ミラージュが何故か不参加に

シーズン最終戦の後、俺は慌ただしくバッグに荷物を突っ込んで帰り支度をしていた。
機材のトラブルだとかでゲームの開始時間が遅れて、余裕をもって取ったはずのチケットの時刻にもギリギリ間に合うかどうか。
エンジェルシティはもうすぐ冬だ。
今朝クローゼットから引っ張り出したツィードのコートを抱えて、俺は出口に向かった。
シーズンを無事終えた興奮やら安堵やらで、シップの中はいつもより騒がしい。
俺はオクタンの姿を探したが、目の届く所に姿はなかった。
あいつは今日のチャンピオンだ。
きっと部隊のメンバーや、仲のいい連中と盛り上がってるに違いない。
パーキングに向かってスーツケースを引きずって歩いていると、後ろからカシャカシャという聞きなれた音と「ミラージュ!」と俺を呼ぶ、聞きなれた声が聞こえた。
振り向くと、まだゲーム用の装備のままのオクタンが、俺を追い越しそうな勢いで走ってくるところだった。
「なんだよ、帰っちまうのか?」
オクタンは、軽く息を切らしながら俺の腕を掴んだ。
「悪い、急いでるんだ。これからエンジェルシティに帰らなきゃならねぇ。こんなにゲームが長引くとは思ってなくてな」
「今から?……お前、そんなこと何も言ってなかったじゃねぇか」
「そうだったか?」
俺がとぼけると、オクタンはふて腐れたような声を出した。
「何だよ、みんなでシーズンの打ち上げパーティーやろうぜって話してたのによ。コースティックとかブラッドハウンドだって来るんだぜ? お前は来ねぇの?」
「……残念だが、行かなきゃならねぇ所があるんだ。ほんとに残念だけどな」
「さっきゲームが終わったばっかだろ。そんなに急いで行かなきゃ駄目なのか?」
オクタンがだだっ子のように食い下がってくるのが、俺は何だか嬉しかった。
「俺が居なくて寂しいんなら、デコイでも置いてってやろうか?」
「……」
軽口にも乗ってこねぇ。
奴は俺の腕を掴んだまま、ゴーグル越しに俺の事をじっと見ている。
何だよ、もしかしてほんとに寂しいのか?
「オクタン」と俺は言った。
「顔を出してみな」
オクタンはちょっと首を傾げてから、無造作にマスクを引っ張り下ろし、キャップとゴーグルを外した。
素顔を見慣れた今でも、こいつがこうやって顔を見せるときには、ちょっと胸がざわつく。
俺はオクタンの肩を抱き寄せて、滑っこい頬に唇を押し付けた。
「これはチャンピオンになったお祝いな? パーティー、楽しんでこいよ」
本当は唇にしたかったんだが、精一杯の妥協だ。こんくらいはいいだろ?
オクタンはぽかんと突っ立ったまま、ゴーグルとキャップを握りしめている。
「じゃあな、オクタン」
俺はトランクに荷物を押し込み、慌ただしく車を走らせた。
バックミラーの中で、オクタンが両手を大きく振って、飛び跳ねているのが見えた。

無事に出発時刻に間に合い、星間連絡船のファーストクラスに収まった俺は、さっきのオクタンの顔を思い出して、ひとりやに下がっていた。
おっと、いけねぇ。通路の向こうに妙齢の美女が座ってることを忘れてたぜ。
俺は表情筋を引き締めた。
視線を動かすと、これまた美人の乗務員がにこやかに船内を回り、飲み物を配っている。
彼女はさっき、俺にスコッチのグラスを手渡しながら
「私、あなたのファンなの。いつも見てるわ」
と囁いた。もちろん俺は、彼女のサイン帳にサインしてやったさ。
世の中は魅力的な女で溢れていて、その上俺はイケメンで、もう一度言うぞ、俺はイケメンでApexのスターときてる。
ロマンスの種はそこらじゅうに転がってるはずなんだ。
なのにそれに目もくれず、俺の頭の中はあいつの事でいっぱいだ。
そろそろ落ち着いて家庭を持つのも悪くねぇかな、なんて考えて、出会い系マーヴィンにも登録したってのに、俺の思い出フォルダはオクタンで埋まりつつある。
俺の作った飯を食うオクタン、助手席ではしゃいでいるオクタン、俺の家の風呂を勝手に使うオクタン、ランニング中に俺を置いてきぼりにするオクタン、対戦ゲームに勝ってドヤ顔をするオクタン……。
オクタンがゲシュタルト崩壊しそうだぜ。
それくらい一緒に過ごす時間が増えて、いつの間にかあいつの右側が俺の指定席になった。
それはそれで喜ぶべきことなんだが、俺はどうにも生殺しにされているような気分にもなる。
何せあいつは、適度な距離感ってもんに無頓着だからたちが悪いんだ。
ソファーより寝心地がいいからと、俺が寝ているベッドに潜り込んできたり、風呂上がりに、サイズの合わない俺のTシャツを勝手に着て歩き回ったりして、俺をその気にさせる。
そろそろ我慢の限界だ。
ほっぺにチューくらいじゃ満足できねぇ。
そうさ、俺は今、バッチリ決めるチャンスを窺ってるんだ。ビビってる訳じゃないぜ。
今まで狙った女はすべて、いや、大体……半分くらいはモノにしてきた俺だ。
今回だって運が良けりゃイケるさ。

