ラ・ヴィ・アン・ローズ
APEXゲームは通常、三人一組のチームが二十組、計六十人で行われる。
十数人のレジェンドの他は、コールサインを持たない一般の参加者だが、コミッショナーであるクーベン・ブリスクの目に留まるような目覚ましい活躍をすれば、レジェンドに昇格することもできる。
だがそれは非常に狭き門でもある。なぜなら、チームはレジェンド同志で優先的に組まれるようになっているからだ。
あくまでも一般兵はレジェンドの引き立て役として存在するという、文字通りのスター・システム。その代わり、万が一ジャイアントキリングが起きればゲームは最高に盛り上がるだろう。
これまでにアウトランズ中からスカウトされたエリート、すなわち、始めからレジェンドとして参加を許された者以外がレジェンドになった数少ない例は、ミラージュとコースティックの二人だけしかいない。
あとは相変わらず名もない一般兵のままスポットライトを浴びることもなく、あるいはすでにゲームから姿を消した者も少なくなかった。
「俺がレジェンドになれた理由? そりゃ運が良かったんだろうな。もちろん顔が良かったってのもある。持って生まれたスター性っていえばいいのか? とにかく、ブリスクは何よりも金が好きなんだ。こいつは客が呼べる、金になるって思わせりゃいいのさ」
冗談とも本気とも取れる調子で、ミラージュはよくそう口にしていた。
その言葉に違わず、今ではミラージュは、トレーラーやCMにも何かと出番が多い、APEXゲームの看板レジェンドになった。
ブリスクの目は確かだったと言うわけだ。
その日、オクタンとミラージュは、年若い女の一般兵と同じ部隊になった。
レジェンド優先のルールとはいえ、組み合わせ次第ではレジェンドの中に一般兵が紛れ込んだり、その逆になることもある。
聞けば今日が初めての実戦だという。
「よろしくな、チカ」
愛想よく声をかけたオクタンに"かわい子ちゃん"と呼ばれた女は冷めた目を向けた。一見少女のように見えるが、成人はしているはずだ。ゲームに未成年は参加することができない。
痩せぎすで小柄な体、目だけがやけにギラギラと目立つ顔はそばかすだらけで、艶のない赤毛を頭のてっぺんで一纏めにしている。普段着とそう変わらない貧相な装備を見れば、一獲千金を夢見て辺境からやって来た貧困層の人間だというのは一目瞭然だった。
「あれ、嫌われちまったか?」
ろくすっぽ返事もしない彼女を前に、オクタンは戸惑ったように頭を掻いた。
たいていの一般兵は、レジェンドと同じ部隊になったとあれば自分の幸運を喜び、憧れを隠さずに接してくるものだが、この"チカ"は自分の名前すら名乗らず、不機嫌そうに眼下を眺めていた。
もうすぐ降下地点に到着する。
「初めての実戦で緊張してんだろ。な、お嬢ちゃん? だが心配はいらないぜ、なんたってこのミラージュとオクタンがついてるんだからな。デビュー戦で俺らと組めるなんて、あんたは最高に運がいいぜ」
気まずい空気をミラージュがとりなすと、彼女は俯いたまま低い声で吐き捨てた。
「ふん、ほっといてよ。あたいはあんたらみたいに遊び半分でゲームに参加してんじゃないんだ」
オクタンとミラージュは顔を見合わせた。
どうやら彼女は、自分達に対して好意的ではないらしい。
「あんた、シルバ製薬の御曹司なんだってね」
チカが皮肉っぽく投げかけると、オクタンはゴーグルをピクリと動かし、警戒するような声を出した。
「……だからなんだよ?」
「金持ちの道楽なら他にいくらでもあるだろ? 何でこんなとこにいるの? ボンボンならそれらしくVIPルームでふんぞり返ってりゃいいのに」
「どこで何をしようが俺の勝手だろ? さっきからなんなんだ? いくら温厚なこの俺様でもしまいにゃ怒るぜ?」
人差し指を突きつけて詰め寄ったオクタンを無視して、チカはドロップシップから飛び降りた。
「あっ……待ちやがれ!」
