TENDER


久しぶりに訪れるエンジェルシティは、ソラスとは真逆の雪景色だった。
落ち着いたモノトーンのピーコートに身を包んだミラージュと、ダッフルコート姿のオクタンは、二人してチェックのマフラーを巻いて空港に降り立った。
その間に守られるように歩いているイブリンは、二人の腕をガッチリと抱え込んで上機嫌だ。
これから施設に戻るという事をもう一度言うべきか、ミラージュの表情が曇った。
だがイブリンはタクシーに乗り込むとすぐに、自ら目的地の住所と名称をはっきりと口にした。
「そんな顔しないで、エリオット。とても楽しかったわ、ありがとう」
ミラージュがぐっと唇を結んで頷いてみせる。
「オクティも、ありがとう」
反対側に座っているオクタンに向かって、イブリンが微笑み掛けた。
「俺も楽しかったぜ、また来なよ。今度は俺様のスタントを見せてやるからさ」
「それは楽しみね。でも、あまり無茶してエリオットに心配かけてはだめよ?」
母親のような口調でからかい半分にたしなめられて、オクタンは照れたように笑った。それが理由で一度別れた事を彼女は知らない。かといって、今更言えるわけがなかった。
イブリンの向こう側のミラージュと目が合うと、目だけで笑いながら「その通りだぞ」と小さく口を動かしている。オクタンはますます赤くなってちぇ、と頭を掻いた。
その様子を見て肩を揺らしているミラージュに向き直って、イブリンはピシャリと言い放った。
「エリオットは少しお調子者なところがあるから、発言には十分注意すること、分かった?」
今度は、ミラージュがちぇ、と言う番だった。
思わずオクタンが吹き出し、イブリンが笑い声をあげ、少し遅れてミラージュがそこに加わる。
三人の笑顔を乗せた黄色い無人タクシーは、風花の舞う市中を抜けて、あっという間に目的地に到着した。
「元気でな、母さん。また来るよ」
「ええ、あなたもね、エリオット。私のことは心配いらないわ、ドロズとデイビスだっているんだもの」
よく似た顔の母と息子は、タクシーを降りてからも固く抱き合って別れを惜しんだ。
イブリンが優しくミラージュの頬にキスを送る。
「忘れないで、あなたはあなたの人生を生きるのよ。決してひとりじゃない」
「うん、分かってる」
ミラージュとイブリンは、少し離れた場所で見守っていたオクタンに目をやった。
寒さの苦手なオクタンは、耳と鼻とほっぺたを子供のように赤くしてマフラーに埋め、ポケットに両手を突っ込んでいた。
ミラージュが腕を伸ばして手招きすると、ぴょんぴょんと飛び跳ねるように近付いてくる。
そして、両手を広げてミラージュとイブリンを思いっきり抱きしめた。
「チアモ!」
三人でひとしきりハグを交わすと、今度こそ別れの時間がやってきた。
スタッフに付き添われてケアハウスの中に消えていく彼女を、ミラージュとオクタンは手を握り合って見送った。
彼らの姿が見えなくなっても、まだ入口を見つめたままのミラージュを、オクタンがそっと抱きしめる。
楽しい時間を過ごしても、この時ばかりはいつも、僅かな罪悪感がミラージュの胸をよぎるのだ。
 ——一緒にいられなくて、ごめんなさい。
潤んだ目を伏せて、ミラージュは力強い腕と優しく背中を撫でる手に身を委ねた。
「ゆうべは悪かったな。その……母さんが色々と……」
「いや、結構楽しかったぜ。お前の子供の頃の話とか、恥ずかしいひみつとか、いっぱい聞いちまったし」
「ふふ」
ミラージュの前髪に付いた綿埃のような雪を指で払って、オクタンは冷たい頬に唇を寄せた。
「帰ったら一日中ベッドで過ごそうぜ? とっておきのワインを開けて、酔っぱらって愛し合って、そんでまた飲んで……ずっと裸で抱き合うんだ」
「いいね、そうしよう」
ミラージュが、かじかんだオクタンの手を取り、自分のコートのポケットに招き入れると、微笑んだ唇同士が二度三度触れ合って、重なり合う。
幸せを噛みしめるように額をくっつけ、赤くなった鼻先でじゃれ合う恋人たちを祝福するように、花びらのような雪が優しく舞い降りていった。


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