目的地への到着を告げるアナウンスが、浮わついた気分を現実に引き戻す。俺はママの手料理を食いに、エンジェルシティに帰る訳じゃねぇんだ。
Apexでの最初のシーズンが終わって、真っ先に頭に浮かんだのは母親のことだった。
今となっては俺の唯一の肉親である彼女は、郊外のとある施設に入っている。
レジェンドになったことを報告して、たまには外に連れ出してやらなきゃな。
だが、俺は何かと理由を付けてはそれを先延ばしにして、結局母親に会わないまま次のシーズンが始まった。
だから、今回は最終戦が終わったらその足で発つと決めていた。
きっと家に帰ったら、また気が重くなるに決まってるんだ。
薄情だと思うか?
そうだな。俺は悪い息子かもしれねぇ。
けどよ、色んなことが分からなくなっちまった母親と、笑顔でちぐはぐな会話を続けるってのは、なかなか辛いものなんだぜ?
俺は何を言えばいい?
俺には見えない兄弟達に囲まれて、俺のことをまだ小さなエリオットだと思ってる彼女に。

エンジェルシティに着くと、すでに日付が変わっていた。
だが、この街はまだ眠る様子もなく華やかなネオンと人々の喧騒に溢れている。
俺が子供の頃は、まだ戦争の爪痕があちこちに残っていたが、今ではそれも癒えて相変わらずごちゃごちゃと猥雑な街だ。
日系のコミュニティが多いせいなのか、あちこちで日本語で書かれた看板やポスターを目にするし、コンビニエンスストアだってある。街の一画には、それを象徴するように桜の木が植えられていて、海から翼を広げた巨大な女神の像が見守っている。
実家へと向かう無人タクシーの中で、さっきからうるさく鳴り続けている携帯端末を取り出すと、オクタンから大量の写真と動画が送られて来ていた。
「よぉ、アミーゴ。見てるか?こっちは最高だぜ。エンジェルシティにはもう着いたか? 今度はお前の店で盛り上がろうぜ。約束したの覚えてるよな?」
さっきの憮然とした表情とはうって変わって、いい感じに酒が入ったオクタンは上機嫌だ。
時折自分にカメラを向けて、いたずらっ子のように笑いながら、パーティーの様子を映してくれる。
シャンパンを片手に、真っ赤な顔をしてコースティックに絡んでいるワットソン。
フランス語なので何を言っているのかさっぱり分からねぇが、コースティックは手元のジンライムを、困ったような怒ったような顔をしながら揺らしていた。
まるで娘に叱られている父親みたいで、思わず笑っちまったぜ。
普通より小さく見えるビールのジョッキを持って陽気に歌っているのはジブラルタルで、その横でヒールドローンを叩きながらライフラインがリズムを取る。
チャンピオン部隊の彼らは、オクタンと3人でお揃いのチャンピオンTシャツを着て肩を組み、でたらめな勝利の歌を披露して拍手喝采を浴びていた。
そこにパスファインダーが、カルーアミルクとビールのおかわりを運んで来る。飲み食いできないパスは、どうやらボーイの真似事をしているらしいが、室内でジップラインを使うのどうかと思うぞ。
悪ノリしたオクタンが、そのジップラインでレイス達の方に滑っていった。
髪をおろしたレイスは意外と可愛い。
だが、それに騙されちゃいけないのを俺は知っている。
案の定、テーブルには彼女が空けたらしい日本酒の徳利が何本も転がっていた。
胃袋も虚空に繋がっているのかと思うほど、顔色ひとつ変わってねぇのが恐ろしいぜ。
その向かい側に座って、自然の恵みだと言いながら枝豆を食っているブラッドハウンドは、宗教上の理由なのか酒は飲んでいないようだった。
大きなゴーグルとフード付きの民族衣装で完全武装していて、優しげな笑みを湛えた口元だけがわずかに見え隠れしている。
プライベートでは素顔のオクタンと違い、彼だか彼女だかの本当の顔を知っているのは、頭に乗っかっているあのカラスだけなんだろう。
