待つ人帰る人
「……おい、クリプちゃん。何だよそのシケたツラは? なんか面白いこと言えよ」
「自分から呼び出しておいてその言い草はないだろう? つまらないなら俺は帰るぞ」
「まーたそんな事言っちゃってぇー! お前もワッツに置いてかれたクチだろ? 俺は知ってんだぜ? 寂しいなら素直にそう言えってんだ」
「寂しいのはお前の方だろ? 俺は置いて行かれたんじゃない、自分の意志で残ったんだ。南の島でバカンスなんて柄じゃないし、ガイアにはなるべく近寄りたくないしな……」
パラダイスラウンジのカウンター席にはミラージュとクリプトしかいなかった。カウンターの向こう側には、パスファインダーと弟分のマーヴィンが、まだ本調子でないミラージュの代わりにマスターとして働いている。
オクタンが出掛けた後、三日ほどは一人で何とか過ごしたものの、毎日送られてくる楽しそうなメールを見て猛烈に寂しくなったミラージュは、同じ居残り組のパスファインダーとクリプトに電話をかけた。バカンスに行かなかった者の中で、話し相手になりそうなのがこの二人しかいなかったからだ。
「お前は何で行かなかったんだ? ああいうの好きだろ、パス?」
ミラージュが話を振ると、それまで固まったように動かなかったパスファインダーが、カウンター越しにカメラアイを光らせた。
「……えっ? ごめん、聞いてなかった。ボクは今、アッシュの事で頭がいっぱいなんだ。悪いけど君の相手はマーヴにしてもらってくれる?」
「はぁ……、どいつもこいつも話し相手にもなりゃしねぇ。家で壁と話してる方がましだったかもな。久しぶりに店を開けたってのに客は来ねぇし、オクタビオは俺を置いて出掛けちまうし、最悪だ」
ミラージュは、カウンターの中で黙々と氷を削っていた古い型式のマーヴィンに向かってくだを巻いた。
パスファインダーの弟分としてこの店を手伝うようになったマーヴィンは、最初こそヘまをしてばかりだったが、最近ではパスがいなくても一人前に仕事をこなすようになっていた。
クリプトとワットソンの二人が、熱心にプログラムのアップデートに取り組んだおかげでもある。
「パスファインダーハ、彼女トノ再会ヲ、トテモ楽シミニシテイマス。ワタシモ、二人ガウマククイクコトヲ願ッテイマス」
マーヴィンは律儀に答えた。
ミラージュはストームポイントでのアッシュの姿を思い出して、気味悪そうに眉をひそめた。
「……俺はトレーラーの撮影でそのアッシュって奴に会ったけどよ……あいつは人の心なんか持ってないみたいに見えたぜ。ありゃただの殺戮マシーンだ。レヴナントの方がまだ可愛げがあるぜ……」
「そんな事はないさ。君は彼女を誤解しているよ、ミラージュ。ボクは彼女を信じてる。恋人にはなれなくても、またいい友達に戻れたらいいなと思ってるんだ」
「パス……お前ってやつは……」
健気なパスファインダーに、ミラージュはいたわしげな目を向けた。
「俺とナタリーで彼女を復元したときには、まさかこんな事になるとは思わなかったな……。ナタリーはプログラムの配列を見て絶対に女性だと言っていたが、やはりそれは間違っていなかった……さすがだ」
ミラージュの隣で押し黙っていたクリプトが、ウィスキーを口にしながら感じ入ったように口を開いた。ナタリーという名前を聞いて、ミラージュがすかさず食い付いてくる。
「なぁ、クリプちゃん? 実際のところ、お前とワッツってどうなってんだ?」
「どうって……何がだ」
「付き合ってんの?」
「……みんながみんな、お前みたいな恋愛に浮かれた脳ミソを持ってると思うな。俺とナタリーはいい友人だ。俺は彼女を研究者として尊敬しているし、信頼してもいる」
「嘘をつけ嘘を。優等生ぶったってムダだからな。いいか、今ごろワッツは南の島で楽しくやってんだぞ? ビキニかなんかを着てよ、ビーチで野郎どもにナンパされてるかもしれないぜ」
「……ナタリーはそんな尻軽な女じゃない。ビキニなんか着ない」
「どうだかな」
「ビキニなんか……着ないんだ」
クリプトは伏し目がちになり、自分に言い聞かせるように繰り返した。
だが彼の脳裏には、逆光の中、白いビキニを着た弾けんばかりのワットソンの水着姿がチラついて、くねくねとクリプトを誘惑している。
半身に走るリヒテンベルク図形さえも、精巧なタトゥーのように、彼女のわがままボディを引き立てていた。
「그만해……!」
クリプトは突然頭を掻きむしり、そばに置いてあったデバイスを鷲掴みにしてEMPを炸裂させた。ハックから放たれた強烈な電磁波が辺りを包み、巻き込まれたミラージュと二体のマーヴィンが飛び上がる。
「い゛っ、痛え!」
「ワオ! 一体どうしたんだい? クリプト、ボクも驚いちゃったよ!」
「……雑念を祓ったんだ。すまない、俺は少し冷静さを欠いていたようだ……」
逆立ったクリプトの黒い髪がゆっくりと元の状態に戻っていく。それと共に、彼の表情も普段の落ち着きを取り戻していった。
「お前なぁ……何を想像したか知らねぇが、俺の足がぶり返したらどうしてくれんだ?」
「すまない……」
「ガガガ……」
ミラージュの隣に立っていたマーヴィンが、突然雑音混じりの機械音をがなり立てた。
ミラージュが訝しげに彼を見る。
「オイ、パス。オレモサケヲ飲ンデミタイ。ビールヲヨコセ」
「ボクたちがお酒を飲んだら回路が壊れちゃうよ。急にどうしたんだい、マーヴ? お父さんに言ってごらん?」
「いつからこいつの親父になったんだ? パス?」
「最近パスは、ロボットなら誰彼構わず父親を名乗ってるんだ。俺のハックやライフラインのD.O.Cにもな……」
「機械の子はみんなボクの子供たちさ! だからマーヴもボクの息子と同じだよ」
「カッテニ父親ヅラスルナ、ポンコツ」
マーヴィンは抑揚のない、しわがれた声で言い放った。
「おい、クリプちゃん。こいつを喋れるようにプログラムしたのはお前とワッツだろ? ちょっと口が悪すぎるんじゃないか? 仮にも客商売なんだぜうちは……」
「おかしいな……こんな喋り方じゃなかったはずなんだが」
「さっきのクリプトのEMPのせいでおかしくなっちゃったんじゃないかな? なんせ彼は100年も昔のマーヴィンだからね」
「ナンダト? 偉ソウニマウントヲ取ルツモリカ? キサマ……」
「おいおい……親子ゲンカはよせよ。仲良く行こうぜ」
「……フン」
マーヴィンはギクシャクとした動きでカウンターを離れると、せわしなく歩き回りながら何やらビープ音を鳴らし始めた。
「あいつ、大丈夫か? 暴れだして店を壊すなんてことはないだろうな? 一応、保険には入ってるけどよ……」
「マーヴは優しいロボットだよ、そんな事はしないさ」
「ナタリーが帰ってきたらプログラムを見直してみよう。それまでは、念のために電源を切っておいた方がいいかもな」
クリプトがマーヴィンの背後から近付いて電源を落とすと、マーヴィンは「アッ、ソコ……ラメェ……」と言い残し、動かなくなった。