を横に振っていやいやしている。
「はなちゃん、ほらこっち。チックンで終わるから」
「お母さん、終わったらはなちゃんをたくさんほめてあげてくださいね」
「はい……」
「はなちゃん、いや、姫? お手をお貸しくださいな。チックンさせてください」
診察用の椅子から降りて、はなちゃんの目線に合わせて注射の懇願をする。
この子のお母さんが空座町に途中で引っ越してきて、父が受け持っていたときからの付き合いだ。はなちゃんのことはきっと小児科が担当外になるまで見守ることになるだろう。
仮に一見さんだったとしても、信頼関係を損なう態度をとるのは僕の信念に反する。
はなちゃんが、もじもじとしながら腕を差し出してきた。
「……痛くないようにして」
「ありがとう、姫。2つあるから、頑張ってね」
痛くないように、そして痛かったとしても痛みは最小限活短時間になるように手早く注射を済ませる。
はなちゃんは一度覚悟を決めたら肝が据わるのか、ほかの子とは違って震えたり腕を動かしたりしなかった分、僕も実力を十分発揮して痛くないようにできたはずだ。
「……! いたくない」
「はい、お疲れさまでした。これ、チックン頑張った僕からのプレゼントです。」
「お疲れさまでした。母子手帳はお会計の際受付でお返しします。では待合でお待ちください。お大事に」
神田さんが診察室のドアを開けて、二人を待合へ促す。
手をつないで二人は待合へ行く。
「いしだセンセ、ありがと。あなたははなちゃんの王子様ね!」
お母さんの手をぎゅっとつないで、振り返ってお姫様は僕にシールを持った手を振りながら帰っていった。
「さとうみなとくん、第一診察室へどうぞ」
今日も、頑張ろうか。
次の小さな暴れん坊な怪獣は手ごわいぞ。
* * *
私の初恋は6歳の時。
その人は、二回りは年上だ。でも、私のことをお姫様にしてくれた。
私はいつまでも石田先生のお姫様になることをあきらめきれない。
「花江はなちゃん、第二診察室へどうぞ」
呼ばれて私は診察室へ入る。
「花江さん、今日はどうされましたか」
「花江さん、だなんて堅苦しいなあ、センセ。あ、インフルエンザの予防接種をお願いします」
「距離感は大事です。……あ、渡辺さんありがとう。介助入って」
中堅ナースの渡辺さんに指示を出して先生は注射の準備をする。
「センセ聞いて、ミナジョ受かったよ! 推薦だけど」
「それはすごいですね。はいじゃあチックンしますよ」
「チックンってウケる。もうそんな年じゃないよ」
私の左腕を触って、アルコール消毒してから注射をする。
石田先生は本当に注射が上手い。注射の薬液によっては痛みがあるけど、針の痛みは全くない。
「……癖なんです。はい、おしまい。一応15分は待合で休憩してて下さい。体調が悪くなったりしたら受付に声をかけて。接種証明書は会計の時に受付からもらって下さい」
先生は学校に提出するんですよ、と接種証明書を言わずとも用意してくれた。
「先生と同じ空座第一高校にすればよかった」
「南海大学付属女子高等学校なんて空座第一より偏差値だいぶ高いじゃないですか」
「だって! ミナジョはここから少し遠いから。先生に会えなくなる」
渡辺さんはどうしよう、という様子で診察室のドアを開けようとしている。
ああ、もう。やけっぱちだ!
「私、ずっと先生のお姫様になりたかった! 先生は私の王子様なの」
「……そんなときもありましたね」
「先生の隣に立つために、休まず学校に行って、勉強も部活も頑張って、受験に役立つ資格も取った。生徒会に入って会長も頑張った。推薦のための面接もめちゃくちゃ練習した! センセ? ほめて」
「よくがんばりました。……ほら、次の患者さんを呼ばないとだから、はなさん、待合に移動しましょう」
6歳の時の私も泣かなかったのに、先生の言葉一つで涙が出てくる。
「そんな、適当ながんばりました、はいらない! 先生のばか。絶対また、空座町に戻ってきて、ここよりすごい小児科の先生になってやるから」
「期待してます」
渡辺さんには、「すみませんでした」と謝ってから待合のソファに向かって座った。
石田先生なんて、知らない!
