安息の日
「オクタビオ、気分はどうだ?」
髪に触れる懐かしい手触りを感じて、オクタンはそっと目を開けた。
ぼんやりと目に映る白い天井と、ミラージュの髭面が間近にある。
「あと十分だ」
「……まだそんなにあんのかよ」
「俺にはあっという間だったぜ。なんたってお前のかわいい寝顔を、文句も言われずにずっと見てられるんだからな。幸せそうな顔して、一体なんの夢を見てたんだ?」
ミラージュは微笑み、眠そうなオクタンの鼻先を指でつついた。オクタンは顔をしかめ、眩しそうにミラージュを見る。
「お前が初めてこの部屋に来たときの事を思い出してたんだ」
あれからミラージュは、オクタンが透析をする時には必ずそばで見守ってきた。
部屋の中が味気ないからと言って花を買い、リラックスできるようにと音楽を流したり、アロマを炊いた事もある。
オクタンの上に掛かっている肌触りのいいブランケットも、ミラージュからのプレゼントだった。
彼の選ぶ音楽はオクタンの好みとはまるで合わなかったし、アロマオイルは薬品の匂いと混ざって最悪だったが、それも今では笑い話だ。
ただひたすら過ぎるのを待つだけだった空虚な時間を、穏やかなやすらぎに変えてくれたのはミラージュの存在だった。
二人が恋人同士になり、住む場所が変わっても、ここで過ごす時間が大切なものである事には変わりない。
「お前はいつも側にいて見ててくれたよな。目をそらしたりはしなかった。さすがに最初はちょっとビビってたみたいだけどな?」
「そりゃあ、あんなのを見たら誰だってビビるだろ。腹の中から管が飛び出てて、そっからどんどん中身がでてくるんだぜ?」
大げさに目玉をくるくるさせるミラージュを見て、オクタンは小さく笑った。
「今までちゃんと言った事はなかったけど、俺はお前に感謝してるんだぜ、エリオット」
「おう、その調子でもっと俺を褒め称えてくれ。お前は俺が見張ってねぇと、またいつサボるか分かったもんじゃねぇからな。これからも月に二回の安息日はきっちり守ってもらうぜ、ダーリン」
スタンプのように唇と唇を押し付け、ミラージュは満足げに笑った。物足りないオクタンは、離れようとするミラージュの首を抱いて引き寄せる。
「こら、安静にしなきゃダメだろ」
「ずっとこうやって寝てるのは退屈なんだよ」
「じゃあ終わるまでキスでもしてるか」
ミラージュが戯れにキスを投げ、受け止めたオクタンはミラージュの背中に腕を回してそれに応える。
目と目を合わせ微笑み合いながら、二人のキスは何気ない会話のように途切れなく続き、湿ったリップ音を響かせた。
次第に熱を帯びるミラージュの愛撫が、オクタンの頬に血の気を蘇らせていく。
唇と舌が混ざり合うたびに自分の中に新しい血液が生み出され、迸るような感覚がオクタンを満たしていった。
「このまま俺の血がぜんぶ、別の何かに入れ替わっちまえばいいのにな……」
離れた唇から、ため息とともに吐き出されたのはそんな言葉だった。
「何度きれいにしても、また戻ってくるんだ。あいつから受け継いだシルバの血が、俺の体の中から消えることはない」
ミラージュは、白い天井を睨むオクタンの緑の髪に両手を差し入れて、生え際にキスを落とした。
いつも陽気で恐れ知らずの恋人が、この時間だけはどこか感傷的になるのを知っている。
きっと何度も何度も、自分に問いかけては答えを見つけられずにいる、オクタンの不器用さが愛しかった。
「どうしたって人は自分以外にはなれないのさ。だからこそ、望む自分になろうとして足掻くんだ」
「結局、受け入れてねじ伏せるしかねぇってことか」
「できるだろ、お前なら」
「……そう思うか?」
「もちろん」
ミラージュは力強く頷き、くしゃくしゃとオクタンの髪を乱した。太い眉の間に刻まれた皺が安堵したように緩んで口角が上がり、不遜な笑顔を取り戻していく。
唇の隙間から尖った犬歯を覗かせ、オクタンはミラージュの唇を捕らえた。
「あと三分、キスの時間が残ってるぜ」
舌で唇をこじ開けようと迫ってくるオクタンを受け止めながら、今夜は何を食わそうか? と、ミラージュの頭の中は夕食のメニューを思い描くのに忙しかった。
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