オクタビオ・シルバに花束を


ピロリ、と端末が鳴った。
今月のマッチングアプリの使用料が引き落とされたという通知だ。
ろくな相手も紹介して寄越さねぇくせに、金だけは一丁前に取りやがるな、この『恋人探しサービス』ってやつは。
いつ登録したかも忘れたが、そのうち退会しようと思いつつ、ついそのままになっている。
俺はこの間オクタビオが、俺の持つべき家庭がどうとか話していた事を思い出した。
あの時は深く考えなかったが、今思うとおかしな所がある。
……何で犬の事まで知ってるんだ?
まさか見たのか? この恋人探しサービスを?
思わず隣を見ると、風呂上がりにまったりとビールを飲んでいたオクタビオと目が合った。
「なに?」
いや、俺はこの事を誰にも言ってねぇはずだ。登録したのだってずいぶん前の話だし、紹介された女とデートしたのだって……。
「なんだよ?」
「あ、いや何でも……」
オクタビオは、端末を持ったまま視線を泳がせている俺の膝に乗り上げて、疑わしげに片方の眉を吊り上げた。
そのまま長い腕を首の後ろで交差させ、逃げられないようにがっちりロックされる。
それからいきなり俺の頬っぺたをべろりと舐めたかと思ったら、鋭い目と声でこう言い放った。
「この味は……嘘をついている味だぜ……、エリオット・ウィット」
「なんだそりゃ? お前、いつの間にそんな特技を身に付けたんだ?」
俺は困惑したまま、舐められた頬を手で擦った。俺の頬っぺたは一体どんな味がするってんだ?
「白状しねぇと、ずっとペロペロするぞ」
本気なのかふざけてるのか、オクタビオは薄笑いを浮かべて俺に詰め寄った。
何の真似だか知らねぇが、これ以上ぺろぺろ舐められても困る。いや、ちょっと嬉しい気もするけどな。
「まぁ、大したことじゃねぇさ」
俺はため息をひとつ吐いて、オクタビオにマッチングアプリのことを白状した。
「もしかしてだが……、俺が恋人探しサービスってマッチングアプリに登録してた事を、お前は知ってるのか? その内容も?」
「ああ、もしかしなくても知ってるぜ」
オクタビオはあっさりと言った。
「こないだクリプトが、いいことを教えてやるって言って、見せてくれたんだ」
なんだと?
クリプトの奴、澄ました顔して油断ならねぇ野郎だな。あれか、あの接着剤のことを、根に持ってやがったのか?
「あれはな、お前とこうなる前に遊び半分で登録して、それっきりになってただけなんだ。……いや、正直に言えば、紹介された女と二度ほど会ったことがある。でもあれは、両方ともサクラだった。高い飯と酒を奢らされて、いざとなったらハイさようならさ。ほんとうだ、嘘は言ってねぇ。疑うなら、もう一度舐めてくれてもいい」
「ぷっ、今さらそんなの気にしてねぇよ」
「嘘だ、ちょっとは気にしてただろ? してたよな?」
「……ま、ちょっとはな。そんな事より、俺はいいことを考えたぜ、エリオット」
オクタビオは俺の肩に腕を乗せたまま、悪巧みを思い付いた子供の顔になって言った。
「その出会い系マーヴィンとやらに、俺が登録したらどうなるかな?」
「どうなるって……そんなのダメに決まってんだろ」
俺は即座に却下した。
「また変な奴に粘着されたらどうするんだ?それに、お前は俺の彼氏だろ? 何だってそんな事する必要が……」
「ちげぇよ。俺とお前がお互いを条件にしたとして、出会い系マーヴィンくんは、俺たちをちゃんと出会わせてくれるのか、って話だ」
オクタビオの言っている事を理解した俺は、おかしな事を考え付くなと感心しながら、わりと真面目に考えた。
「……そうだな、確率としてはいい線いってるんじゃねぇか? 義足のアドレナリンジャンキーで、変装とオナニーが趣味のやつなんか、ほぼお前しかいねぇだろ」
なにが可笑しかったのか、オクタビオは義足をバタバタさせて笑い始めた。
「JAJAJA 、そいつはいいや! けど、そんなの分かんねぇだろ? ニュースを見てみろよ。世の中、まともなふりした変態ばっかだぜ?」
奇しくもリビングのテレビモニターの中では、盗んだ女の下着を334枚もコレクションしていたというお巡りさんが、手錠をかけられ、車に押し込まれている映像が流れていた。
なるほど、人に迷惑をかけていないという点では、オクタビオの方がまともと言えなくもない。
「それじゃ、試してみるか?」
と、俺は言った。
下らねぇことに全力を尽くすのも、俺たちの楽しみ方のひとつだ。
出会い系マーヴィンの本当の実力を見せてもらおうじゃねぇか……。
俺たちは早速ソファーに背中合わせになって、そのマッチングアプリに登録を始めた。
音声だとネタバレするからと、端末から文字を入力しながら、オクタビオは時々「くくく」と楽しげに肩を揺らしている。
俺はというと、最初に書いたままのプロフィールを複雑な気分で読み返し、すべてを最初から書き直すはめになった。
紹介するなら絶対に女にしてくれ、なんて書いたのか、俺は。
だが、後ろにいる奴はどうみても男だ。
人生何が起こるか分からねぇもんだな……。
俺は、相手に求める条件のひとつに「男であること」を書き加え、登録ボタンを押した。


