カサ・デ・オクタン

寄り道しないで帰る、というライフラインとの約束も何処へやら、ちょっとだけドライブしようぜ?とねだるオクタンの声に、俺は負けた。
「ルートを外れました。リルートを開始します。信じて!」
BT-7274の音声で道案内してくれる大人気のカーナビ、その名も「TRUST ME 」の声を無視して、俺たちの車は繁華街を走り抜け、居住区域からどんどん遠ざかり、ついには夕暮れの海が見えてきた。
オクタンは終始ご機嫌で、優雅に義足を組み、タンデムシートにふんぞり返って風に身を任せている。
「フー! 俺たち最高だな」
さっきまでフラフラしてたくせに、そんなにハイテンションで大丈夫なのかとちょっと心配になる。
腹が減ったと言うので、海沿いに車を停め、目についた屋台でウドンを買った。
言い出しっぺのオクタンは、俺を使い走りにして、海の見える通り沿いのテーブル席にちゃっかり座っていやがる。
「何だこれ?」
俺がウドンを差し出すと、オクタンは不思議そうにそれを見た。
「ウドンって言う、ジャパニーズソウルフードだ。食ったことねぇのか?」
「ラーメンとスシは食ったことあるけど、ウドンは食ったことねぇな。ラーメンの親戚みたいな感じ?」
「んー、親戚と言えば親戚だが、他人と言われればそう思えなくもない微妙な関係ってとこか?」
適当に説明しながら、俺がテーブルを挟んでオクタンの正面に座ろうとすると、やつは自分の隣を指差して「こっちこっち」と言った。
「何で、野郎同士仲良く並んで座らなきゃならねぇんだ。不自然だろうが」
「誰かとふたりだけのとき、前に座られんの苦手なんだよ。なんか落ち着かねぇんだ」
オクタンはテーブルに片肘を乗せて頬杖をつきながら、眉間に皺を寄せた。
変わってんな、と思いながら、言われたとおりに奴の右側に移動する。
丸い器に入った熱々のウドンと箸を受け取ると、オクタンはくんくんと匂いをかいだ。
「いい匂いだな」
「熱いから気を付けて食えよ」
オクタンは箸が上手く使えないようで、掴もうとすると逃げてしまう麺と格闘していた。
「はは、ヘッタクソだな。箸はこうやって持つんだよ」
見かねて俺が手本を見せる。
それを見て首をひねりながら真似をするが、やっぱり上手くいかない。バタフライナイフはあんなに器用に操るのに、と思うと可笑しかった。
「ジャパニーズってやつは、何でこんな棒きれで飯を食ってんだろうな。もっと楽な方法はなかったのか?」
悪態をつきながら焦れったくなったオクタンは、器に口をつけてウドンを汁ごと吸い込んでいた。
「おい、もうちょっと努力ってもんをだな……」
「うん、うめぇ。なんか、久々にあったけぇもん食った気がする」
「一体どんな食生活してるんだ?お前は。ひとり暮らしなのか?」
オクタンは、口の端から飛び出していたウドンを吸い込みながら頷いた。
「俺、料理とかできねぇから、その辺は適当だな。面倒くせぇ時はプロテインバーとか……。あとたまに、アジャイが来て作ってくれる」
「ライフラインが?」
「ああ。俺の義足を世話してくれたのもあいつだし、ほんと頭が上がんねぇよ」
オクタンにしては真面目な顔でそう言ったのを見て、俺はああ、そうか。と察した。
今日のやり取りを見ても、なんやかんや仲が良さそうだったもんな。
こいつだって年頃の男なんだから、彼女がいたって何もおかしくない。
考えてみりゃ、それが普通なんだ。
……なんてこった。
俺は思った以上にダメージを受けているらしい。
「お前には、ライフラインみたいなしっかりした子がお似合いだな。彼女はいい子だから、大事にしてやれよ」
俺は平静を保ちつつ、理解と分別のある大人のふりをした。
こいつの為じゃねぇ、自分の為にだ。
オクタンが怪訝そうに俺を見る。
「なんか勝手に誤解してるみてぇだけど、俺とアジャイはそんなんじゃねぇぞ?幼なじみだし、そりゃ仲はいいけど」
「えっ……」
拍子抜けした俺は、我ながら間抜けな声を出した。
「……そう、なのか?」
「そうだよ」
俺の反応が可笑しかったのか、オクタンは吹き出すように笑った。
ああ、笑ってくれ。
百戦錬磨のこのミラージュ様が、まるでティーンエイジャーみたいにお前の言葉に一喜一憂してるんだからな。
「俺とアジャイはなんつうか……同志みてぇな感じ?似てるとこがあるからな。色々とさ……」
オクタンはそれっきり黙り込んだ。
義足をブラブラさせながら、海の方を見ている。
オレンジ色の夕陽に照らされた横顔は物憂げで、こいつは本当にあのオクタンなんだろうか、と思った。
それとも、あのマスクの下で、人知れずこんな顔をしていることもあるのか?
