やさしい嘘つき


真夜中にエリオットの端末が鳴った。
何回目のコールだったかは分からないけど、隣で寝ていたエリオットがモゾモゾと腕を伸ばして端末を掴み「ハロー?」と小声で返事したのが聞こえた。
エリオットは俺を起こさないように用心深くベッドを抜け出し、リビングの方へとひたひた歩いていった。
真夜中だろうが明け方だろうが、その人からかかってくる電話に、あいつは文句も言わずに優しい声で返事をする。
「ああ、母さん。俺だよ、エリオットだよ」
途切れ途切れに聞こえてくるエリオットの声は、知らなかったら嫉妬しそうになるくらいの愛情と気遣いに満ちていて、俺はシーツにくるまって目をつむったまま、その心地いい声に耳を傾ける。
「……今ちょうど学校の課題に取り掛かってたとこなんだ。ああ、問題ない。ちゃんと留守番してるぜ。今夜のメニューはポークチョップだ。もちろん、俺が作った。後片付けだってバッチリさ。シンクはロジャーが磨いてくれたし、イーロンとリッキーが皿を洗って……大丈夫、ケンカなんかしてないって……」
今日のエリオットは高校生くらいかな?
あいつの兄貴たちが生きてるってことは、きっとそれくらいのはずだ。
あの家で兄弟たちと騒がしく留守番してるらしい、ベイビーエリオットの様子を思い浮かべて、自然と口元が緩んだ。
エリオットは離れた場所で暮らしてるイブリンに、いつでも話ができるようにと、自分の端末だけに繋がるよう改造したデバイスを預けた。クリプトに頼んでやってもらったらしい。
でないとイブリンはそこら中、あてずっぽうに電話をかけちまうからだ。
それから彼女は昼夜を問わず、たびたびエリオットに電話をかけてくるようになった。
さすがにゲームの最中は出ることができないが、それ以外のときはどんなに忙しくても必ず話し相手をした。
穏やかに辛抱強く、ときには何時間も付き合ってやるんだ。
一度、俺たちが裸になって“いざ”って時にコールがあって、それでセックスがお預けになったことがあるけど、あんときは可笑しかったな。
エリオットは鼻息も荒く「今トレーニング中なんだ」なんて言って誤魔化して、俺は笑いをこらえるのが大変だった。
「……うん、……うん」
何度も相槌をうつ声が低く響いてくる。
今夜は長くなりそうかな?
もう少ししたら、トイレに行くふりをして様子を見てみようか?……いや、やっぱやめとこう。
こうやってエリオットがベッドを抜け出したときは、大抵の場合、放っておくのがいいって分かってる。
たぶんあいつは俺を起こしちまったことを気にするだろうし、なによりこんな時は一人になりたいんだと思うからだ。
「俺? 俺か? 俺はエリィだよ、母さん。あんたの自慢の息子のエリオットさ」
今度はおどけたような声が聞こえてきた。
何回同じことを尋ねられても、エリオットはめげたりしない。母親を不安にさせないように、繰り返し繰り返し、彼女の思い出の中の自分を演じながら言って聞かせる。
自分の大事な人に忘れられちまうなんて、それはきっとひどく寂しいことに違いない。けど、あいつはもう何年もそうやってきたんだ。
俺の心臓のあたりがぎゅっと苦しくなる。
誰かの痛みを自分のことみたいに感じるなんて、なんだか不思議な気分だぜ。
「それじゃあな、母さん。そっちでの仕事が上手くいくことを祈ってるよ。……うん、……おやすみ……」
そう言ったきり、エリオットはいつまでたっても戻ってこなかった。
時計を見るともうすぐ二時になるところだ。起きるにはいくらなんでも早すぎる。
俺はしばらくベッドの中でもぞもぞしていたが、どうにも落ち着かなくなって、下に置いてある義足に手を伸ばしかけた。
すると、タイミングがいいのか悪いのか、リビングの明かりが消えて、エリオットが戻ってくる気配がした。
俺は慌てて入口に背中を向けて、かたく目を閉じた。
ベッドがかすかに軋んで、つめたくなったエリオットの身体が後ろからぴったりと寄り添ってくる。
無意識を装って、緩く腹のあたりに巻き付いた腕をたどり、自分の手を重ねると、耳の後ろ側でエリオットが噛みしめるように笑った。
「タビオは寝たふりが下手くそだなぁ……」
くそ、バレてたのか。
それでも俺は返事をせずに目をつむったままでいる。
エリオットは俺の後頭部に額をくっつけて、
「寝てるんなら、それでいいんだ……そのまま聞こえないふりをしててくれ」
と呟いた。
返事の代わりに重ねた手を握ると、エリオットのやるせなさがそこから流れ込んでくるみたいだ。
ゆっくりと、あいつの体温が俺と混ざり合って同じ温度になる。
こういうのって何ていうんだっけ? むかし学校で習ったよな? 
結局答えを思い出せないまま、俺はエリオットと丸くなって眠った。
悲しむことなんかないさ。 
お前の優しい嘘のおかけで、きっと彼女は幸せな日々を生きてんだって、俺はそう思うぜ。



1/1ページ
    スキ