Inchworm


中心街にある図書館には車ですぐだった。大小のビルが立ち並ぶ、行政区画の奥まった場所にひっそりと建てられている。隣接する公園とは人工林で繋がっていて、この一帯だけが緑のドームに包まれているみたいだ。
行政区画なんて呼ばれてはいるが、この惑星にまともな政府があるのかっていえばそうでもない。ほとんどの実権を握ってるのはマーシナリー・シンジケートだが、奴らは自分たちの利益、不利益に関係ない事にはひたすら無関心だった。
自分のトラブルは自分で解決しろ、それがこのソラス唯一の法律みたいなもんだ。
「俺、ここに来んの初めてだ」
オクタンは腹のポケットに手を突っ込んで、物珍しそうにあたりをキョロキョロと見回した。
「だろうな」
今どき図書館に行って紙の本を読む奴なんて、何かの研究者かよっぽどのマニアだけだ。
ましてや、こいつみたいな思いつきと行動が直結してるような奴には縁のない場所だろう。
大抵のことはネットワークで調べられるし、電子書籍で事足りる。
それでも本が無くならないのは、ページをめくる手触りやインクの匂いに、どこか愛着があるからなのかもな。
ひんやりと静まり返った館内の受付カウンターの中では、司書のマーヴィンが本棚と本の間に埋もれていた。
吹き抜けになったホールの壁際には、三階まで本がびっしりと詰まっている。その隙間を、カートを押した運搬係のマーヴィンがのんびりと行き来していた。
俺が要件を伝えると、マーヴィンは内蔵されているデータを素早く検索し、本棚の番号を告げた。
どうやら俺の探している資料は二階にあるらしい。
中央のらせん階段を上って、俺の背丈よりもずっと高い本棚の並ぶ一帯を見たオクタンは「この中に全部文字が詰まってんのか? 頭が痛くなるぜ」と奴らしい感想を述べた。
最初こそおとなしく俺について回っていたオクタンだったが、案の定すぐに飽きてしまったらしく、気が付くと義足の音が聞こえなくなっていた。
まあ、ほっといてもいいか。あいつも一応は大人なんだし、階段の手すりを義足で滑り降りるような真似はしないだろう。たぶんな。
俺はメモを片手に指定された本棚を順番に見ていった。すると『遭難救助におけるホロシステムの構築と実践』と記された背表紙が目に留まった。
これには見覚えがある。
俺が知る限り、フロンティアで最も優秀なホロ技術者、今だって調子のいいときには俺なんかが太刀打ちできないくらいのアイデアに溢れた偉大な科学者、イヴリン・ウィット。
俺の母さんが書いた論文だ。
懐かしいな。あの頃、俺と母さんは捜索ビーコンの救助信号を作ってて、それが今の俺のデコイの原型になったんだ。
あの時の母さんとのやり取りを思い出して、自然と笑みが浮かんだ。ある日突然、自分と瓜二つのホログラムと対面したとしたら……誰だって笑わずにいられないだろ?
もちろんその事は論文には一言も書かれちゃいねぇが、俺のルックスとユーモアのセンスが母さん譲りなのは間違いない。
……っと、思い出に浸ってる場合じゃなかった。早いとこ目当ての本を探さないと、オクタンが図書館でのタイムアタックを始めかねない。
俺は近くにいたマーヴィンを捕まえて仕事を手伝わせ、十分後には三冊ほどの書籍を抱えて下に降りていった。
オクタンはどこだ……? 迷路のような本棚を巡って行くと、パステルカラーの一帯にオクタンの姿があった。カーペットの敷かれた床に座り込んで絵本を読んでいる。
「こんなとこにいたのか」
声を掛けると、オクタンは振り向いて俺を見上げた。
「……昔読んだやつがあったからさ。懐かしいなって」
俺はオクタンの隣にしゃがみ、膝の上に乗っている絵本に目を落とした。
「ああ、これは俺も知ってるぜ。子供の頃、寝る前に母さんがよく読んでくれたっけな。兄貴達とベッドの上で母さんを囲んで……」
それは、マリーゴールドの茎を伝うシャクトリムシの絵本だった。母さんはこの話がお気に入りで、今でも時々たとえ話をしたりする。
「知ってるか? この歌」
俺は遠い記憶を掘り起こして、懐かしいメロディを口ずさんだ。この絵本の元になった古い古い童謡だ。

Inchworm, inchworm
Measuring the marigolds……

「足し算の歌だろ?」
「そうだな。でもそれだけじゃない」
俺は絵本の上でシャクトリムシを真似て人差し指を動かした。
母さんがよくやっていたように、絵本を持ったオクタンの手を伝い、腕をよじ登っていく。

Seems to me you'll stop and see
How beautiful they are

自分よりも少し低い位置にある顔を覗き込んで、最後にマスクの上からほっぺたをくすぐった。
オクタンが首をすくめて、小さく笑い声をあげる。
子供の頃の俺もこの手遊びが大好きだった。
兄貴達はエリィばっかりずるいと文句を言って、絵本そっちのけで母さんの取り合いになるんだ……。
「たまには立ち止まって花を眺めるのもいいぜ、って歌だ。せっかちなお前にぴったりだな」
オクタン黙ったまま、間近にある俺の顔をじっと眺めている。
まいったな、そんなに見つめないでくれ。お前が今どんな顔をしているのか気になっちまうだろ?
ふとした時に訪れる、友達と言うにはどこか甘ったるい感覚。気付いているのかいないのか……こいつのマスクとゴーグルは、常に俺の期待と不安を掻き立てる厄介な代物だ。
「お前の探してた資料ってやつは見つかったのかよ?」
オクタンがすっくと立ち上がって絵本を棚に戻し、何事もなかったように両手で尻の埃を払った。
同時に俺も我に返って立ち上がる。
「ああ、待たせて悪かったな。行こうぜ」
カウンターで貸し出しの手続きをしている間、オクタンはしきりに暑いと言って、着ていたパーカーのジッパーを下げてバタバタと中の熱を追い出した。
「そうか? 俺には少し寒いくらいだけどな」
「本館の室温は常に摂氏20度に、湿度は40%から60%に保たれていマス。本の保管に最適な環境デス」
マーヴィンが横からクソ真面目に解説してきたので、俺はそれを噛み砕いてオクタンに翻訳してやった。
「つまり、暑くても寒くても文句を言うなってことさ」
「よく分かったぜ、サンキューマーヴィン」
「どういたしまシテ」

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