もっとこいつのことが知りたい。
そう思うのと同時に、俺の見えない分身が「バカだな兄弟、知ってどうする気なんだ?」と笑った。
「おい、ミラージュ?」
そう名前を呼ばれて我に返ると、オクタンが俺の顔を覗き込んでいた。
「いや、悪い、何でもねぇ」
そう言っても、奴はなぜかじっと見つめてくる。
「何だよ?何かついてるか?それとも、イケメンの俺様に見とれちゃってるとか?」
「傷が、いっぱいあんだなと思って」
「ああ、これか」
俺の顔には、目や頬の辺りに古い傷痕がある。理由はあまり思い出したくない、遠い昔のことだ。
「ガキの頃、ちょっと怪我してな。ったく、いい男が台無しだ。けど、たまにこの傷がいいって言ってくれる子もいるんだぜ?」
「あー、分かるぜ。俺もカッケェって思ったもん。いかにも戦う男って感じがしてよ。俺にも欲しいくらいだ」
そんな大層なもんじゃねぇけどな。
そうストレートに言われると、どうしていいか分からなくなっちまうぜ。
俺は「そっか、ありがとな」とだけ言って緑色のキラキラした目から視線を逸らした。
こいつが相手だと、俺のペースで話が進まない。もどかしいような、それが楽しいような変な感じだ。
何を話してたんだったか……飯の話か。
「それはそうと……さっきの話だけどな。お節介かもしれねぇが、飯はちゃんと食わなきゃダメだぞ。俺たちは一応、肉体労働者なんだからな。それでなくてもお前は細いんだし……」
「でも、筋肉はあるぜ?無駄な肉は走るのに邪魔だからな」
オクタンはパーカーの袖を捲って、腕に掘られたPULSULTRAの文字を見せつけるように力こぶを作ってみせた。
薄い皮膚に包まれたしなやかな筋肉が隆起している。
オクタンが痩せていても貧弱に見えないのはそのせいなんだろう。
だが、俺の腕に比べたら、赤ちゃんみたいなもんだ。
「いい線いってるが、俺には及ばないな」
オクタンは不満げに自分の腕と俺の腕を見比べて、口を尖らせた。
「俺からすればただのデブだぞ。何を食ったらそんなんなるんだ」
「俺の作ったポークチョップを食えば、次の日にはムキムキだぜ。今度食わせてやるよ」
「お前は料理できるのか?」
「知らなかったか?俺はエンジェルシティに自分のバーを持ってる、ちょっとは名の知れたオーナー兼バーテンダーなんだぜ?料理と酒にはうるさいのさ。もっとも、ゲームに出るようになってからは、たまにしか顔を出せないけどな」
それを聞いて、オクタンの目が輝いた。
「へぇ、それは知らなかったな。よし!今から飲みに行こうぜ」
「お前、エンジェルシティがどこにあると思ってんだ。行くならまず、宇宙船のチケットを買わねぇとな」
俺の故郷でもあるエンジェルシティだが、ここから行くにはちょっとした宇宙旅行が必要だ。
「なら、シーズンオフにみんなで行こうぜ。貸し切り予約な?」
オクタンは酒が好きなようで、それから俺のバーの話になり、酒の話になり、他のレジェンドやゲームの話へと、話題はせわしなく移っていった。
他愛のない話ばかりだが、オクタンから俺の知らない他の奴らの話を聞くのは面白かったし、くるくると変わる表情を見ているのも楽しかった。
涼しげな目元に少し上向きの鼻、生意気そうな唇がよく動く。
気が付くと、いつの間にか陽が落ちて、人影もまばらな通りの街灯に明かりが灯っていた。
「そろそろ行くか。俺までライフラインにケツを叩かれちまう」
「ああ、そうだな」
オクタンはそう言って立ち上がると、俺に向かって唇の端を上げてみせた。
「ウドン、うまかったぜ」

