あつい夜


「ふー、あっちい、あっちい……」
風呂上がりのオクタビオが、まだ半分濡れた体のままリビングにやって来て、ソファーで寝転んでいた俺に向かって倒れ込んでくる。
俺は先に入って髪も乾かし、空調の効いた部屋の快適な温度に馴染んでいたところだったのに、パンツ一枚しか履いていないオクタビオのせいで、たちまちTシャツが湿っぽくなっちまった。
ソラスシティは年中初夏のような過ごしやすい陽気だが、さすがに本格的な夏になると連日三十度を軽く超えてくる。夜になってからも昼間の暑さは頑固に居座っていて、今夜も熱帯夜になりそうだ。
「せっかく風呂に入ったのに、まーた汗が出てきやがる。べとべとして気持ちわりぃったら」
「それはこっちのセリフだぜ。せめて髪くらいちゃんと乾かしてから来いよ……」
「細けぇことは気にすんな。いいだろ、どうせすぐ汗かくんだし」
俺の上に乗っかったまま、オクタビオは、尖った犬歯を見せてにんまりと笑った。
ったく……俺はこの顔に弱ぇんだよな。それを知ってか知らずか、俺が濡れるのも構わずぐいぐいと迫ってきやがる。
かすかに触れるオクタビオの唇からはミントの香りがした。俺はそこに舌を差し込んで、でこぼこした歯並びをなぞった。
ガキの頃、歯列矯正を拒否した結果らしいが、逆にそれがオクタビオの愛嬌たっぷりの笑顔のために一役買っているような気がする。
小鼻についた小さな傷、顔のあちこちに散らばるほくろ、擦れたゴーグルの跡……飛び抜けて美形なわけでもないこいつの顔も、俺にとっては見飽きることのない、味わいある芸術品みたいなもんだ。
「お前のからだ、冷たくて気持ちいいな」
オクタビオは俺のTシャツを捲りあげ、火照った体を冷やすように胴体に腕を巻き付けて密着してきた。抱き合って、お互いの体温が混ざり合うまで飽きずにキスを繰り返す。
オクタビオの肌から汗がひいて、さらさらと乾いていく代わりに、キスの温度は上がり密度を増していった。
気分が盛り上がってきたのをいいことに、俺たちは早々とベッドルームへ行くことにした。
「暑いな!」
一歩入るなり、オクタビオがわめいた。
涼しいリビングから移動してきた俺たちにとって、部屋に籠もっていたむせ返るような熱気は不快以外の何物でもない。じわじわとまとわりついて、毛穴から汗を吹き出させてくる。
冷房を入れておくんだったと後悔しながらスイッチを入れるが、天井に埋め込まれた空調システムはうんともすんとも言わず沈黙していた。
「おかしいな、ゆうべはちゃんと動いてたよな?」
俺は首をひねり、何度もコントロールパネルのスイッチを押した。
だが、一向に涼しい風は出てこない。
「だめだな、こりゃ……。どうやらぶっ壊れちまったみたいだ」
「マジか、そりゃないぜ……」
オクタビオはうんざりしたような顔で入口に立ったまま、犬みたいに舌を出している。
「これからお楽しみ、ってとこだったのによ……」
「別にできねぇってこたあねぇだろ」
俺は肌に貼り付いたTシャツを脱ぎ捨てて、オクタビオの首筋に舌を這わせ、流れ落ちる汗を舐め取った。
薄い塩気となめらかな舌触りを味わってそのまま唇を重ねると、「キスがしょっぺぇ」と笑いながら吸い付いてくる。
汗ばんだ肌が触れ合い、不快感よりもいやらしさの方が増した。
「……ここでやんの?」
「リビングに戻るか?」
「このまま二人でぐちゃぐちゃになるのもいいな」
さっきまで暑いと文句をたれていたくせに、口元を伝う汗をぺろりと舐め取って、オクタビオはニヤリと笑った。

