オクタビオ・シルバの肖像


インタビュールームに移動し、向かい合わせの席を勧めると、オクタンは少しの間戸惑ったように俺の前に立っていた。何か不都合が? と尋ねると、「いや、いいんだ」と言って、結局向かい側に席を取った。
そういえば、チコ・ソーテルが言っていたな。「オクタンはなぜか、いつも隣に座りたがるの」と。
飲み物を運んできたスタッフに、スペイン語で礼を言い、オクタンは俺に向き直った。
それを合図に、少し離れた場所からカメラマンがカメラを構え、俺はレコーダーの録音ボタンを押した。
「誰も俺の真実なんて望んじゃいないと思うけどな?」
開口一番、オクタンはそう言って肩をすくめた。
「みんな俺を、自分が見たいように見る。あんただってそうだろ?なんでそう思ったのかは謎だが、とにかく俺は心に闇を抱えてて、普段の俺は仮面をかぶったいつわりの姿だって思ってる。それがあんたにとっての俺だ。そしてあんたは俺に黒い服を着せ、あちこち飛び跳ねずにショボくれてカメラに収まるように指示し、出来上がった写真を見た奴らはこう言うんだ。こんなのオクタンじゃねぇ。もしくは、これが本当のオクタンだ、とな」 
いきなり心を見透かされた気がした。
その通りだ。俺はオクタンの本当の姿を写し撮ろうとしているつもりで、実際のところ、彼を自分がそうであって欲しいイメージ通りの姿に作ろうとしたんだ。
「別に好きにすりゃいい。それがスターのシュクメイってやつだからな、JAJAJA。エリオットの言ったことは正しいぜ。他人に俺がどう見えてるかは知らねぇが、そのどれもが俺であり、俺じゃねえのさ」
話を聞きながら、俺はマスクの下に隠された彼の表情に魅入っていた。
その素顔をいつも間近で見ているであろう、ミラージュに、嫉妬にも似た感情を覚える。
「エリオット・ウィットは、本当のあなたを知っていると?」
俺の問いかけに、オクタンはくすりと鼻を鳴らし、僅かに首を傾けた。「そいつはどうかな?」
「正直、自分がどんな人間かなんて、俺にも分からねえんだ。興味もねえ。ただ、その時に感じたとおりに生きてるってだけで……。そのせいで、時々ヘマをやらかすこともある。エリオットはその全部を、怒ったり悲しんだり笑ったりしながら受け止めてくれるんだ。たぶん、俺がまだ知らねぇ俺のことさえも……」
ミラージュについて語るオクタンの口調は柔らかく、その言葉からは、ミラージュに対する全幅の信頼が感じられた。
「だから俺はあいつの手の中で、自由に遊んでられるのさ」
「……意外だな」
思わず本音が口をつく。
「主導権を握ってるのは、あんたの方じゃないのか?」
「ハハッ、それもまたイメージだろ? 持ちつ持たれつって言葉を知ってるか? 俺らはまさにその通りで、どっちが上とか下とかねぇんだよ。ベッドの中でもな」
「えっ……」
いきなりのサービストークに戸惑う俺を、オクタンはからからと笑い飛ばした。
「何だよ? そういう話が聞きたいんじゃねぇのか? こないだの記者は俺の恋愛話ばっかり聞きたがって、それはそれで参っちまったけど。……そういや、彼女はどうしたんだ?」
「家庭の事情で退社したよ。なかなかハードな話だ」
「ふぅん、どこんちも色々と大変だな。あんたんちは大丈夫か?」
「お陰様で……」
俺には家族などないも同然だ。何も起こりようがない。いつまでも定職に就かず、理想を追い続ける俺に愛想をつかし、妻は娘を連れて出て行った。ずいぶん昔の話だ。
無邪気に問いかけるオクタンは、彼女の息子が、自分たちを襲ったテロリストだとは気付いていないようだった。わざわざ言うこともあるまい。彼女も今、苦しんでいるに違いないのだから。
「俺の話はともかく……あなたの家はどうです? 色々と、きな臭い噂も聞こえて来ますが」
家庭という話題が出たのを幸いに、俺は再び記者として、オクタンに話を振った。シルバ製薬や父親との確執について聞き出すチャンスだと思ったのだ。だが、返ってきた答えは呑気なものだった。
「俺んとこはいつも平和だぜ。うまい飯にうまい酒、居心地のいいソファー、あったけえベッド……ちょいとキャラの濃い同居人はいるけどな」
「今住んでいる家ではなくてですね……」
「俺の家はあそこだ。エリオットのいるあの家だけが、俺の帰る場所なんだ」
きっぱりとした口調で、オクタンはそう言い切った。
そしてテーブルに肘を付き、手のひらに顎を乗せて楽しげに頭を揺らす。
「でもこれはオフレコだぜ? エリオットが聞いたら、あいつ、ぜってぇ調子に乗るからさ。JAJAJA……」
聞きたいことは山ほどあったはずなのに、俺は急激にその意欲を失っていた。 
これではミラージュのインタビューと大して変わらないじゃないか……。
どうやら、この短い時間で紐解けるほど、この青年は単純ではなさそうだ。何かありそうで、なさそうで、ありそうで……もしかしたら、俺はまんまと、オクタンとミラージュに遊ばれたのかもしれない。
苦笑いとため息を漏らす俺に、オクタンがからかうように問いかける。
「もうおしまいか?」
「これは個人的な興味なんだが……」
インタビューを録音していたレコーダーを止めて、俺はカメラマンを部屋から追い出した。
「顔をみせてくれないか? もちろん撮影したりもしない」
「そんなに見てぇのか? 俺の顔を。特に変わった所はないぜ?目と鼻と口があるだけだ、あと眉毛とホクロもだな」
オクタンは、あっさりとゴーグルとマスクを外し、俺に素顔を晒した。
意志の強そうな太い眉、人懐こい色を浮かべた薄いグリーンの瞳と、快活そうな大きめの口は、今日初めて会った俺にさえ、親しみのこもった笑顔を向けている。
そこに俺の感じた隠者の影は微塵もなかった。
失望したような、安心したような不思議な気分だ。
「また、話を聞いてもいいか?」
「いいぜ、いつでも来なよ。自分のことを話すのはあんまり得意じゃねぇが、写真を撮られるのは好きだ。今度はもっと楽しい撮影会にしようぜ? ついでに、あんたのそのしかめっ面も笑わせてやるからな?」
オクタンは俺に人差し指を突き付け、独特の笑い声を響かせた。
俺が勝手に入れ込んでいたオクタンの真実とやらは、藪の中へと消えてしまったが、彼が生来の人たらしであることには間違いない。
彼はきっとこれからも、人々の抱くオクタビオ・シルバという幻想を軽々と飛び越えて、眩しい緑色の輝きと残像を残しながら、アリーナを駆け回るのだろう。
そして帰っていくのだ。
すべての彼を受け入れ愛してくれる、優しい腕の中へ。

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