鏡花水月は、恋を映さない。
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「みんなお疲れ様、粗茶だが茶を淹れたから少し休憩にしよう」
藍染隊長が作業していた隊士たちに声をかけると、皆それぞれ「疲れたー」とため息をつき、肩を回したりなどしながら藍染隊長の元へと向かっていく。
「皆の仕事ぶりは評価しているよ。京楽隊長から美味い茶菓子と饅頭をもらっているから、茶と一緒にいただくといい。京楽隊長に会ったらきちんと礼をすること」
うまそー、と誰かが声をあげると藍染隊長は「うまそう、じゃない。美味いんだよ」と笑った。
とある2人の隊士は
「藍染隊長って本当に優しいよなあ」
「よくできた隊長で誇り高いよ」
「そうそう。しかも書類仕事は完璧だし、字は綺麗で要点もまとまってるし」
と談笑している。
ちらり、と藍染隊長をみやる。
茶を渡すときに一人一人きちんと名前を呼んで、一言声をかけてやっている。
「田村隊士は最近奥さんとはうまくやっているか?」
「茂原隊士はご子息が霊術院に入られたそうじゃないか。立派だね。父親として子供の手本となるようにね」
「阿部隊士は体調いかがかな? まだ少し喉がいたい?じゃあ特別にこののど飴を渡そう」
ニコニコとしながら、顔と名前を一致させるだけでなく、個人の背景まで把握している隊長なのだから、上司として素晴らしいと思う。
しかし、それは優しさだろうか?
優しくするのが上手なだけだ。
「橘くん。ここにいたのか。視線は感じてはいたが……。君は時々、不思議な目で私を見るね」
「すみません」
ニコニコとした態度で、はい。とお茶と茶饅頭を手渡してくる。
私は会釈しながらそれを受け取る。
「別に、責めている訳ではないよ」
「……。隊長は」
責めている訳ではない。これは本心だ。
藍染隊長は、私が不躾に見つめ続けていたことを責めていた訳ではない。
ただその目で何を見透かしているのか教えろ、と聞いているのだ。
「疲れませんか? ずっと、藍染隊長でいること。優しくするのは上手ですけど、得意じゃないですよね」
お茶をずるずると啜りながら、今度は藍染隊長を見ないで言ってやった。
「……。」
藍染隊長が無言になる。多分他の人から見たら、突然変なことを言われて答えに迷っている様子、だとかに見られているのだろう。
実際は、それ半分、図星半分といったところだろうか。
私は藍染隊長をいじめる趣味はないので、話題を変えてあげることにした。
「この味薄めの出涸らし茶、覚えててくださったんですか?」
「部下の好みを把握するのも隊長の役目だからね」
私は、淹れはじめの味の濃いお茶よりも味の薄い何番煎じかわからないくらい薄い茶が好きだ。
「なんて、ね。君がいつまで経っても茶をとりにこないから自然と薄い茶を渡す羽目になったようなものだよ。それを狙ってたのかな?」
「さあ?」
育ちが悪いもんで。茶を音を立てて啜り、茶饅頭の薄紙ごと口に頬張り、ぺッと薄紙を吐き出し手のひらに出す。
「こら、女の子がそんな食べ方しないの。お行儀も悪い」
「隊長というより、お母さんですか? ……屑籠に捨ててきます」
今の演技している藍染隊長は、見ていて少し気持ちが悪い。
あまり隣にいたくない。
* * *
私は流魂街出身だ。いつの間にか、気がついたらそこにいた。
私は流魂街で目が覚めた時からかたわらに刀があった。触ると温かくて落ち着いたし、手に馴染む柄と、振り易い長さと形の刀で気に入っていた。
私を害する者はもちろん、家族を害するものはこの刀で追い払っていた。
害するとはいっても、本心から命を奪おうだなんてことを考えている輩はいなくて、腹が減っているが一番多かった。二番目は金品目当て。
なので刀を見せて適当に振り回せばどうにかなった。
ーー初めて会った惣右介さんを除いて。
流魂街では珍しく、履き物を身につけてやってきた彼を覚えている。