数日後、俺はピンクのシャツに茶色のストライプスーツというお洒落な出で立ちで、ソラスシティの商業区域にある待ち合わせスポットに立っていた。
手には目印のバラの花束を持ち、カットしたての髪も髭もバッチリ決まってる。
クリスマスも終わり、もうすぐ新年を迎えるというこの時期、街の中は行き交う人々の喧騒で溢れていた。
ここに、あの押しも押されぬAPEXのスーパースター、ミラージュ様が居るってのに誰も気付きやしねぇ。
手持ちぶさたになり端末を確認すると、今日のデートの相手である男から、俺へのメッセージが届いていた。

>>今行くぜ、俺のかわい子ちゃん mua<З

マッチングアプリに登録した次の日、早速プロフィールが送られてきたのがこいつだった。
ゴーグルとマスクにパイロットキャップの顔写真、ハンドルネームが“オクトレイン”ときたら分からないはずがねぇ。
俺はこの男がオクタビオであることを確信して、すぐにデートの約束を取り付けた。
だが、俺らの間では、お互いにその話はしないってのが暗黙のルールになっている。
無事に出会えるかどうかは、会ってからのお楽しみってわけだ。
とは言え、同じ家に住んでりゃ、何となく分かっちまうもんさ。
今日だって、オクタビオは朝から何だかウキウキした様子で、俺よりも大分早くに、「ちょっと出掛けて来るからな」と、張り切って家を出ていった。
そういや、あんなに早くに出掛けたってのに、待ち合わせの時間に遅れるなんて、あいつは一体何をやってんだ?
それから少しして、遠くから馴染みのある軽い機械音が聞こえて来た。
音の方へ目をやると、派手な緑色のジャケットに、紫のベストとネクタイ、黒いシャツとパンツを身につけた義足の男がこっちに歩いてくるところだった。
「よう、アミーゴ! 待ったか?」
「いや、そうでもねぇ……」
すらりとした細身のその男は、シンプルなデザインのゴーグルと、ギザギザの歯がペイントされた黒いマスクで顔を覆っていた。
ふわふわと揺れる短い髪は、興奮剤と同じ色をしている。
ほっとしたのもつかの間、俺は思わずそいつに聞いた。
「まーた髪を染めたのか?」
「いいや、前からこうだぜ? ……俺はあんたの知ってる誰かさんに似てるか?」
透明なグラスの奥の目を細めて笑う。
よく動く緑色の目玉も、陽気でハスキーな声も、誰かさんそっくりだぜ。
「いや、俺の勘違いだったみたいだ。気にしないでくれ。えーっと、初めまして……だよな? 俺はエリオット・ウィット。これはあんたへのお近づきのしるしだ、遠慮なく受け取ってくれ」
俺は自分に与えられた役とシチュエーションを思い出し、そいつに持っていた小さな花束を渡した。
「グラシアス」
男はスペイン語で礼を言い、受け取った花束をしげしげと眺めている。
実はそのバラの花束にはちゃんとした意味があるんだが、こいつは知らなそうだな。
まぁ、そのネタばらしは後でいい。
なんせ、俺らはさっき会ったばっかりなんだからな。
それにしても、こんな服をどこに隠してたんだ?
いつもTシャツやパーカー姿ばかり見ているので、盛装した所を見るのは新鮮だった。髪の色が違うから尚更だ。
ネクタイなんか結べたのか、と思ったが、こいつの生まれを考えれば当たり前の事だったなと、心のなかで苦笑いする。
「俺はオクタビオ・シルバだ。よろしくな」
男は花束を掲げ、思い出したように名前を名乗った。
マスクをしていても、目を見れば人懐こく笑っているのが分かる。
こいつはオクタビオであってオクタビオではない、という、奇妙なデートが始まった。