私の9年分の思いなんて、知らないなんて、知らない!
* * *
はなちゃん、怒っていたなあ。
もう、立派な女性だ。
返事を考えなければならない。
何を理由に断ればいいんだ?
一番は年齢差。二回りも違うなんて、当然だ。何よりこの子が小さいころから知っているなんて知られたら、僕はロリコン疑惑だ。光源氏が大先輩ってか?
次は仕事が恋人って?
でもはなちゃんはミナジョに受かっている。あそこは理系科目に力を入れていて、医学科進学率も全国屈指の高さを誇る進学校だ。このまま頑張っていれば、医学科に受かって医師になってウチの病院にくるだろう。
そもそも、実習やローテでウチに来たらどんな顔をしたらいいんだ?
……あれ? なんではなちゃんが小児科医として僕の下で働いている未来を当然のごとく想像しているのだろう。
もしかしたら、別の科の医師になるかもしれないのに。
あの子のあこがれは僕だ。という当然の傲慢さがその想像をさせてしまったようだ。
ひとりの女性として見られるかどうかはわからないが、医師のたまごとして僕の前にやってくることをとても楽しみしている。
<了>
2026/09/29
石田雨竜医師を筆頭に、腕のいい医療従事者たちが日々、患児とその保護者を治療・指導している。
待合室は体調が悪くて機嫌が悪い子供、注射が嫌で泣く子供、体調不良がなんのその、元気におもちゃや絵本で遊び、はしゃぐ子供、そしてその子供を連れてきて疲労困憊の保護者達。それでもなお、病院では静かにしなさい、としつけをしているのはさすがだ。
ひとりの子供に定期の予防接種を施し、泣き叫ぶその子にお気に入りのキャラクターシールを渡して保護者に次は健診でお会いしましょうね、と伝えて会計のため待合で待つように指示し、看護師に次の患児を連れてくるように伝える。
「花江はなちゃん。第一診察室へどうぞ」
電子カルテをはなちゃんにして、入ってくるのを待つ。
目を赤くはらして、しゃくりあげながらお母さんと入ってくるその子は、ピンクのふわふわした子供用のドレスを着ていた。
「今日はムンプスとMR……、おたふくかぜと麻しん風しんの混合ワクチンで間違いないですか?」
「はい」
お母さんが持ってきた母子手帳を確認してはいるが、注射の間違いがないように確認しておく。
背後にベテランナースの神田さんが二本の注射を準備している。
「い!や! はなちゃん、注射しない」
はなちゃんは泣きはらした赤い目で最後の抵抗をする。
女児が男児と違うのは泣き叫んで床に寝転んで暴れたりせず、泣いたりするものの、暴れたりすることが少ないことだ。
はなちゃんも、お母さんの背中に隠れて泣きながら首を横に振っていやいやしている。
「はなちゃん、ほらこっち。チックンで終わるから」
「お母さん、終わったらはなちゃんをたくさんほめてあげてくださいね」
「はい……」
「はなちゃん、いや、姫? お手をお貸しくださいな。チックンさせてください」
診察用の椅子から降りて、はなちゃんの目線に合わせて注射の懇願をする。
この子のお母さんが空座町に途中で引っ越してきて、父が受け持っていたときからの付き合いだ。はなちゃんのことはきっと小児科が担当外になるまで見守ることになるだろう。
仮に一見さんだったとしても、信頼関係を損なう態度をとるのは僕の信念に反する。
はなちゃんが、もじもじとしながら腕を差し出してきた。
「……痛くないようにして」
「ありがとう、姫。2つあるから、頑張ってね」
痛くないように、そして痛かったとしても痛みは最小限活短時間になるように手早く注射を済ませる。
はなちゃんは一度覚悟を決めたら肝が据わるのか、ほかの子とは違って震えたり腕を動かしたりしなかった分、僕も実力を十分発揮して痛くないようにできたはずだ。
「……! いたくない」
「はい、お疲れさまでした。これ、チックン頑張った僕からのプレゼントです。」
「お疲れさまでした。母子手帳はお会計の際受付でお返しします。では待合でお待ちください。お大事に」
神田さんが診察室のドアを開けて、二人を待合へ促す。