慌ててオクタンがその後を追う。
「おい、お前らなぁ……ジャンプマスターは俺だってのに……先が思いやられるぜ」
ミラージュがやれやれとぼやきながら、最後尾からジャンプした。
オアシスに降り立ち、アイテムを探していたオクタンは、ロビーにいたチカがビルの中の調度品をバックパックに詰め込んでいるのを目撃した。
「おいあんた、何してんだ?」
「見りゃ分かるでしょ? 金になりそうだから貰ってくのさ」
「はぁ? そりゃちょっとまずいんじゃねぇか?」
オクタンの制止も無視して、チカは涼しい顔をしている。そこへ、下階にいたミラージュから接敵したとの通信が入った。
「よっしゃ、ミラージュを援護しに行くぜ、アミーガ」
「あたいの名前はアミーガじゃないよ」
「スペイン語で友達って意味さ」
「……だったら尚更アミーガじゃないね」
二人が先を争うように地下に駆けつけたときには、すでに勝負はついていて、ミラージュの前には崩折れたローバの姿があった。
加勢が来る気配はない。
しかし、状況からすれば、残りの部隊が近くに潜んでいるのは明らかだった。
オクタンとミラージュが用心深く周りを探る。
「おい、お嬢ちゃん? あんまり俺たちから離れんなよ? 早くこっちに……」
ミラージュが振り向くと、チカはローバの指から、高価そうな宝石の埋められた指輪を抜き取ろうとしているところだった。
咄嗟にミラージュがピストルを放って牽制する。
「なにすんだよ! 危ないだろ!」
「なぁに、当たってもちょっぴり痛いだけさ。今盗ったもんを戻しな、お嬢ちゃん?」
チカは尻餅をついたまま指輪をうしろ手に隠し、ミラージュを睨んだ。
「……盗っ人から盗んで何が悪いのさ? どうせこの指輪だって、どっかからかっぱらってきたお宝なんだろ」
「そう言われるとちょっと考えちまうがなぁ……、一応今はゲーム中だぜ?」
「うるさいな」
不用心に立ち上がって駆け出したチカが、背後からレヴナントの銃撃を浴びてあっけなくダウンした。
「そら、言わんこっちゃない」
「エリ! あそこだ!」
オクタンとミラージュは一瞬のアイコンタクトの後、流れるような連携で、衝立の裏に潜んでいたレヴナントとトーテムを同時に破壊し、上階のバルコニーで呑気にバリケードを展開していたランパートに向かってグレネードを投げつけた。間髪入れず、オクタンがジャンプパッドで追撃を仕掛ける。
「うっひゃー! こりゃ、たまんないね」
形勢不利と見るや、ランパートはシーラを捨てて一目散に逃げ出した。
「逃げるのか皮付き……!」
「悪く思うなよなー、気が向いたら後でバナーを拾ってやるよ!」
「そうだ、悪く思うなよ? 悪いのは俺じゃねぇ、あのすきっ歯のギアヘッドだ。間違って俺の前に化けて出たりしないでくれよな」
ミラージュが這いつくばるレヴナントに向かってショットガンを突き付ける。
「ムウ……」
不満気な呻きを最後に、全く連携の取れていなかった敵チームはあっさりと瓦解した。
「なんでそんなこそ泥みてぇな真似するんだ? こんなもん売ったって、はした金にしかならねぇだろ」
蘇生され、バッテリーを巻いているチカの横にしゃがんで、オクタンは手にした小さな輪っかの中から片目で彼女の顔を眺めていた。足元には、バックパックに入っていた金細工のレリーフが転がっている。
「……はした金?」
チカはじろりとオクタンを見やると、軽蔑したように鼻で笑った。
「何がおかしいんだ?」
「だからあたいは、あんたみたいな何も知らないお坊ちゃまが大嫌いなんだ。あんたが言う、たかがはした金のために、生きたり死んだりする奴らがいるってことさえ、考えもしないんだね」
「……なんだって?」
「別にそりゃあ、あんたのせいじゃないよ。世の中ってそういう風にできてんだもん。でもさ、不公平だと思わない? あたいらが満足な食料も仕事もなく苦しんでるってのに、あんたはシルバ家の息子だってだけで、なんの苦労もなく遊んでられるなんてさ」