大通りに面したハモンド・ロボティクスのショールームの前を通りかかると、オクタビオは「ちょっと覗いてみようぜ」と、俺の返事も待たずに、ずかずかと中に入っていっちまった。
やれやれ、思い付いたらまっしぐらな所もオクタビオらしい。
ずらりと並んだ歴代のマーヴィンや、中身のないシミュラクラム体を見たオクタビオは「おっ、パスとレヴみてぇのがいっぱいいるぜ!」と口を滑らせ、慌てて「俺はAPEXゲームの大ファンなんだ」と、言い訳した。
俺たちがレジェンドであることはお互いの秘密だ。
あくまで初対面でなくてはならない。
それが今日のルールのひとつだった。
言ってみれば茶番劇というか予定調和というか、くせぇ芝居をしているようなもんだが、それが思いの外楽しくて、俺とオクタビオは、すっかり出会ったばかりの二人になりきっていた。
ショールームの二階には、ハモンド社の歴史やアウトランズでの開発の様子が展示してあった。
“アウトランズに豊かな暮らしを”などと謳ってはいるが、俺にはどれも胡散くさく見える。
今は大事なスポンサー様だが、俺はフロンティア戦争のことを忘れるつもりはない。
モニターに繰り返し流れているプロモーション映像に、自分が出てるってのも皮肉な話だがな。
APEXゲームのスペースには、俺たちレジェンドを模した等身大のロボット達が並んでいた。いつかのイベントで使ったスキンと同じ形のやつだ。
それをじっと眺めていたオクタビオが、独り言のように呟いた。
「俺は死んでも、シミュラクラムなんかにはなりたくねぇぜ。レヴナントには悪いが、終わりのないまま永遠に生と死を繰り返すなんて、考えただけでゾッとする……」
さっきまでのご機嫌な様子が嘘みたいな低い声だ。
「あんたは自分のデータを再生バンクに登録してるか?」
オクタビオの問いかけに、俺は首を振った。
「いや、してないぜ。俺も人生は一度きりでいいと思ってるからな。そりゃ、後悔するような事だってないとは言えねぇが……それでも俺は、今の自分が好きだぜ」
俺がそう答えると、オクタビオはふっと笑いを漏らし、
「俺たち気が合いそうだな」
と、ゴーグルの奥の目を細めた。