その時の流魂街は猛暑が続いていて、私は暑さと空腹でぐったりとしていた。
地に臥せって虚ろな目で足音をした方にゆっくり目をやれば、見慣れた裸足ではなく、草履に包まれた足が見えたのが印象的だったので今でも覚えている。足から辿るように上へ辿っていくと、清潔な着物に綺麗な顔。
顔を見た瞬間、訳も分からず私は力を振り絞って刀に手を伸ばした。
綺麗なものに包まれた彼は、私に手を伸ばした。そしてこういった。
「ーー。腹が減っているんだろう、食べろ」
何かを言ってから、食べろ。と彼は冷たい茶と冷えた羊羹を手に持って私に差し出していた。
初対面のよく分からない男から食べ物をもらうなんて何か入っているかもしれない、と疑う余地なんてないから、私は誰にも取られないように奪い取って貪り食った。どこにそんな力が残っていたのか、這い上がって、行儀なんてものは知らないので手や口の周りを汚して食べた。
「…甘苦い」
初めて飲んだ茶は、今までにないくらい濃くて苦くて舌に合わなかったし、羊羹は今までにないくらい美味くて感動した。
「女、名前は?」
「もっとないの?」
おんな。なまえ。
彼の口から出たのは聞き馴染みのない響きの言葉だったのと、茶は濃いから薄めてあいつらにも分けてやりたかったので、もっと要求した。
「まだ腹が減っているのか? 私の霊力を込めて作ったから腹はいっぱいのはずだ」
呆れたような声音で言われて、ふと自分の体と向き合ってみる。
空腹どころか、今まで感じたことのない感覚。多分これが満腹であり、動くのもやっとなほどぐったりしていた先ほどまでと比べて、今はなんともない。暑さがやかましいくらいだろうか。
「もう一度聞く。女、名前は」
「おんな、なまえ?」
私の様子を見て察した彼は、考える仕草をした。
「お前の名前は綾水だ。綾水、と呼ばれたら自分が呼ばれたと思え」
なるほど、お前だとか、おい、ではなく、綾水。
ふむ、悪くない。
「私は惣右介だ。覚えなさい」
「そーすけ、綾水」
名前、というものを口にしてみるとなんだかしっくりこない感じがあるが悪くない。
「?! おい、誰だそいつは! おい、大丈夫か?起きれるようになったのか?」
家族の1人のタケルが水汲みから戻ってきたようだった。
近くの水場は、猛暑で干上がってしまい少し遠くまで汲みにいかないと水がないのだ。
「……綾水、私とともに来たら綾水と家族の暮らしは約束しよう。屋根があって、暑さ寒さは凌げて、安心して寝られて、食うにも困らない。まあ綾水と違って空腹は感じないようだが。」
「綾水ってなんだ? おい、いつもみたいに刀を振り回せよ。こいつ、なんだかヤな感じする!」
私も嫌な感じがしたが、敵意は感じられなかったので、刀をいつでも抜けるように準備だけしてタケルとそーすけを見た。
「斬魄刀、か。ふむ。常に始解をしているようだね」
そーすけは私の刀を見てなんだか考えているようだった。
「やはり、綾水。私と共に来い」
「綾水ってなんだよ、おい、行くな!」
私は、タケルとそーすけを見比べてどうしたらいいか分からなくなっていた。
そーすけは家族の暮らしを約束してくれた。それは嘘ではないだろう。しかしただ私に親切でやってくれるわけではなさそうだ。
タケルのことも心配だし、離れがたかった。タケルだけでない、カラスも、セリも、なずなとも。
みんなと過ごした時間と、そーすけと過ごすこれからと天秤にかけた時。さっきの羊羹がチラついた。
ここにいたら、もう二度と羊羹が食べられない。私は食い意地に負けてしまったのだ。みんなと過ごした信頼の時間よりも…。
それに、ここから出てそーすけについていけば家族の暮らしは安定して、私は羊羹を食べられて、それに……。
「そーすけについていく。そーすけ、なんでそんなモヤモヤしてるの?」
私は思わず口にしてしまった。
そーすけの胸の辺りには暗くどんよりしたモヤモヤが覆って見えた。本心では何かを抱えているようだ。
「おい!」