帰り道のオクタンは疲れたのか、来るときよりも静かだった。
だんだんと口数が減っていき、そのうちシートにもたれかかって寝てしまった。
興奮剤ってのは元々、パイロットと呼ばれるエリート達がフロンティア戦争の頃に使ってた薬だ。
ふざけた一般兵がコーヒーに一滴垂らして飲んだだけで一週間眠れなくなっちまった、って話があるくらいヤバい代物らしい。
こいつが使ってるのがそれと同じ物なのかは分からねぇが、強制的に興奮状態になるんだから、そりゃ疲れもするだろう。
それに、あまりにも馴染んでいて忘れがちだが、こいつの両足は義足だ。
生身の足よりも、体に掛かる負担だってでかいに違いない。
今日のゲームは、ろくに物資を漁る暇もないくらい戦闘が激しかったしな。
明日がオフで良かったと思いながら、俺はアクセルを踏んでスピードを上げた。
BTのナビを信じてたどり着いた場所は、繁華街の外れにある倉庫のような建物だった。
助手席のオクタンは、腕をだらんと投げ出して爆睡している。
気持ち良さそうな寝顔に、起こすのがかわいそうな気がしたが、仕方ない。
俺はオクタンの体を軽く揺すった。
「おい、着いたぞ、オクタン。ここでいいのか?」
「んー……」
気怠そうな声を出して目を開けたが、まだ半分眠っているようだ。
「ほら、ベッドまでもうちょいだから頑張れよ」
「……お前がベッドまで運んでくれてもいいんだぜ?」
寝ぼけ眼のまま、オクタンはニヤニヤした。
俺は別に、変な意味で言ったんじゃねぇぞ。
そんな事言われたら、声とか表情がそれっぽく見えてくるじゃねぇか。
俺は思ったより重症なんだ。
間違いを起こす前に、早いとここいつを送り届けて、家に帰ろう。
車を降りて助手席側に回ると、未練がましく寝ようとしているオクタンを引っ張り出して背中に乗せた。
「……おっ?マジか」
「面倒くせぇから担いでくぞ。大サービスだからな?」
俺はオクタンを背中に、奴の荷物を手に持って歩き出した。
首に巻き付いた腕にギュッとされたのは、俺の気のせいだったか?
倉庫を改造したようなガレージハウスの一階は文字通り倉庫で、狭い階段を上がった二階がこいつの住居になっていた。
ドアを開けるとだだっ広い空間が広がっていて、その中にオクタンの生活が全部詰まっている、という感じの乱雑さだ。
シンプルな家具に高価そうなオーディオセット、何種類ものゲーム機、脱ぎ散らかされた服、飲みかけのビール瓶、プロテインバーの包み紙……。
無造作にテーブルに転がっている興奮剤のアンプル。
几帳面な俺は、今すぐ片付けたい衝動に駆られたが、とりあえず背中のでかい荷物をベッドに下ろし、足元で丸まっていた毛布を掛けてやった。
「……グラシアス……ミラージュ……」
オクタンはスペイン語で何事かを呟いたが、俺に聞き取れたのはそれだけだった。
一応、感謝はしてくれているらしい。
「謝意は受け取っておく」
俺はコースティックの口真似をしたが、オクタンはすでに眠りこけていた。
わりと自信があるネタだったのに、残念だぜ。
「じゃあ、俺は帰るからな。……ゆっくり休めよ」
用は済んだはずだった。
長い一日もこれで終わりだ。
俺だって、疲れてないわけじゃない。
なのにこの場を去りがたくて、俺はしばらくの間、オクタンの寝顔を見つめていた。
精悍な顔つきも、眠っているときは少しだけ幼く見える。
そうだな、今度はもっとゆっくり、酒でも飲みながら話そうぜ。
俺は自分のアドレスに「腹が減ったら連絡しろ」と書き添えたメモを枕元に置いて、オクタンの家を後にした。

1/1ページ
    スキ