ショールームを出た俺たちは、近くのオープンカフェで、不味いフィッシュ&チップスを食いながら次の行き先を決め、ソラスで唯一の美術館である『ケテル美術館』に向かった。
今まで行った事のない所へ行くというのが、二つ目のルールだ。
ソラスにある、めぼしいデートスポットにはあらかた行き尽くちまった俺たちも、郊外の森の中にひっそりと佇む、この寂れた美術館にはまだ来たことがなかった。
建物の外観は、何かの古い研究施設みたいで、およそ美術館という感じではない。
何となく一人では来たくねぇ場所だ、と俺は思った。
Admission Freeと書いてある入り口を通り、中に入ると、広くて薄暗い館内には俺たちしかいなかった。
監視員やガイドの姿もなく、静まり返ったホールに展示されている前衛的な絵画や彫刻は、皆怪しげなオーラを醸し出している。
「おい、あの変な像はなんだ? 壁の方を向いてるぜ?」
「取り憑くマスク……だってよ。なんかおっかねぇな!」
不気味な雰囲気もどこ吹く風、といったように、オクタビオは奇妙な作品達を見ては、嬉しげにはしゃいでいる。
俺はその素顔がたまらなく恋しくなった。
「芸術品のマスクもいいが、そろそろあんたに取り憑いてる、そのマスクも取ってくんねぇか? 顔が見たい」
手を伸ばして触れようとすると、オクタビオは持っていた花束で自分の顔を隠してしまった。
「あんたの好みじゃねぇかもよ?」
「そんなに期待してねぇから大丈夫だ。そこは100パーセント保証する」
「は?失礼な奴だな」
そんなやり取りの最中に、俺はオクタビオの左手の薬指に、シンプルな銀色のリングが光っているのに気付いた。
俺が持っているのと同じデザインのペアリングだ。
さてはこいつ、外してくるのを忘れたな?
ルールにこだわってた割には詰めが甘いぜ。
「浮気をするときには、指輪を外すのが相手へのマナーってもんだぜ? あんた、俺を騙したな?」
迂闊さをからかうつもりだったが、オクタビオは慌てるどころか、どこかゆっくりとした動作で、左手のリングを見つめた。
そして「悪いな、これは大事なものなんだ」と、目を閉じてマスク越しに唇をつけた。
その情感たっぷりの仕草に、胸が音を立てて騒ぎだす。
「なんでだか、指にくっ付いて離れねぇのさ。チェーンソーで切ろうが火炎放射器で焼こうが、どうやってもな。……困ったもんだぜ」
そう言って、わざとらしく肩をすくめるオクタビオの細い体を引き寄せ、気付けば俺は思い切り抱きしめていた。
いつだってこいつは、こうして簡単に俺の心を掴んで奪っていくんだ。
「おいおい、いきなり大胆だな。大事な花束がつぶれちまうぜ……」
「どうやら俺は、あんたに一目惚れしたみたいだ」
「顔も見てねぇのにか?」
オクタビオがそう言って額にゴーグルを乗せ、マスクを外した。
いたずらっぽく輝くエメラルド色の瞳と、きゅっと口角の上がった生意気そうな唇に、俺はまた恋に落ちる……ああもう、何度だって落ちてやるさ。
手のひらにすっぽり収まる小さな顔を、両手で挟み込んで、俺は会って間もないはずのその男に唇を重ねた。
オクタビオは、ちょっとびっくりしたように目を見開いたが、
「これでカップリング成立だな? エリオット?」
と、満足げににんまりと笑った。
どうやらこの遊びがいたく気に入ったようだ。
オクタビオは、頬に置いたままの俺の左手を取って、ぎゅっと握りしめた。
「そういうあんただって、指輪を外していないだろ? 最初っから気付いてたけど、言わないでおいてやったんだぜ、俺様は」
その通りさ、実は俺もつけっぱなしにしてたんだ。
来る前に取るべきか迷ったが、いつも肌身離さず身に付けていたペアリングは、オクタビオが言うように、すでに自分の一部になっていた。
「困ったことに、チェーンソーでも火炎放射器でも外れねぇんだ、これが…」
「ヤメロ、真似すんな」
今頃になって顔を赤らめているオクタビオが、心底かわいくて、俺は繋いだ手に指を絡め、ぎゅっと握りしめた。
顔を見合わせてまた唇を近付ける。
幸いにもここにいるのは俺たちだけだ。
「キスしていいか?」
「順番がおかしいだろ」
クスっと笑ったオクタビオを抱きしめ、隙間なく体を密着させて、耳もとに吐息ごと囁きかける。
「あんたはどんなキスが好みだ……?」
オクタビオはぶるっと体を震わせて、俺にしがみついた。
返事の代わりに、触れ合わせた俺の唇を優しく舌で割り、誘うようにくすぐる。
俺はオクタビオと視線を合わせたまま、その舌を絡めとり、深く唇を重ねて口の奥に侵入していった。
鼻から抜ける甘い声が愛おしい。
ひんやりとした静けさの中で、俺たちのキスは熱を帯び、リップ音と合間に漏れだす吐息とが、やたら大きく響いていやらしさを増した。
唾液で糸を引く唇を離し、「気に入ったか?」と尋ねると、オクタビオは上気した顔で口角をわずかに上げ、ぺろりと舌舐めずりした。
「あんたキスがうまいな」
「上手いのはキスだけじゃないぜ? お望みなら、もっといいことだって思いのままさ」
「なら、夜までに俺を口説いてみせろよ? キスだけじゃなくって、口もうまいんだろ? そういえば、あんたって、ミラージュにそっくりだな、エリオット・ウィット」
オクタビオは短く笑い、軽々と身を翻して通路の向こうに消えていった。
茶番とは分かっていても、あいつとの駆け引きはいつだって楽しい。
それでこそ捕まえがいがあるってもんだ。
逃げるように先に走っていったオクタビオを追いかけながら、俺はどうやってあいつを落とそうかと、口元を緩ませていた。
そうだな、まずはあいつに送った、12本のバラの花束の意味でも教えてやるか……。

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