オクタンは彼女の言葉が理解できないというように首を傾げた。
「そんなこと俺に言われてもな」
今までコネや小銭目当てで擦り寄ってくる人間は腐るほどいたが、面と向かって金持ちである事を非難されたことなどなかった。
ましてや、何も知らない初対面の人間に、一方的に悪く言われる理由が思いつかない。
「それがそんなにいいことか? 退屈で、生まれたときから決まってる、くだらねぇ人生が?」
「……あたいに言わせればそんなの贅沢な悩みさ。人生なんて考える暇もなく、ただその日を生きるために売れるモンがあれば何だって売る、そんな惨めな気持ちがあんたに分かる?」
黙り込んだオクタンの手から指輪を引ったくると、チカはそれを当然のようにポケットにねじ込み、その場を離れた。
小さな背中に不釣り合いなほど大きなスナイパーライフルを見つめながら、オクタンは考えていた。
幼い頃から彼に買えないものなどなかった。
荷車ごとキャンディを買い占めたことも、オモチャだと嘘をついて本物のホバーカーを買ったことだってある。
それがオクタンにとっては当たり前のことだった。金は得るものではなく、最初からそこにある物だったのだ。
だが、それを惜しいと思った事はない。
有り余るほどの財産も何不自由ない生活も、自分を満たしてはくれなかった。
家を出て、ソラスにやって来るのと同時に、父親から与えられた魔法のカードはどこかのゴミ箱に捨てた。
APEXゲームに参加したときだって、金の事などこれっぽっちも考えていなかった。ただそこに滾るような興奮があればそれで良かったのだ。
――人生なんか、命懸けでする遊びだろ?
今もその考えに変わりはない。
だがそれを真っ向から否定されたような、この居心地の悪さは何なのだろう?
「俺にどうしろっていうんだ? あいつが貧乏なのは俺のせいだってのか?」
オクタンは思わず、少し離れた場所から二人のやり取りを見ていたミラージュに向かって助けを求めた。
「……誰のせいでもないさ。俺らの目的は人生について考えることじゃなく、このゲームに勝つことだぜ、オクタビオ」
ミラージュはそうきっぱりと言い放ち、座ったままのオクタンに向かって手を差し伸べた。
「行こうぜ。早く追いつかねぇと、あの追い剥ぎが誰かを素っ裸にしかねねぇからな」
ミラージュに引っ張り上げられたオクタンは、心の中のもやを振り払うかのように軽くジャンプを繰り返し、肩を鳴らした。
「そうだな……。鉄クズになったパスを見るのは俺もゴメンだぜ。なぁ、チャンピオンになったらチカの機嫌も直るかな?」
ミラージュの言葉通り、三人はそのマッチを制するために全力を尽くした。
あれ以来味方に突っかかることもなく、スナイパーライフルの扱いに長けていたチカは、最初にダウンしたことを除けば、十分にオクタンとミラージュの助けになった。
しかし、チャンピオンの瞬間に、彼女の姿はそこにはなかった。
終盤になり戦闘が激しさを増す中、レジェンド部隊同士のつば競り合いに巻き込まれて、残り数部隊というところで脱落してしまったのだ。
リスポーンすることも叶わず、残った二人はボロボロになりながらも、かろうじて勝利をもぎ取った。
「どうだ? お坊ちゃんにしてはなかなかやるだろ?」
記念撮影のために呼び出され、ドロップシップから降りてきたチカに向かって、キルリーダーのオクタンは胸を張った。
彼女は特に感激した様子もなく、オクタンとミラージュを交互に見渡し「ありがとう」とぶっきらぼうに言った。
「あたいは写真はいいよ。二人でどうぞ」
「なんでだよ? せっかくの初勝利だぜ?」
「あんたらの邪魔しちゃわるいだろ? 礼は言ったし、もう行くね」
素っ気なく「じゃあね」と言い残し、チカは振り返りもせずドロップシップに戻っていった。
彼女が帰る場所はシップの最下層、一般兵がひとまとめに押し込まれている、座る椅子さえ限られた空間だ。