「綾水の物分かりがよくてよかったよ。モヤモヤ、は綾水の答えが遅くて少しイライラしていたからな」
イライラ、は違うけど…と思ったがこれは口にしなかった。
私はそーすけの後をついて行った。
「まだ舌足らずなのは仕方ないが、私の名前は藍染惣右介だ。藍染様、か惣右介様だ。呼び捨てはやめろ」
「惣右介さん」
頭をポカリ、と叩かれたが髪をすいて直された。
本気で殴ろうとしている手ではなく、私の頭を撫でる優しい手だった。
「こら。惣右介様、だ」
惣右介さんは護廷十三隊の五番隊の隊長をやっているとのことだった。
そこでは惣右介様でもいいが「藍染隊長」と呼びなさい、とのことだった。
そして私は惣右介さんの推薦で霊術院に入ることになった。
入学当初は私のことは「藍染隊長が直々に推薦した子」(尾鰭がついて神童とかって呼び名もついていた)と、話題になって注目の的になっていた。
しかし、座学はできない(文字の読み書きから始めなければならず、授業についていけなかった)、剣術と実技と鬼道は中の中。総合的に下の上くらいの成績で、五番隊隊長の推薦があったにしては拍子抜けだね、と人々の失望を買い、注目はその時の首席などに移って行ったのだった。
(人気でなかなか取れない藍染先生の書道の授業を特別に受けている、とのことで一部女生徒から文句を言われてやたらと突っかかられていたが、文字の読み書きが出来なさすぎたから仕方ないだろう)
* * *
それから数十年。
気づけば私は、惣右介さんーーいや、藍染隊長の部下になっていた。
昔と違って文字は読める。
書類仕事も最低限ならできる。……筆跡が悪筆すぎて、書字はできる限りやめてほしいと言われているが。
それでも、鬼道も剣術も、五番隊の中では目立つほどではない。
「藍染隊長が拾った子」
いつしかそんな呼ばれ方もされなくなった。
それでよかった。私は特別だとかになりたいわけではなかったから。
「橘くん」
屑籠に薄紙を捨てたところで声をかけられる。
振り返れば、相変わらず優しい顔をした藍染隊長がいた。
「口元」
そう言われて首を傾げる。
「餡がついているよ」
そう言われて慌てて袖で口元を拭こうとすると、その手を止められた。
「こら。」
昔と同じ声。
昔と同じ言い方。
差し出された手拭い。
「女性が袖で拭くものじゃない」
「……またお母さんみたいなこと言ってます」
「君が昔から変わらないからだろう」
そう言われて、少しだけ困った。
変わらない。
本当に?
この人は、変わらないのだろうか。
それとも。
最初から何も変わっていないのだろうか。
藍染隊長は、いつまで経っても私が手拭いを受け取らないものだから痺れを切らして私の口元をそれで拭ってくれた。
「隊長」
「何かな」
「……いえ。ありがとうございます」
聞こうとしてやめた。
あなたの中の、その黒いものはなんですか、と。
昔から見えているそれは、いつになっても消えない。
でも。
私の名前を呼ぶ声も。
頭を叩いた後に撫でる手も。
お茶の好みを覚えていることも。
全部が嘘だとは、どうしても思えなかった。
◇
去っていく背中を見送りながら、藍染惣右介は静かに茶を口に運んだ。
綾水。
予定外の存在。
手元に置いた理由は明確だった。
危険だったから。
あの力はいずれ障害になる可能性があった。
ならば、管理下に置くべきだ。
それだけだった。
ーーそのはずだった。
「……薄いな」
彼女のために残した茶を飲んで、思わずそう呟いた。
こんなもののどこが良いのか。
理解できない。
理解する必要もない。
なのに。
次もまた、最後まで残してしまうのだろう。
彼女が取りに来る頃には、ちょうど好みの濃さになっているように。
藍染は小さく笑った。
「まったく」
随分と、無駄なことを覚えたものだ。
<了>
2026/07/04
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