作る人食べる人


「なんで銃で撃たれた傷は治るのに、屋根から落ちた俺のケガは治らねえんだ? 同じゲーム中の負傷だってのに理不尽だと思わないか?」
 ソファーの上でクッションに足を乗せ、オクタンにバナナを食べさせてもらいながらミラージュはそうぼやいた。
 ハロウィンのイベントで足首を痛め、残りのシーズンを欠場することになったミラージュは、痛みと腫れが引くまで家で安静にしていなくてはならなかった。
 腫れ上がった右足はテーピングとサポーターで厳重に固定されているものの、杖がなければ歩行は困難な状態で、痛みが引いて歩けるようになるまで最低一週間はかかるという。
「まぁ、そのおかげでハロウィンとおさらばできたんだし、こうやって俺に優しくしてもらって嬉しいだろ? ほら、シリアルも食うか? エリィちゃん」
 ソファーの肘掛けに腰を下ろして、オクタンは甲斐甲斐しくミラージュの口に遅い朝食を運んだ。
 普段全く料理をしない彼が、ミルクをぶっかけたシリアルとバナナという朝食を曲がりなりにも用意し、隣に付きっきりで食べさせてくれている。
 オクタンの事だから半分面白がっているのだろうが、ミラージュが感じていた理不尽はあっけなく忘却の彼方へと消え去った。
 たまにはこうやって尽くされるのもいいな、と目を細めながら、詰め込まれたシリアルを咀嚼する。
 しかし、現実的にはそう呑気なことも言っていられない。
 この家の主夫でもある彼が動けなくなると、必然的に食生活が立ち行かなくなる。
 なんせ同居人のオクタンは、そっち方面にはまるっきり役に立たず、いつも出てくる料理をうまいうまいと言って平らげるのが仕事のようなものだ。
 夕食だって、毎日デリバリーやテイクアウトという訳にもいくまい……と、ミラージュが出張家事サービスのマーヴィンを派遣してもらおうかとオクタンに提案すると
「じゃあ俺がやるよ」
と、予想外の答えが返ってきた。
「えっ、お前が?」
「なんだよ、そんなに驚くことか?」
「……だってお前は何もできないだろ? まだゲームだって残ってるし、ちゃんと栄養のあるもんを食わねぇと……」
 つい、ズバリ本当の事を言ってしまった。何もできない上にやる気もない、ミラージュはそう思っていた。
 一緒に暮らし始めてからオクタンが料理をしたのは、ミラージュが風邪で寝込んだ一回きりだ。皿くらいは洗ってくれるようになったものの、なにか作るということに興味も意欲も見せたことがない。
 ミラージュの不安をよそに、オクタンは得意げに唇の両端と立派なまゆげを持ち上げた。
「だいじょぶだって! 俺様はやるときゃやる男だぜ。お前の大好きなポークチョップでも何でも作ってやるよ。お前よりも旨くできたからって拗ねるなよな?」
 午後になると、オクタンは意気揚々と買い物に出掛けて行った。今夜もゲームがあるから休んでいろと言うミラージュの忠告も、どこ吹く風といった様子だ。
 大量の食材を買い込んで戻って来ると、夕方には缶詰のソースの海に埋もれた山盛りのパスタがミラージュの目の前に差し出された。
「以外と簡単だったぜ」
と胸を張る姿に毒気を抜かれ、ミラージュはその存在感溢れるボロネーゼをありがたく味わった。
「うまいか?」
「ああ、お前にしちゃ上出来だ。ちゃんとハインツと同じ味がするぜ」
「へへっ、明日は何を作るかな?」
 器用にパスタを丸めて掬いながら上機嫌な様子のオクタンは、突然のイレギュラーな生活を、ここぞとばかり楽しもうとしているようだ。


