待つ人帰る人


「悪い……起こしたか?」
「……ん……おかえり、オク……」
最終戦の後、明け方近くに帰って来たオクタンは、いつものようにベッドで眠っているミラージュの隣にそっと潜り込んできた。
「ただいま……やっと終わったぜ、ハロウィンもシーズンもな」
「おつかれ……ゆっくり休めよ」
条件反射のように、その少しひんやりした身体を抱き寄せたミラージュは、オクタンの頭のてっぺんに労いのキスを送り、二言三言言葉を交わすと、再び目を閉じて深い眠気に沈んだ。
話なら明日ゆっくりすればいい。
すれ違い気味の生活も終わり、やっと明日から二人で休暇を過ごせる。目覚ましをかけずに午後まで寝ていたっていいのだ。
右足の回復具合も順調で、そろそろ杖なしで歩いても大丈夫だろう。筋力を落とさない為に、リハビリも兼ねたトレーニングもしなければならない。 
母親の事や店の事も気掛かりだったが、とにかく今は早く足を治す事が先決だ。
せっかくの休暇にどこにも行けないのを心苦しく思いつつも、ミラージュにとっては、そこにオクタンが居ればそれで満足だった。場所などどこでもいい。
徐々に温まっていく指先を自分の手に絡めて、ミラージュはしっかりとオクタンを抱いて眠った。

しかし翌朝、そんなミラージュの夢見がちな思いとは裏腹に、オクタンが突然こう切り出したのだ。
「アジャイたちがガイアにバカンスに行くっつってんだけど、俺も行っていいか?」
「えっ……?」
ミラージュは思わず絶句した。
「バカンスって……お前一人でか? 俺は? 俺はどうなる?」
「お前はまだ足が良くなってないだろ」
「俺に一人で留守番してろってのか?」
「まあ、そういう事になるな」
「そんな……」
「トレーラーの撮影で行った島、めっちゃ綺麗なとこだっただろ? ヒューズとかジブたちとキャンプするんだって。なんとあのブラハも来るんだぜ? 話を聞いてたら俺も行きたくなっちゃってさ……お前を置いてくのは悪いと思うけどよ……なぁ、ダメか?」
首を傾けて様子を伺う仕草にあざとさを感じつつも、ミラージュはそれ以上オクタンを問い詰めることができずに、二人は合わせ鏡のように無言で見つめ合った。
こういう場合、先に口を開いた方が負けだと分かっているのだ。
テーブルの上には、久しぶりにミラージュが作った朝食が、手付かずで湯気を立てている。
結局、折れたのはミラージュの方だった。
若干の恨めしさはあるが仕方ない。せっかくの休暇を無駄にさせるのもかわいそうだし、ケガをしてからずっとオクタンに世話をかけているという自覚もあった。
それに、そうと決めたら何でもお構いなしに実行してしまう性格のオクタンが、一応は自分にお伺いを立ててくれる、それに免じて許してやってもいいかと思い直した。
「オーケー、分かったぜ。行ってこいよ」
「マジか? 一週間だぜ? ほんとにいいのか?」
「ああ」
「グラシアス、エリオット!」
オクタンが満面の笑みを浮かべて目を輝かせ、ミラージュに飛びついて頬にキスする。
「愛してるぜ! エリ、大好きだ」
「おっとっと……分かったから早く飯を食っちまえよ。……ほんとに現金な奴だなお前は」
オクタンは言われた通り自分の椅子に戻り、ボリュームたっぷりのクラブサンドイッチにかぶりついた。
モグモグと動く唇は嬉しげに弧を描き、ミラージュを見る目は三日月の形になっている。
 ——そんな顔されちゃあな……。
ミラージュは困ったように微笑んで、オクタンのほっぺたに付いたパンくずを取ってやった。

出発前の晩、オクタンはまだ足首に少し痛みの残るミラージュの上に乗り、いつもよりだいぶ濃い目のサービスをしてくれた。
「一週間できねぇから、いっぱいやっとかねぇとな」
身も蓋もなくのたまう恋人に、ミラージュは苦笑するしかない。
かくして一週間分の精力を搾り取られたミラージュは、気怠い身体を杖にもたせ掛け、心なしかやつれた顔でオクタンを見送った。
「じゃあ、俺は行ってくるぜ。土産を買ってくるからいい子にしてろよ」
ノースリーブのパーカーに半パン、目深に被ったキャップと、11月とは思えないような軽装に身を包んだオクタンは、ミラージュの唇に軽いリップ音を立てると、元気に手を振って玄関を飛び出していった。

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