待つ人帰る人


うなだれたマーヴィンを店の隅に移動させると、ミラージュたちは改めて腰を落ち着けて酒を飲み始めた。
しかしどうも気分が盛り上がらない。
ミラージュは、今ごろバカンスを楽しんでいるであろう、オクタンの様子を思い浮かべてため息をついた。
「パラダイスラウンジってここかしら?」
いきなり入り口の扉が開いて、派手なドレスを着た女達がぞろぞろと入ってきた。
「あっ、お客さんだよ、ミラージュ!」
パスファインダーが弾んだ声を出して、愛想よく彼女らを出迎える。
その中のひときわ目立つブロンドの女がミラージュを見つけて、長い付けまつ毛に縁取られた目を見開いた。
「エリオット!? やっぱりあんただったのね」
ミラージュにはその女が誰だか思い出せなかったが、口元のホクロとデコルテにあるタトゥーには見覚えがあった。
「もしかして、ロキシーか?」
「そうよ、久しぶりね! 依頼人の名前がエリオット・ウィットだったからまさかとは思ったけど……」
「依頼人?」
「ええ、あたし達『楽しいパーティーをお約束するアウトランズ酒宴組合』から来たのよ。ま、要するに主張ホストだけど」
「悪いが俺は呼んだ覚えがないな……なんかの間違いじゃねぇか?」
「だってちゃんと発注が来てるもの」
ロキシーと呼ばれた女がミラージュに端末を突き付けると、確かにその依頼メールにはミラージュの名前があった。
「もしかして、あいつが……」
ミラージュたちが首を傾げている横から、クリプトが用心深く口を挟んだ。
クリプトの目線の先には、強制シャットダウンされた無言のマーヴィンが立っている。
「……マジかよ。こりゃいよいよ本格的にイカれちまったみたいだな、マーヴの奴……」
「お姉さんたちは何をする人なの?」
呆れるミラージュたちをよそに、パスファインダーが無邪気に問いかけた。
「一緒にお酒を飲んだり、要望があれば歌ったり踊ったりするわよ。それ以上は交渉次第ね」
ロキシーの目が妖しく光ったが、パスファインダーにはその意味が分かっていないようだった。
彼女の後ろで成り行きを見守っていた組合員のひとりが、眠たそうな声を上げる。
「ねえロキシー、あたしたちどうすりゃいいの? イケメンたちを前にして、ここで突っ立ってるだけ?」
「そうねぇ、間違いなら帰ってもいいけど。もちろん、キャンセル料はいただくわ。どうする? エリオット」
「……まぁいいか。せっかく来たんだし、あんたらも客のつもりで飲んでいけよ。俺らも退屈してたんだ」
ミラージュの言葉に組合員たちは沸き立ったが、クリプトはミラージュの脇腹を肘で小突き、小声で囁いた。
「いいのか?……オクタンにバレても知らないぞ」
「あっちはあっちで楽しくやってるんだ。俺らだって少しくらい羽目を外したっていいだろ」
「あの女性と知り合いみたいだが?」
「えっ、そりゃまあ、なんだ……昔の馴染みってやつさ。顔がしょっちゅう変わるから、思い出すのに苦労するけどな……」
「俺は帰らせてもらうぞ、ウィット。こういうのは苦手なんだ」
クリプトが席を立とうとすると、すかさず女達が彼を取り囲んでそれを阻んだ。
「きゃー、本物のクリプトよぉ? かわいい〜! お肌がすべすべだわ」「お、おい、やめろ。気安くさわるな」「髪もサラサラ〜!」
「こちらのマーヴィンちゃんも素敵♡」「ほんと? ボク、イケてる?」「イケてるイケてる〜」
あれよあれよという間に、クリプトとパスファインダーは壁際の席に連れ去られてしまった。ミラージュは仕方なく、カウンターの中で仕事をするはめになった。
ロキシーはそのままミラージュの前に座って、懐かしそうに彼に話し掛けた。
「それにしてもエリオットったら、すいぶん出世したじゃない。知り合った頃はただの見習いバーテンダーだったあんたが、今をときめくレジェンドだなんてね。それに、いつの間に男に鞍替えしたのよ?」
「鞍替え……って、言葉が悪いな」
「だってそうでしょ? その可愛いお連れさんは今日はいないのね、残念だわぁ。オクタンの素顔が見られるかと思ったのに……」
「奴は俺を置いてバカンスに行っちまった……はぁ、俺も行けばよかったぜ」
冴えない顔でぼやくミラージュとは対照的に、店の中は賑やかな話し声と笑い声が次第に大きくなっていった。
