愛のために
そんなにバッジが欲しかったのか、薬にケチを付けたのが気に入らなかったのか……。
オクタンと別れたあと、ミラージュはぼんやりと考えながらパーキングへと向かった。
途中、ファンに取り囲まれているクリプトを見かけて立ち止まる。
ファンサービスが苦手なクリプトは、彼らのサインやカメラ責めにたじたじとなっていて、ミラージュの姿に気付くと、助けを求めるような顔になった。察したミラージュが、助け船を出す。
「おい!クリプト!待たせて悪かったな、こっちだ」
約束した覚えはなかったが、クリプトはこれ幸いにと、彼に向かってダッシュして来た。
ミラージュは、残されたファンたちに極上の笑顔をサービスし「ごめんな、こいつと約束があるんだ」とウィンクを送った。
「それから、お嬢ちゃん達。ここは関係者以外立ち入り禁止だ。警備ロボットに見つかる前に、気を付けて帰りな」
キャーという歓声を後ろに聞きながら、ミラージュと並んで歩くクリプトが
「ありがとう、助かった」
と、ほっとしたような声で言った。
「お前も相変わらずだな。いい加減慣れろよ。ファンサービスにもコツってもんがあるんだ。真面目に全部相手にしてたら身が持たねぇぞ」
ミラージュが呆れたように笑う。
「はぁ……、俺はあんたみたいに器用じゃないんだ。どうも、断るタイミングが分からない」
頭を掻きながらぼやくクリプトを見ていたミラージュが、ふと思い付いたように言った。
「なぁ、暇だったらちょっと付き合わねぇか? 飲みたい気分なんだ」
珍しい相手からの誘いに、クリプトは少しの間考え込んだ。
「無理にとは言わねぇ」
その言葉の裏に、ぜひとも付き合って欲しいという圧力を感じ取ったクリプトは、さっきの事もあり「いいだろう」と返事をした。
酒を飲むということでミラージュは車を、クリプトは原動機付き自転車を、それぞれパーキングに残し、近くのアジア風居酒屋の暖簾をくぐった。
ビールで軽く乾杯したあと、クリプトは意味ありげに笑った。
「あんたが俺を誘うなんて、よっぽど話し相手が欲しかったんだな。オクタンと何かあったのか?」
いきなり核心をついてきたクリプトに、ミラージュは動揺を隠せない。
「おっ……おう。さすが敏腕ハッカーは情報が早いな」
「情報も何も、あんたが分かりやすすぎるんだ。で? なるべく簡潔に頼むぞ」
頼んだというのに、ミラージュの話は長かった。
どうでもいい部分を勝手に削除し、クリプトが理解したのは、オクタンがバッジを欲しがっていて、それを逃したことで険悪なムードになったという、ごく単純な事だった。
「……あいつがそんなに、バッジだの戦績だのにムキになるのは初めてなんだ。何で急に……?」
ミラージュはビールを口にしながら首を振ったが、クリプトには心当たりがあった。
「もしかして……」
バッグからPCを取り出し、素早く何事かを入力すると「これか」と呟いた。
ミラージュが、向かい側から身を乗り出して覗き込もうとするが、クリプトはそれを遮ってPCを閉じてしまった。
「何だよ? 見せろよ」
「あんたは見ない方がいい。案外、打たれ弱そうだからな」
怪訝な顔をして自分を見るミラージュに、クリプトは噛んで含めるように話し始めた。
「多分だが、オクタンは、自分のSNSであんたが悪く言われてるのを見たんだと思う。バッジが取れないのはミラージュのせい、みたいなやつだ。もちろん、これはマイルドに言ってるんだぞ。熱狂的なオクタンのファンだかあんたのアンチだか、どっちにしろ、くだらない言い掛かりだがな。だから、オクタンは勝ってそいつらを見返したい、その為に無茶をした……そんなとこだろ」
ミラージュは黙ってそれを聞いていた。
クリプトが話し終わっても、ぱちぱちと瞬きをしながら顎髭を撫でている。
「それはつまり……俺の為か?」
「ああ」
「俺の為に、勝ってバッジを取りたかったってこと?」
「多分な」
大喜びするかと思いきや、ミラージュは意外にも静かで、端正な顔を曇らせて何かを考えているようだった。
今日の苛立ちは、あいつ自身に向けられたものだったのか。
誰にも何も言わせねぇのに、と言ったオクタンの言葉を思い出す。
オクタンが自分の知らない所で傷付き、ひとりで戦っていた事を思うと、嬉しいというより、何か切ないような、胸が締め付けられるように痛くなった。
「それが本当なら、俺はひどい事を言っちまったな」
ミラージュがぽつりと呟いた。
心底悲しそうな顔をしている。
「仕方ないさ、あんたは知らなかったんだ。オクタンだって、あんたを悪意から守りたかったから黙ってたんだろ。……ずいぶんと愛されてるじゃないか」
クリプトが、意外なほど優しい声で言った。
「そう思うか?」
「あとは本人に聞けよ。……何だかすっかり当てられた気分だ。用は済んだだろう? 俺は帰るぞ。ここはあんたの奢りって事で、よろしくな」
涼しい顔をして席を立ったクリプトは、トレーラーで見せたようなウィンクを残して店を出て行った。
「何でそれが、ファン相手にできねぇんだ……?」
ミラージュは、クリプトの後ろ姿を見送りながら独りごちた。
そして、テーブルの隅に置かれた、アナログな伝票を手にして立ち上がる。