手をつないで二人は待合へ行く。
「いしだセンセ、ありがと。あなたははなちゃんの王子様ね!」
お母さんの手をぎゅっとつないで、振り返ってお姫様は僕にシールを持った手を振りながら帰っていった。
「さとうみなとくん、第一診察室へどうぞ」
今日も、頑張ろうか。
次の小さな暴れん坊な怪獣は手ごわいぞ。
* * *
私の初恋は6歳の時。
その人は、二回りは年上だ。でも、私のことをお姫様にしてくれた。
私はいつまでも石田先生のお姫様になることをあきらめきれない。
「花江はなちゃん、第二診察室へどうぞ」
呼ばれて私は診察室へ入る。
「花江さん、今日はどうされましたか」
「花江さん、だなんて堅苦しいなあ、センセ。あ、インフルエンザの予防接種をお願いします」
「距離感は大事です。……あ、渡辺さんありがとう。介助入って」
中堅ナースの渡辺さんに指示を出して先生は注射の準備をする。
「センセ聞いて、ミナジョ受かったよ! 推薦だけど」
「それはすごいですね。はいじゃあチックンしますよ」
「チックンってウケる。もうそんな年じゃないよ」
私の左腕を触って、アルコール消毒してから注射をする。
石田先生は本当に注射が上手い。注射の薬液によっては痛みがあるけど、針の痛みは全くない。
「……癖なんです。はい、おしまい。一応15分は待合で休憩してて下さい。体調が悪くなったりしたら受付に声をかけて。接種証明書は会計の時に受付からもらって下さい」
先生は学校に提出するんですよ、と接種証明書を言わずとも用意してくれた。
「先生と同じ空座第一高校にすればよかった」
「南海大学付属女子高等学校なんて空座第一より偏差値だいぶ高いじゃないですか」
「だって! ミナジョはここから少し遠いから。先生に会えなくなる」
渡辺さんはどうしよう、という様子で診察室のドアを開けようとしている。
ああ、もう。やけっぱちだ!
「私、ずっと先生のお姫様になりたかった! 先生は私の王子様なの」
「……そんなときもありましたね」
「先生の隣に立つために、休まず学校に行って、勉強も部活も頑張って、受験に役立つ資格も取った。生徒会に入って会長も頑張った。推薦のための面接もめちゃくちゃ練習した! センセ? ほめて」
「よくがんばりました。……ほら、次の患者さんを呼ばないとだから、はなさん、待合に移動しましょう」
6歳の時の私も泣かなかったのに、先生の言葉一つで涙が出てくる。
「そんな、適当ながんばりました、はいらない! 先生のばか。絶対また、空座町に戻ってきて、ここよりすごい小児科の先生になってやるから」
「期待してます」
渡辺さんには、「すみませんでした」と謝ってから待合のソファに向かって座った。
石田先生なんて、知らない!
私の9年分の思いなんて、知らないなんて、知らない!
* * *
はなちゃん、怒っていたなあ。
もう、立派な女性だ。
返事を考えなければならない。
何を理由に断ればいいんだ?
一番は年齢差。二回りも違うなんて、当然だ。何よりこの子が小さいころから知っているなんて知られたら、僕はロリコン疑惑だ。光源氏が大先輩ってか?
次は仕事が恋人って?
でもはなちゃんはミナジョに受かっている。あそこは理系科目に力を入れていて、医学科進学率も全国屈指の高さを誇る進学校だ。このまま頑張っていれば、医学科に受かって医師になってウチの病院にくるだろう。
そもそも、実習やローテでウチに来たらどんな顔をしたらいいんだ?
……あれ? なんではなちゃんが小児科医として僕の下で働いている未来を当然のごとく想像しているのだろう。
もしかしたら、別の科の医師になるかもしれないのに。
あの子のあこがれは僕だ。という当然の傲慢さがその想像をさせてしまったようだ。
ひとりの女性として見られるかどうかはわからないが、医師のたまごとして僕の前にやってくることをとても楽しみしている。
<了>
2026/09/29
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