カウンターでは、バンガロールが相変わらずクールにバーボンのグラスを傾けていた。カメラを持ってまとわりつくオクタンを、うるさそうに手で追い払う。
カメラマンをパスと交代したオクタンは、バンガロール後ろから彼女の巻毛にこっそりとポッキーを刺していた。
ったく、後でどうなっても知らねぇぞ。
微笑ましい光景に、俺はふと笑みを漏らした。
まとまりのない連中だが、それぞれが思い思いに楽しんでいる様子が伝わってくる動画だ。
そして、オクタンがカメラを向けると、最後にはみんな笑顔を見せる。コースティックだけは例外だったがな。
……駄目だぞ。そいつは俺のだ。
男にも女にも誰にもやらねぇからな。
見当違いの嫉妬心を抱きつつ画面をフリックすると、最後にオクタンからのメッセージが入っていた。
少し潤んだ目を細めて、こっちに向かって笑いかけている。
「こっちはこんな感じだ。おい、ミラージュ、お前はいつ帰ってくるんだよ? 迎えに行くから連絡くれ。……それから、お前から貰ったお祝いだけどな」
「なになに? 何を貰ったって~?」
横からかなり出来上がった感じのライフラインの声がする。
「良いとこなんだから邪魔すんなよ、アジャイ」
オクタンは声の方向に言い放つと、カメラに向き直って話を続けた。
「まさか、あれだけじゃねぇよな? どうせなら、もっといいもん寄越せよ。俺は子供じゃないんだぜ? ……ってなわけで、帰ったらとびっきりの土産を期待してるからな! JAJAJA 」
動画はそこで切れていた。
意味深な言葉に、胸の鼓動が速くなる。
これはあれだよな?
土産って、そういうことだよな?
ここでエンジェルシティ饅頭を買って帰るほど、俺は鈍くはないはずだ。
待ってろよ、オクタン。
お前と俺の望むものはきっと同じだ。間違えるはずがない。
せわしなく夜景の流れていくタクシーの車窓から、懐かしい我が家が見えてきた。
誰も住む者のいなくなった家に帰るのは、さぞかし寂しいだろうと思っていたが、今夜の俺は、たとえ無人島にひとりぼっちでも幸せに眠れそうな気がするぜ。

「何かいいことでもあったの? エリオット」
キッチンでお茶の用意をしている俺に、珍しく母さんから話し掛けてきた。
施設に外泊届を出して、何年ぶりかに我が家に帰ってきた母さんは、さっきまでまるで初めての場所に来たときのような、不安げな表情をしていた。
ミルクの入ったカップに、熱い紅茶を注いだミルクティーと手作りのスコーンをリビングに運ぶ。
ウィット家のティータイムの定番だ。
「ああ、分かる? ほら、」
俺は端末に映っているオクタンの写真を見せた。右手でショットグラスを掲げて、下手くそなウィンクをしている。
「……お友達の写真?」
「そうだよ。ちょっと変わった奴だけど、俺はこいつが大好きだ」
母さんは、俺の顔を見て穏やかに笑った。
こんな風に笑う姿を見るのは久しぶりだ。
「あなたはお兄さん達にべったりで、友達を作るのが下手だったわね。だから私はあなたにホログラムの技術を教えたのよ。ひとりでも寂しくないように」
「感謝してるよ。俺はあいつにどれだけ助けられたか分からない」
「今はもう、寂しくないのね? エリオット?」
小さな子供に尋ねるような、優しい声だ。
親にとって自分の子供なんてのは、いつまでたっても心配せずにはいられない、小さな存在のままなのかもしれないな。
俺は母さんの手を取って頷いた。
ああ、俺は大丈夫さ。
今の俺には愛したいと思う奴がいて、守り守られながら競い合うライバル達もいる。
いつあの世へ行っちまうかは神様次第だが、母さんよりは長生きしてやるつもりだぜ。
俺がどんな風に見えているとしても、自分がこの人の息子であることに変わりはない。
「今度来るときは、あいつも一緒に連れてくるよ。春になったら、みんなでエンジェルシティの桜を見よう。きっと賑やかな花見になるぜ」

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