Inchworm


緑のトンネルを抜けると、ソラスシティで一番でかい中央公園の広場にたどり着いた。
人気のなかった図書館とは違い、昼下りの公園は多くの人々で賑わっていた。
ベンチで本を読む者、ピクニックする家族連れ、サイクリングやボートを楽しむカップル、たむろする若者たち、ストリートパフォーマー、似顔絵描き、もちろん何もせずボーッとしてる奴もいる。
オープンキッチンでホットドッグと飲み物を買って手渡すと、オクタンはそのまま芝生の広がるエリアに走って行った。
「ミラージュ、こっちこっち!」
まわりにいた奴らが一斉に俺の方を見たが、俺はそいつらにとびきりの愛想笑いをプレゼントして逃げ出した。大勢のファンに囲まれるのは嫌いじゃないが、今日はそっとしておいて欲しい。
大きな池を囲んだ芝生の中に点在する木陰に座って、俺たちは一休みすることにした。できるだけ目立たないように、広場から離れた場所を選んだ。
ホットドッグと山盛りのポテトにビッグサイズのコーク、オクタンが選んだスクアートが本日のランチメニューだ。
マスタードとケチャップがたっぷりのホットドッグに食いつく顔は幸せそのもので、ずっと眺めていたくなる。
「なあ、オクタン……」
俺はさっきの会話を思い出して、その続きをしようと何気なく切り出した。
ライフラインによれば、こいつはいいとこの坊っちゃんだそうだが、オクタン本人がその話をした事はない。
コネで学校を卒業できるほどの権力を持ってる良家のご子息が、なぜこんなところで俺とホットドッグを食っているのか聞いてみたくなった。
「お前は何で家出なんかしてるんだ?」
案の定、オクタンはピタリと食うのをやめて嫌な顔をした。ゴーグルをしたままなので目の表情は見えないが、何となく雰囲気で分かる。
「退屈だったからさ」
オクタンはつまらなそうに返事して、干からびかけたポテトを口に放り込んだ。
「時々すべてを捨てちまいたくなることはねぇか? 俺はなる。家も名前も何もかも。あそこにいると、まるで頭の中に寄生虫が入り込んで来るような気分になるんだ」
いきなり穏やかじゃねぇ話だ。
俺は黙ってホットドッグを食いながら、オクタンの話の続きを待った。
「……俺は生まれたときから将来が決まってるような、時代遅れの家系に生まれたのさ。名前はまあ、言わなくてもいいだろ。世間じゃ名家だの名門だのって言われてるけど、俺に言わせりゃそんなのは退屈なだけだ。俺はいつも考えてた。この退屈が退屈じゃなくなる為にはどうしたらいいか?……俺がそこそこ有名な覆面ストリーマーだった事は知ってるだろ?」
「いや、知らないな」
「マジかよ!? 地味にショックだな……」
「気にするな。俺には興味がねぇってだけで、価値観ってのは人それぞれだ」
「そうか。至極まっとうな意見をありがとよ、アミーゴ。……とにかく、俺は刺激を求めて、面白そうな事なら何でもやったんだ。過激なスタントを配信したり、地下に潜ってアリーナでバトルしたり……。けど親父にはそれが気に食わなかったんだろうな。あのグレネードの一件で、それが決定的になった。あいつと俺はまるで水と油なのさ。そうそう、いわゆる価値観の違いってやつだ。俺はいつも出て行きたくてたまらなかった」
「なるほど、それを実行したわけか」
オクタンはこくりと頷いた。
「……それで、それっきりか? きっと心配してるだろ、親父さんだって……」
「ハ、してるもんか。あいつは思い通りにならない俺には関心がねぇからな。足を失くしたときだって、がらくた扱いさ。お互いにいるんだかいねぇんだか、家出した事にだって気付いてないかもな?」
「……自分の息子だろ?」
「しつこいな。お前には分からねぇよ、ミラージュ。ママが絵本を読んでくれるような、平和なおうちで育った甘ちゃんにはな」
オクタンが苛立ちまぎれに放った言葉が、小さな鉤爪になって俺を引っ掻いた。
俺には分からない、か。
「……そんなのはお互い様だろ。お前こそ、俺の何を知ってるってんだ?」
オクタンが口元を強ばらせて黙り込むのを見て、俺は自分の迂闊さを悔いた。