 それから数日が過ぎた。
 午前十時、目覚ましを乱暴に止めて、オクタンが寝ぼけまなこのミラージュの服を脱がしにかかる。
「ほら、洗濯するから着替えろよ」
「どうせお家にいるんだからこのままでいいよ、ママ……」
 まだ眠いミラージュは、目をショボショボさせながら、布団の中に戻ろうと抵抗を試みた。
「甘ったれるな。お前は毎日、食っちゃ寝食っちゃ寝してだらしがねぇぞ。仮にもレジェンドだってのに、何だその体たらくは……」
「だってやる事がないんだもん」
「ホログラムの改良とかなんかあるだろ?」
「俺は今、過去最強クラスだからいいんだよ。完璧だ。……ほら、さっさと着替えさせてくれ」
「開き直りやがって……襲うぞ」
「……あしがいたい」
 しょうがねぇな!とぶつくさ言いながら、オクタンはミラージュの着ていたTシャツとスウェットパンツを脱がせて、新しいTシャツとスウェットパンツに着替えさせた。
 そして、右足のテーピングを外して丁寧に巻き直す。
「……生身の足ってのは不便だな。義足ならちょちょっとスペアにとりかえればそれで済んじまうのに。痛みも感じねぇし、二階から飛び降りたって平気だ」
 そう言って、ミラージュの足首をさするオクタンの手付きは、生きた皮膚と肉の感触を楽しんでいるかのようだった。
「懐かしいか?」
「……ほんのちょっとな。でも俺は、今のこの脚だって好きだぜ。失くしたものもあるけど、これのおかげで得たものだってある」
 オクタンは照れたように本音を漏らした。
 ミラージュとて、本当は触ってみたかったと思う。オクタンの丸い膝に、固いふくらはぎに、五本揃った足の指に。
 今でも時々幻肢痛に悩まされていることも、嫌というほど知っている。
 それでも今の自分が好きだと言うオクタンの無骨な鋼の義足を、ミラージュは同じように心を込めて撫でてやった。
「さ、そろそろベッドを明け渡してくれよ。俺は忙しいんだ。飯を作って、シーツも洗濯しなきゃな!」
 ミラージュをベッドから追い出し、テキパキとシーツをはがすと、オクタンは丸めた洗濯物を持ってバスルームの方へと消えていった。
 すぐに飽きるかと思っていた主夫ごっこも、意外と長続きしている。文句を言いつつ、あれこれとミラージュの世話を焼くのが楽しそうだ。
 残されたミラージュはポリポリと頭をかいて、とりあえずダイニングへと向かった。
 オクタンが施したテーピングは完璧で、少しくらい動かしても問題ないように思えたが、念の為、松葉杖を手に取る。使わないとオクタンが怒るのだ。もちろん、一緒に手伝うことも許されない。
 ミラージュがおとなしくダイニングテーブルの定位置に収まっているのを確認して、オクタンはキッチンに立った。
「どれにしようかな〜?」
 冷蔵庫を覗く姿は楽しげで、自然とミラージュの頬も緩む。自分のために恋人が奮闘してくれていると思うと、まだ寝癖のついた髪も無精ヒゲすらも、すべてがひたすら愛おしかった。
 でたらめな鼻歌まじりに、コーヒーをドリップする音といい香りが漂ってくる。
 目を閉じて、コポコポという小気味いい音に耳を傾けながら、ミラージュは幸せを噛みしめた。
「パンも食うか? スープは?」
「いただこう」
 意外にもオクタンの作る料理は、簡素だったが美味かった。最初はインスタントの食品も多かったが、日を追うごとに手作りのメニューも増えた。自分で言うだけあって、やるときはやる男なのだ。
 不恰好に切られた野菜にも愛情を感じる。
 シンプルな野菜スープは、どこの高級レストランのスープよりも暖かく胃に染みた。
「うまいな」
 ミラージュが微笑むと、オクタンも嬉しげに唇を持ち上げる。
「だろ? 愛がこもってるからな!」
 ガーリックバターを塗ってこんがり焼き目をつけたバケットとスパニッシュオムレツ、コンソメ味の野菜スープにトマトジュース……。
 それらがミラージュの口に運ばれるのを、オクタンは自分が食べるのも忘れたように隣で見守っている。
「……そんなに見られると食いずらいな……お前も食ったらどうだ?」
「お前が飯を食ってる俺のこと、じっと見る気持ちが分かったぜ。じぶんの作った料理を誰かがうまそうに食うのって、すげぇ嬉しいもんなんだな」
 屈託なく笑顔を溢れさせるオクタンに、オムレツを口の中に入れたまま、ミラージュの喉がぐっと詰まった。
 幸せと一緒にそれを飲み込んで、ミラージュが微笑みながら頷く。
「ああ、そうさ。だから俺は料理が好きなんだ。それを食うお前もな……」


 幸せいっぱいのブランチのあとには、戦場跡のように殺伐としたキッチンの後片付けが待っていた。だがそれも、二人にとっては楽しい共同作業にすぎない。
 たわいもない会話を交わしながらオクタンが皿を洗い、椅子に座ったミラージュがそれを拭く。
「あ、そうだ」
 突然、オクタンが思い出したように呟いた。泡だらけのシンクに突っ込んだ手を止めて、ミラージュの顔の高さに身をかがめる。 
「なんか忘れてると思ったぜ」
 キラキラと眩しいベルデの瞳が近付いてくる。
 優しい陽の光が差し込むキッチンで、ミラージュとオクタンは今日初めてのキスを交わした。



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