インターバル

 
 マザーシップのエリオットの部屋で、俺はガキの頃を思い出しながら無意識に爪を噛んでいた。
 備え付けのキッチンで飲み物を作っていたエリオットがゆっくりと近付いて来て、熱いミルクティーの入ったカップを俺に差し出した。一口飲めば腹の中がじわりと熱くなり、その熱さに腹の中がまた煮えくり返る。
 「また俺は負けた。あいつに」
 悔しさと情けなさにカップを持つ手が震えた。あいつには、俺もアジャイも何もできねぇって分かってたんだ。せんぶお見通しだった。
 イカロスのシリアルナンバーを削り取り、デュアルド・シルバのテロへの関わりを見て見ぬふりをした、ちっぽけな俺。
 自分でも何がしてぇのか分からないまま屋敷に乗り込んで、やった事はといえば子供みたいな落書きと、酒を飲んで暴れることだけ。
 あの時、アジャイがあそこに現れなかったら、俺はきっと無力感に打ちひしがれて、いつまでもめそめそと泣いてたに違いねぇ。
 ついに最終宣告が下されて、俺は自由になった。
 ずっとそれを望んでたはずなのに、何だか急に足元が崩れ落ちたような気持ちになった。
 遺産が惜しいわけじゃねぇ。親父の中に俺が存在しなくなった、愛するでもなく憎むでもなく、ただ価値のないものに成り下がった、それが自分でも思いもしなかった感情を呼び起こして、俺はあいつに向かって酒の入ったボトルを投げつけていた。
 悲しい? 寂しい? 腹が立つ? 分からねぇ。でも俺は、あいつの前では十歳のガキのまま、何も変わっちゃいなかったんだ。
 親父はもう俺の事も母親のことも忘れて、ただ己の野心のままに、アウトランズを喰らおうとしている ——。
 
「オク」
 エリオットが気遣わしげに俺の顔を覗き込む。
「大丈夫か?」
「……ああ」
「父親のした事に、お前が責任を感じる必要なんかねぇんだからな。お前と奴は別の人間だ」
「分かってる。だが、あいつは俺の顔をぶん殴った、その落とし前は付けてもらわねぇとな」
「勝算は?」
「そんなの分かんねぇよ。けど、出来損ないにだって意地はある」
俺がそう言うと、エリオットは眉尻を下げて俺の額を指ではじいた。
「ぃてっ……」
「お前は出来損ないなんかじゃねぇよ。俺の自慢の恋人だ」
 エリオットの大きな手が俺の頬の傷を包んで、労るように撫でる。優しい眼差しと穏やかな声が、ささくれだった心をまるく平らにしていった。
 そのままの俺が好きだと言った、こいつの言葉は嘘じゃない。
 たとえ足元が崩れ去っても、手を伸ばせばそこには必ずエリオットの腕がある。それを手掛かりにして、俺は何度でも這い上がっていける。
 グラシアス、エリオット。俺は大丈夫だ。
「お前の思う通りにやってこいよ。俺はここでカードでも切りながら待ってるぜ。もし捕まったら、また助けに行ってやるから安心しな」
「頼りにしてるぜ」
 景気づけのキスを交わし、俺は素早くマスクとゴーグルを身に着けた。
 気合は入った。
 今頃、手筈を整えたアジャイがシップの外で待っているはずだ。
 エリオットは目の前のカードの山から一枚のカードを引き、
「ハートのエイト、今日のお前の運勢は上々だぜ」
と、俺を笑顔で送り出した。
 オリンパスの夜空は雲ひとつなく澄んで、星に手が届きそうなほど近い。俺はぐいと顔を上げ、タラップを蹴って、そのまま地面に着地した。
 暗闇に浮かぶ巨大なマザーシップのど真ん中、エリオットの部屋のあたりを振り返って、心の中で伝える。
 
 夜明け前には戻るぜ。
 ベッドをあっためて、待っててくれよな。

「行くわよ、シルバ」 
 色とりどりのラッカースプレーが入った袋を抱えて俺を待っていたアジャイと合流して、俺たちは毒々しい蔓の絡まった、あの忌まわしい戦艦イカロスに向かって走り出した。


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