熱に浮かされた脳から変な物質が出まくって、俺とオクタビオは茹だったような空気の中で抱き合い、シーツの上に大量の汗を撒き散らした。
三回目の絶頂に達したとき、急にオクタビオの様子がおかしくなった。不自然に痙攣したと思ったら、そのまま意識を飛ばしたらしく、俺にしがみついていた腕からずるずると力が抜けていった。
頭から湯をかぶったような風呂上がりの状態に逆戻りしたオクタビオは、ベッドに身体を投げ出し真っ赤な顔でぐったりしている。
「おい、オクタビオ」
頬を軽く叩くと、どんよりとした目が薄く開いた。
「うう……、頭がいてぇ……気持ちがわるい……」
「なんだと? そりゃ大変だ」
俺は慌ててオクタビオを担ぎあげ、リビングに連れて行った。ソファーに寝かせて、身体を冷やすためのアイシングと水分補給のためのスポーツドリンクを取りにキッチンへと急ぐ。
あんな暑い中悪ノリしたせいで、のぼせちまったのかもしれねぇ……。そういや俺も若干頭がぼうっとしてるぜ。
スポーツドリンクを半分ほど飲んでから、残りを口移しにオクタビオの喉に流し込む。唇がしびれて感覚がない、とオクタビオは訴えた。
冷蔵庫から持ってきたアイスバッグを渡して首筋を冷やすように言い、もうひとつを腿の付け根に押し当てる。
素っ裸のままの股間に氷嚢を乗せてる姿は冷静に見ればマヌケだが、頸動脈を冷やすには鼠径部がいいんだ。
ゲーム中のトラブルの対処法だとかなんとか、大昔にライフラインとジブに講習を受けたっけな。それがこんなところで役に立ってるとは、あの二人も夢にも思わねぇだろうさ……。
「チンコが縮んじまうぜ」
凍ったアイスバッグを首筋に押し当てながら、オクタビオが苦笑いした。
「エリ、悪りぃけど義足を外してくれるか? 重てぇんだ……」
「ああ、いいぜ」
俺はだらんとした両脚から義足を慎重に取り外した。引っこ抜くだけのパーツと違い、切断した部分に取り付けられた接合部に触れるのは久しぶりでちょっと緊張する。
あらわになった丸い脚先を撫でて「気分はどうだ?」と声をかけると、オクタビオは「大丈夫」と頷いた。
さっきまで赤かった顔色が、こころなしか血の気を失って見える。乾いた唇をもう一度湿らせてやると、少しだけ口角があがった。
「そんな顔すんなよ、ちょっとのぼせただけだぜ。こうしてりゃすぐに良くなる。……それよかパンツくらい履いてきたらどうだ? 目のやり場に困るんだけど……」
自分の姿を棚に上げ、オクタビオはからかうように笑った。確かに俺は慌てるあまり、さっきから素っ裸のまま歩き回っていた。これじゃオクタビオのことをマヌケだなんだって笑えないぜ。
「ちょっと待ってろ、ちゃんと寝てるんだぞ」
言い残してバスルームへと向かった。
ついでに手っ取り早くシャワーを浴び、オクタビオの身体を拭いてやるための濡れタオルを作ってリビングへと戻る。
オクタビオはおとなしくソファーに横になって目を閉じていた。いつの間にか股間にあったアイスバッグが頭の上に移動している。
首筋や額に手を当てて確かめると、特に異常は感じられない。いつものオクタビオの体温だ。
それでもまだ心配な俺は、オクタビオの身体を丁寧に拭いて、持ってきたパンツを履かせてやった。
「……なんだよこのパンツ、お前の?」
「そうさ。ファンの子に貰ったんだが、なぜか俺にはサイズが小さくてな、お前にやるよ」
「ふーん……サンクス……」
ブランケットを掛けて一緒に中に潜り込むと、オクタビオはすぐに安心したように寝息をたてはじめた。途切れた両脚が、健気に俺の体を抱いてくれている。
とりあえず、大したことがなくて良かったぜ。早いとこ、エアコンの修理を頼まねぇとな……。
すうすうと気持ちよさそうな寝息につられるように俺にも眠気が襲ってきて、俺とオクタビオは久しぶりに、ソファーの上で抱き合って眠った。

「おい、エリオット!」
翌朝、先に起きた俺が朝食の準備をしていると、オクタビオが大きな声を出しながらキッチンにやって来た。
「何だこれ! ケツにでかでかと『騙されろ!』って書いてあるじゃねぇか。しかもお前の顔までプリントされてるし」
「良かったな、これでいつでも俺と一緒にいられるぜ」
パンツ一丁の元気な姿に安心して、朝の挨拶のキスをする。
「なんだか尻がムズムズして落ち着かねぇんだけど……」
ぶつくさ言いながら唇を突き出して、とりあえずの挨拶を返したオクタビオは、小さな形のいい尻を包んでいる笑顔の俺を右手でさすった。
「俺のも見てぇか?」
「は?」
「ほら、お揃いだぜ?」
俺はオクタビオに背中を向けて、軽く尻を突き出した。スウェットパンツのゴムを引っ張って、オクタビオが怪訝そうに中を覗き込む。
「お前とお前のファンのセンスって、一体どうなってんだ?」
「おっと、俺のかわい子ちゃん達の悪口は許さねえぞ、最高のチョイスだろ?」
そう言って振り返ると、オクタビオは笑いを堪えるように歪ませていた口元を綻ばせた。
「シュミが悪りぃったら……」
ゆうべとは見違えるような健康的で瑞々しい唇に、誘われるようにキスを交わす。
オクタビオが大口を開けて笑うもんだから、うまく唇が合わなくて、何度も歯だの鼻先だのをぶつけては、また笑った。
「ヘッタクソ……」と憎まれ口を叩く生意気な唇を捉えて塞ぐと、オクタビオはモゾモゾと俺の尻を撫でながら密やかな吐息を漏らした。
奴がスウェットの上から触ってる俺の尻のあたりには、『PULS ULTRA』のロゴと一緒に、あいつがメロイックサインを決めてるド派手なプリントがされている。
わざわざ作ったのかそこらに売ってるのかは知らねぇが、俺も最初見たときは何だこりゃと思ったけどな。一回限りのネタとしてはなかなか笑えるだろ?
「さぁて、さっさと飯にしようぜ。今日も暑くなりそうだ。倒れねぇようにいっぱい食っとけよ」
寝癖のついた頭をくしゃりとひと撫でして、ほっぽり出していた朝食の準備に戻ると、オクタビオは後ろから俺の腹に手を回し、抱きついて離れない。
ん、なんだ? やけに甘ったれるじゃねぇかと、ついつい頬は緩み、温野菜を混ぜる手が止まる。肩にちょこんと乗せられた顎の重みが愛おしい。
「エアコン、今日中に直る?」
「管理人に頼めばすぐだろ。帰ってくる頃には直ってるさ」
「じゃあ今夜は涼しいとこでできるな」
「……朝っぱらから気が早いな、体は大丈夫なのか?」
「おう、気合も準備もバッチリだ! お前のそのダセエパンツ、今から脱がすのが楽しみだぜ」
皿からブロッコリーをひとかけらつまみ食いしたオクタビオは、ニコニコしながらバスルームへと戻って行った。


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