そのほとんどが組合員によるものだったが、最初は難しい顔をして固まっていたクリプトも、酒が入るに従って、まんざらでもない顔になっていった。
そのうち一人で忙しくしているのが馬鹿らしくなったミラージュは「俺も働くのはやめだ、飲みたきゃ好きに飲みやがれ」と、カウンターを出て、フロアの騒ぎに加わった。
楽しいパーティーを約束するという謳い文句は嘘ではないらしい。
ミラージュはちらりと店の隅のマーヴィンを見た。
彼女らを呼んだ張本人が、あんな所でひとりうなだれているのは少し可愛そうな気もする。
それはゲーム中にそこかしこで見かける、スロットの景品を吐き出したマーヴィンたちの姿と同じだった。
「どこ見てんのよ、ミラージュ?」
「ん? ああ、何の話だっけ?」
「あたしがシルバ製薬とチェブレックス社の合同パーティーに行ったって話よ……」
「……そうだった。んで?」
「アウトランズ中の顔役が勢ぞろいしてる、あくびが出るくらい退屈なパーティーだったわ。出席者全員、揃いも揃って誰も楽しそうじゃなかったもの。ま、報酬だけは破格だったから何とか我慢できたけど。マーシナリー・シンジケートの幹部らしき顔もちらほら見かけたわね」
「いよいよ恐怖政治の始まりか?」
「そんなのは勘弁だわ。あたしは自由なアウトランズが好きなのよ。はみだし者たちも優しく受け入れてくれるような、猥雑でちょっと下品な……この店みたいにね」
「下品はちょっと余計じゃねぇか?」
ミラージュは肩をすくめて自分の店をぐるりと見回した。亡くなった先代から譲り受けた小さな店だが、自分ではなかなかいい店だと思っている。
「相変わらず、フリンジワールドだのプサマテだのあちこち飛び回ってるみたいだが、あんたも気を付けろよ。金で命は買えないんだぜ? レヴみたいになりてぇってんなら話は別だがな」
「ありがと。……あんたやっぱいい男だわ、エリオット」
「なぁに、それほどでもあるぜ。今ごろ気付いたか?」
ロキシーはミラージュの肩に腕を掛けて、ほっぺたに親愛の印を押し付けた。レジェンド以外の女性と、こんなに密着するのはいつぶりか……さすがにときめいたりはしないが、悪い気もしない。
鼻の下を伸ばしたミラージュが何気なく入り口の方に目をやると、そこに立っている人影と目が合い、思わず飛び上がりそうになった。
肩を怒らせたオクタンが、仁王立ちでこっちを睨んでいる。いつから居たのか、出掛けたときと同じ服を着て、珍しく素顔を晒していた。
なぜここに? 帰ってくるのはまだ先のはずだ。
「あら、まあ……」
ロキシーがその場にそぐわない、のんびりした声を出した。
ミラージュは視線を彷徨わせ、助けを求めるようにクリプトたちの方を見た。
クリプトは顔を真っ赤にして、お姉さんの膝の上で果物をア~ンされている。パスはパスで、頭のレンズ周りに幾つもの口紅の跡を付けて、モニターをハートだらけにしていた。二人とも、オクタンの存在に気付くどころではないようだ。
絶望的な気分になったその時、いきなり胸ぐらを掴まれて引き寄せられた。
目の前には日に焼けたオクタンの顔があって、何がなんだか分からないままにキスされる。
隣で目を丸くしているロキシーに見せつけるように、オクタンの舌が唇の間から深く侵入し、口の中を蹂躪した。
恋人との久しぶりのキスにうっとりするどころか、ミラージュは、その怒りに任せた凶暴なキスを受け止めるので精一杯だった。
さんざん唇に噛みつき舐め回した後、オクタンはミラージュを突き離し、くるりと踵を返した。
「ま……待て、オクタビオ……なんで」
ミラージュの声など聞こえていないかのように、乱暴に扉を押し開けて外に飛び出して行く。
まわりの者たちもさすがに異変に気付き、残されたミラージュを凝視していた。
「あんなにあからさまに対抗意識もやしちゃって……かわいいのね」
ロキシーの言葉に、ミラージュは呆けたように入り口を見つめながら唇だけを動かした。
「そうだろ? 最高にかわいい奴なんだ、あいつは……」
「呑気なこと言ってないではやく追いかけなさいよ」
「言われなくてもそうするさ。元気でな、ロキシー」
ミラージュは立ち上がり、足を庇いながら店の外へ出た。口の中にはまだ、オクタンの熱い舌の感触が生々しく残っていた。

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