オクタンの家族に対する感情は、俺が思ってたよりもずっと複雑なようだ。ライフラインの言うとおり、安易に話題にすべきじゃなかったのかもしれない。
けど俺だって、何事もなく生きてきた訳じゃないんだぜ?
気まずい沈黙を破ったのはオクタンの方だった。
「……俺はちょっと余計なことを喋りすぎたみたいだな」
手に持ったホットドッグの包み紙をくしゃくしゃと丸めて、所在なさげにうつ向いている。
「こんな話は楽しくないだろ?」
確かにそうだ。
俺はただ、オクタンについて知りたかっただけなんだ。傷つけたかったわけじゃない。
「いいさ、お前が嫌ならもう聞かねえ事にする。……けど、ひとつだけ言わせてくれ。お節介かもしれないが、お前がなにか聞いて欲しい気分になったら、そんときは俺に話せよ。ただの愚痴でもなんでもいい」
「……ずいぶんとやさしいんだな」
「そんなんじゃねぇけどよ……何だかほっとけねぇってだけさ、お前のことが」
オクタンはぽかんと口を開けて俺の顔を見ている。
それはごく自然に俺の口から出た言葉だった。
それ以上の意味はないはずだった。
けれど、あいつの頬のあたりがぶわりと赤らんでいくのに気付いて、俺は何か変なことを言っちまったのかと急激に不安になった。
「いや、ほら、あれだ、……人生の先輩として、このミラージュ様が相談に乗ってやってもいいってことだ。まあ、あくまで一つの選択肢って話だけどな……お前にはライフラインだっているし、彼女の方がお前の事情ってやつを分かってるだろうから……」
歯切れの悪い俺の言葉は、突然のオクタンからのハグで遮られた。
ゲームの最中に、興奮に任せて飛びついて来る事はよくあるが、こんな場面でされるのは初めてだ。
長い腕で俺を柔らかく抱きしめて、オクタンが耳元で噛みしめるように呟く。
「サンクス、ミラージュ」
驚きはしたものの、俺はこいつが俺の気持ちを素直に受け取ってくれたのだと理解して、返事の代わりに背中をポンポンと叩いた。
それから少し迷って、控えめに抱擁を返す。ほっぺたにキス……は、流石にやめとくか。
体を離したオクタンは、ゴーグルを外してにこりと俺に笑いかけた。いつもの人懐こい笑顔だ。
「ま、なんにしろ俺は、今の生活に満足してるぜ。ゲームに出るのはすげぇ楽しいし、金だって幾らでも稼げる。それに……」
「それに?」
「これからもっといい事があるような気がするんだ。これは予感じゃねえ、確信だ」
自信満々にそう言うと、オクタンはすらりとした腕を組んで大きく伸びをした。そのまま後ろに倒れて芝生の上に寝転がり、気持ち良さそうに目を閉じる。
「ふぁぁ……、腹がいっぱいになったら何だか眠くなっちまったな……」
「アイスクリームは?」
「……あとで」
どうやら本格的に昼寝を決め込むつもりらしい。
昼飯を食ったら映画でも、なんて考えてたんだけどな。……幸せそうな寝顔を見てたらそんな事はどうでもよくなっちまうぜ。
薄いまぶたを縁取る、思いのほか長いまつ毛を眺めていると、オクタンが思い出したように目を開けた。
「なぁ、さっきの歌、もう一回歌ってくれよ」
「え? ここでか?」
「いいだろ?」
薄い緑のビー玉みたいな目が笑って催促する。
俺はひとつ深呼吸して、静かに歌いだした。
本当はピアノの伴奏があれば完璧なんだがな。俺が弾ける唯一の曲だ。 
オクタンは再び目を閉じて、俺の声に耳を傾けている。
なぜだか俺は、図書館で見たこいつの後ろ姿が思い浮かんで、切ないような気持ちになった。
いつもあんな風にひとりで絵本を眺めていたんだろうか? お前のママは、おとぎ話を聞かせてはくれなかったのか?
そういえば、こいつの口から母親の話はひと言も出てこなかった……。

「もう寝ちまったのか……? オクティ」
返事はなかった。
帽子からはみ出したひと房の前髪をくすぐって、俺は単純な歌詞とメロディをもう一度繰り返した。


Inchworm, inchworm
Measuring the marigolds……


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