そこに明日も彼女がいるとは限らない。
そしてそれに気付く者すら居ないのかもしれない。
オクタンは彼女の後ろ姿を言葉もなく見送った。
「行こうぜ、オク」
ミラージュが声をかけても、オクタンは立ち尽くしたままだ。
「オクタビオ」
「……名前、聞きそびれちまったな」
独り言のようなぼそりとした声が、マスクの下から聞こえた。
「せっかくチャンピオンになったってのによ。もうちょっと嬉しそうにしたって良くねぇか」
「喜んでるだろ、多分。さっきのひと試合だけで、おそらく半年……いや、下手すりゃ一年は遊んで暮らせるぐらいの賞金を手に入れたんだ」
ミラージュの言葉に、オクタンは振り返って、どことなく真面目な顔つきの彼の顔を覗き込んだ。
「ハ、一年は大げさだろ? 俺が派手に遊べば一晩で無くなっちまう額だぜ」
「それがマジな世界だってあるのさ」
「……あいつがどこの惑星から来たのか、知ってるのか?」
「だいたいの見当はつくぜ。アウトランズの外れも外れ、お前もまだ行ったことがねぇっていう、例のあそこさ。バーテンダーの見習いだった頃、彼女と同じ訛りの客に会ったことがある……ずいぶんと昔のことだが」
ミラージュは顎髭を撫でながら、ビール一杯分の代金すら持ち合わせていなかった男の事を思い出していた。
持つものと持たざるもの。オクタンとあの少女は対極に住んでいる。だが、それだけでお互いの幸福と不幸を天秤に掛けられるわけでもない。
ゴーグルの下で戸惑い、揺れているであろう薄緑の瞳を思って、ミラージュはわざと明るい声を出した。
「何はともあれ、俺らは最善を尽くした、だろ?」
「そうなのかな……」
「そうさ。他に何ができる? 生まれた場所は違っても、お前もあの子もここで戦う事を選んだんだ。あとは勝つか負けるか……それだけさ。たまに指輪を盗まれたりもするけどな」
おどけた表情を見て、オクタンが小さく笑う。
ゴーグルとマスクを外し、新鮮な空気を吸い込むと、ミラージュの唇がやさしく重なってきた。目を閉じてそれに応える。
勝利のキスの味も、今日は少しだけほろ苦かった。
どうやっても割り切れない、世界はそうできている。
同じ世界に生きていても、誰もが同じ景色を見ているとは限らないのだ。
「なぁ、エリ。お前には今何が見える?」
漠然とした問い掛けに、ミラージュはオクタンの顔を見下ろし、軽い調子で答えた。
「お前の目の中に映ってるイケメンが見えるぜ」
「……どうやら、聞き方が悪かったようだな」
「俺が見てる世界は常にバラ色さ。……なぜなら、そこにお前がいるからな、オクタビオ」
まるで陳腐な恋愛映画に出てくるセリフさながらの言葉に、オクタンは「おめでたい奴」と呆れたが、キャップに隠れた耳がじんわりと熱くなり、そこから伝染した熱が隠しようもなく頬を赤く染めていった。
言った本人はといえば、そんなオクタンの反応を満足気に眺めている。
耳当ての隙間に両手を差し込み、小さな顔の輪郭を確かめながら、ミラージュはオクタンに向かって微笑みかけた。
「世の中そう悪いことばかりじゃないぜ。同じくらい、いい事だってある。あの子はまだ気付いてないだけなのさ。でも、生きてりゃきっといつか分かる日も来るだろ、生きてさえいりゃあな」
どんなに楽観的な言葉も、ミラージュに言われればそんな気がしてくる。彼もまた、力と欲にまみれたこの世界がいかに理不尽なもので、簡単には思い通りに行かない事を知っていてそう言うのだ。
「泣いても笑っても人生は一度きりだ。さあ、楽しもうぜ」
差し出された手を取れば強引に腰を引き寄せられ、でたらめなステップが即興のダンスに誘う。
ぐるぐると回る世界の中で、ミラージュの存在だけが、オクタンにとって絶対的に変わらない、確かな指標のように思えた。
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