Inchworm


「Hey,bro!」
ロッカールームで帰り支度をしている俺の後ろから、少し掠れ気味の陽気な声が聞こえた。
オクタンだ。
振り向くとすでにあいつは上半身裸になっていて、手に持った装備からは泥水が滴り落ちている。
どうやらゲームが終わったらしい。
「今日はどうだった?」
「おう、バッチリだ……って言いてぇとこだが、リングに嫌われちまってな、散々だったぜ。……それにしてもひどい有り様だな」
「なにしろ最終リングがドロ沼だったからな。パスなんか痩せたゴーレムみたいになっちまってさ、あれは傑作だったぜ」
オクタンは笑いながら汚れた手で鼻をこすった。
ゴーグルとマスクに守られてきれいだった顔もそれで台無しだ。
最終リングの様子を説明しながらズボンを脱ぎ始めたのを見て、俺はさり気なく目を逸らした。
こいつの裸を見るのは初めてじゃない。ゲームの後にシャワールームで鉢合わせれば、嫌でも目にする事になるからな。
とはいえ、今はあんまり意識したくない。
「そんでさ……」
備え付けのタオルを腰に巻き付けながら、オクタンが強引に視界に入ってこようとする。
なんなんだ、わざとやってるのか? もしかしたら興奮剤の効果がまだ残ってるのかもしれない。
俺は努めてあいつの顔だけを見るよう努力した。
「お喋りはそれくらいにして早く洗ってこいよ。風邪ひくぜ?」
「明日ってなんか予定ある?」
俺の忠告を無視して、オクタンは喋り続けた。
「……明日か……どうだったかな」
「お前はいつもヒマだろ?」
「そう思ってんなら聞くなよ」
余計なひと言に額を軽く小突くと、オクタンは無邪気な笑い声をあげた。
くそ、かわいいな。
「……まぁ、予定が無くもねぇが、お前がどうしてもってんなら付き合ってやってもいいぜ」
こいつの誘いにすぐ飛びつくのもシャクなので、俺はもったいぶった言い方をした。
オクタンは小首を傾げて、おかまいなしに畳み掛けてくる。
「予定って? 俺が一緒じゃまずい予定か?」
「そんな事はねぇが、お前には退屈だと思うぜ」
「じゃあとりあえず、明日の朝お前んちに行くよ。じゃあな、アミーゴ!」
一方的に約束を取り付けて、オクタンはドタバタとシャワールームに消えていった。
オクタンからの誘いはいつも突然だ。大抵は飲みに行ったり飯を食ったりするくらいのものだが、最近は休日を一緒に過ごすことも増えた。
今日みたいに約束して、何かプランでもあるのかと思えば、家に来てダラダラと過ごして帰るだけ、なんて事もしばしばだ。俺の隣でずっとゲームをやってるときだってあるからな。
こいつと距離を縮めたい俺にとっては不毛な時間なんだが、一緒に不毛な時間を過ごすのも、それはそれで無駄じゃないような気もする。
数ある選択肢の中から、あえて俺を選んでくれるって事に意味を感じたくもなるさ。
それが恋愛感情じゃなく、特別な友達っていう意味でもな。何事も特別ってのはいい事だ。
ちなみに明日予定があるってのは、あながち嘘でもない。ホログラムの研究に必要になった資料を、図書館に探しに行くつもりだったんだ。
実家に帰れば母さんが持っているかもしれないが、いかんせん今はシーズン真っ只中で、戻ってる時間がない。
俺だって四六時中、オクタンのことばかり考えてるわけじゃないんだぜ? たまには自分をアップデートしねえとな。
寄り道をせずに早めに家に帰った俺は、思い出したように部屋の掃除を始めた。
あいつが来るからじゃねぇぞ、ちょっと散らかってたのが気になっただけさ。

1/5ページ
スキ