待つ人帰る人
店の前にオクタンの姿はなかった。
万全の状態でも彼の脚力には追いつけないというのに、ケガをしているなら尚更だ。それでもミラージュは通りを見回し、自分の家の方向へと足を進めた。
車を持って来るべきだったと後悔し始めた頃、曲がった先の路地裏でフェンスにもたれ掛かっているオクタンを見つけた。
腕を組んでこっちを見ている。まるでミラージュを待っていたかのようだ。
安堵して思わず立ち止まったミラージュに駆け寄ると、オクタンは彼の首元に抱きついて、痛いくらいに力を込めた。
「追いかけて来なかったら、戻ってぶん殴ろうと思ってた」
てっきり罵倒されると思っていたが、オクタンの声は意外なほど淡々としていた。それが逆にミラージュの良心をちくちくと刺激する。ミラージュは観念して目を閉じた。
「いいぜ、そうしても」
「冗談だよ」
ふと笑いを漏らしたオクタンの息が首筋にかかる。
「浮気かそうじゃないかくらい、俺にも分かるぜ。けど、めちゃくちゃムカついたのは本当さ。お前にあんな風に触っていいのは俺だけなのに」
ミラージュの心臓がどくんと跳ね上がった。
嫉妬心と独占欲を素直にぶつけられて、嬉しくないわけがない。くびれた腰を抱き寄せ、ぴったりと身体を合わせると、冷たい夜の空気の中で、お互いの体温だけがどんどん上昇していくような気がした。
どれくらいそうしていただろうか?
ミラージュはオクタンの怒りがとっくに解けていることを知っていた。けれど手を放す気になれない。
「……オク」
「なんだよ」
「お土産は?」
「はあ? ふざけんなよ? 悪い子にやる土産はないぜ」
オクタンはぺろりと舌を出し、ミラージュから一歩離れた。
さっきまでのぬくもりが消えて、寂しさを覚えた手のひらの中に、オクタンの手が滑り込んでくる。
「さっさと帰ろうぜ。ほんとは走って帰りてぇけど、ノロマなお前に付き合ってやるよ。俺ってほんとやさしいな!」
ミラージュは、返事の代わりに繋いだ手を握りしめた。飴と鞭が絶妙に心をくすぐってくる、この感じがたまらない。
二人は肩を寄せ合い、ゆっくりとした足取りで、帰るべき家に向かって歩き出した。