——さてと……、悪い魔女の呪いにかかっちまった王子様を助けに行くとするか。
オクタンと別れたあと、ミラージュはぼんやりと考えながらパーキングへと向かった。
途中、ファンに取り囲まれているクリプトを見かけて立ち止まる。
ファンサービスが苦手なクリプトは、彼らのサインやカメラ責めにたじたじとなっていて、ミラージュの姿に気付くと、助けを求めるような顔になった。察したミラージュが、助け船を出す。
「おい!クリプト!待たせて悪かったな、こっちだ」
約束した覚えはなかったが、クリプトはこれ幸いにと、彼に向かってダッシュして来た。
ミラージュは、残されたファンたちに極上の笑顔をサービスし「ごめんな、こいつと約束があるんだ」とウィンクを送った。
「それから、お嬢ちゃん達。ここは関係者以外立ち入り禁止だ。警備ロボットに見つかる前に、気を付けて帰りな」
キャーという歓声を後ろに聞きながら、ミラージュと並んで歩くクリプトが
「ありがとう、助かった」
と、ほっとしたような声で言った。
「お前も相変わらずだな。いい加減慣れろよ。ファンサービスにもコツってもんがあるんだ。真面目に全部相手にしてたら身が持たねぇぞ」
ミラージュが呆れたように笑う。
「はぁ……、俺はあんたみたいに器用じゃないんだ。どうも、断るタイミングが分からない」
頭を掻きながらぼやくクリプトを見ていたミラージュが、ふと思い付いたように言った。
「なぁ、暇だったらちょっと付き合わねぇか? 飲みたい気分なんだ」
珍しい相手からの誘いに、クリプトは少しの間考え込んだ。
「無理にとは言わねぇ」
その言葉の裏に、ぜひとも付き合って欲しいという圧力を感じ取ったクリプトは、さっきの事もあり「いいだろう」と返事をした。
酒を飲むということでミラージュは車を、クリプトは原動機付き自転車を、それぞれパーキングに残し、近くのアジア風居酒屋の暖簾をくぐった。
ビールで軽く乾杯したあと、クリプトは意味ありげに笑った。
「あんたが俺を誘うなんて、よっぽど話し相手が欲しかったんだな。オクタンと何かあったのか?」
いきなり核心をついてきたクリプトに、ミラージュは動揺を隠せない。
「おっ……おう。さすが敏腕ハッカーは情報が早いな」
「情報も何も、あんたが分かりやすすぎるんだ。で? なるべく簡潔に頼むぞ」
頼んだというのに、ミラージュの話は長かった。
どうでもいい部分を勝手に削除し、クリプトが理解したのは、オクタンがバッジを欲しがっていて、それを逃したことで険悪なムードになったという、ごく単純な事だった。
「……あいつがそんなに、バッジだの戦績だのにムキになるのは初めてなんだ。何で急に……?」
ミラージュはビールを口にしながら首を振ったが、クリプトには心当たりがあった。
「もしかして……」
バッグからPCを取り出し、素早く何事かを入力すると「これか」と呟いた。
ミラージュが、向かい側から身を乗り出して覗き込もうとするが、クリプトはそれを遮ってPCを閉じてしまった。
「何だよ? 見せろよ」
「あんたは見ない方がいい。案外、打たれ弱そうだからな」
怪訝な顔をして自分を見るミラージュに、クリプトは噛んで含めるように話し始めた。
「多分だが、オクタンは、自分のSNSであんたが悪く言われてるのを見たんだと思う。バッジが取れないのはミラージュのせい、みたいなやつだ。もちろん、これはマイルドに言ってるんだぞ。熱狂的なオクタンのファンだかあんたのアンチだか、どっちにしろ、くだらない言い掛かりだがな。だから、オクタンは勝ってそいつらを見返したい、その為に無茶をした……そんなとこだろ」
ミラージュは黙ってそれを聞いていた。
クリプトが話し終わっても、ぱちぱちと瞬きをしながら顎髭を撫でている。
「それはつまり……俺の為か?」
「ああ」
「俺の為に、勝ってバッジを取りたかったってこと?」
「多分な」
大喜びするかと思いきや、ミラージュは意外にも静かで、端正な顔を曇らせて何かを考えているようだった。
今日の苛立ちは、あいつ自身に向けられたものだったのか。
誰にも何も言わせねぇのに、と言ったオクタンの言葉を思い出す。
オクタンが自分の知らない所で傷付き、ひとりで戦っていた事を思うと、嬉しいというより、何か切ないような、胸が締め付けられるように痛くなった。
「それが本当なら、俺はひどい事を言っちまったな」
ミラージュがぽつりと呟いた。
心底悲しそうな顔をしている。
「仕方ないさ、あんたは知らなかったんだ。オクタンだって、あんたを悪意から守りたかったから黙ってたんだろ。……ずいぶんと愛されてるじゃないか」
クリプトが、意外なほど優しい声で言った。
「そう思うか?」
「あとは本人に聞けよ。……何だかすっかり当てられた気分だ。用は済んだだろう? 俺は帰るぞ。ここはあんたの奢りって事で、よろしくな」
涼しい顔をして席を立ったクリプトは、トレーラーで見せたようなウィンクを残して店を出て行った。
「何でそれが、ファン相手にできねぇんだ……?」
ミラージュは、クリプトの後ろ姿を見送りながら独りごちた。
そして、テーブルの隅に置かれた、アナログな伝票を手にして立ち上がる。
——さてと……、悪い魔女の呪いにかかっちまった王子様を助けに行くとするか。