Inchworm
次の日の午前九時、予想よりもずいぶん早くに玄関の前に現れたオクタンは、ゲームの時よりもシンプルなゴーグルとマスクに、耳あての付いた帽子を被っていた。
薄手のマウンテンパーカーを羽織って、物々しく首までジッパーを閉めている。くしゃくしゃした生地の半パンに足元は珍しいスニーカー。靴を履くタイプの義足を装着している。
「これかっこいいだろ? オクタンカラーの限定バージョンだぜ?」
得意気に足を持ち上げる仕草も弾んだ声も、俺にとっては抱きしめたいくらいに好ましく思える。
だがそんな事はおくびにも出さず、俺は奴を迎え入れた。
「まあ入れよ」
「出掛けるんじゃねぇの?」
「まだ早いだろ。お茶を飲んでからでも遅くはない」
「Si」
ポーチで靴を脱ぎ、オクタンは勝手知ったるという感じでリビングへ上がり込んできた。
早速ソファーに陣取って素顔を晒し、手足を伸ばしている。
まるで自分の家かのような遠慮のなさだ。
俺はキッチンの棚からオクタン専用になったマグカップを取り出し、自分のと一緒に並べた。
今日はゲームがないことだし、とっておきのコーヒー豆を挽いてやるとするか。
ネルで丁寧にドリップしたコーヒーを一口飲んで、オクタンはむふ、と笑った。
「お前んちに来ると、うまいもんにありつけるな」
「そうだろ? 何でもひと手間かける、ってのが大事なんだ。お湯を入れるだけのインスタントとは訳が違うんだぜ、ありがたく味わえよ」
「はいはい」
オクタンは俺の隣に座り、ソファーの上であぐらをかいている。そこにしか座る場所がないのだから当たり前といえば当たり前だが、俺たちの距離は自然と近くなった。目を凝らせば顔のうぶ毛までよく見える。
パーツのひとつひとつを遠慮なく眺めていると、オクタンは急に落ち着かない様子で、意味もなく口のまわりやほっぺたを手でこすった。
「大丈夫だ、泥は付いてねぇ」
「なんだよ」
照れ隠しのつもりなのか、義足で軽く小突かれる。
一緒に過ごす時間が増えるうちに、俺たちの間にはある種の気安さのようなものが出来上がりつつあった。
その空気感を俺はとても気に入っている。
こいつはそんなこと、深く考えちゃいないだろうけどな。
「今日はどこに行く予定?」
期待に満ちた声でオクタンが聞いてくる。
「ちょっと街の図書館までな。資料がいるんだ。今すぐに、ってわけでもないんだが……」
「なんだよ、えらく地味だな」
「だから言ったろ? 遊園地にでも行くと思ったか?」
マグカップを空にしたオクタンは、そのまま勢いよく立ち上がった。
「そんじゃ、はやく行こうぜ、ミラージュ」
「そう慌てるなよ、さっき来たばっかだろ」
「目的地があるのにじっと座ってるなんて、俺には我慢できないね。オクトレインの次の停車駅はソラスシティ図書館だ。乗り遅れんなよ?」
オクタンは笑いながら俺を見下ろして、急かすように上半身を揺らした。
……まったく、本当に二秒と同じ場所に居られないんだな。こんな奴を図書館に連れて行っても退屈するだけだと思うんだが、オクタンは装備を整えて行く気満々だ。
俺は車のキーをキーボックスから取り出し、ポケットに突っ込んだ。
マイペースな奴に振り回されながらも、密かに心が浮き立つのを感じる。
早いとこ用事を済ませて、それからは二人の時間だ。今日は一日中オクタンを独り占めできる。