運命の人


午前0時を過ぎたパラダイスラウンジには誰も客がいなかった。
カウンターの端っこにいる眠そうなオクタビオを相手に、手慰みのアンビシャスカードを披露していた俺は、手伝いに来てくれていたパスファインダーに向かって言った。
「今日はもう誰も来なそうだな。お疲れ様、パス。もう帰ってもいいぜ?」
棚に並んだ酒瓶をきっちり等間隔に並べる作業に熱中していたパスファインダーが、振り向いて沈んだ声を出す。
「帰ってももう、あそこには誰もいないんだ。僕、もうちょっとここにいてもいいかな? ミラージュ?」
「ああ、もちろんさ。お前が居たいんならな」
アッシュが出ていってからというもの、パスはずっとこんな調子だ。
ロボットが恋に落ちるなんて馬鹿げた事だと思ってたが、こうやって落ち込んでいるのを見ると、さすがにかわいそうな気になってくる。
パスが人間なら、やけ酒にでも付き合ってやるんだがな。
いかんせんこいつはマーヴィンだ。
酒も飲めねぇし、涙を流すこともできねぇ。
今日も特に頼んだわけじゃねぇが、手伝いに行くよと言うこいつの真意を思えば、その申し出を断るほど薄情じゃないつもりだ。
「君たちは幸せそうだね」
パスが俺とオクタビオに向かって言った。違うともそうだとも答え辛いぜ……。
すでにだいぶ酒が入っていい気分になっているオクタビオは、無邪気に「おう、幸せだぜ」なんて言って笑ってやがるが。
パスファインダーは特に気にする様子もなく、なぜか得意気に胸を張った。
「君たちが上手くやっているのを見るのは僕も嬉しいよ。なんたって、ミラージュがオクタンの事を最初に相談したのはこの僕なんだ!」
「マジで? そいつは初耳だな」
閉じかけの目を見開いたオクタビオが、カウンターから身を乗り出して食いついた。
「俺の事なんて言ってた?」
「ちょっと? パスくん? 急に何を言い出すのかな?」
「うーんとね、ミラージュは君の事を、最初はただのバカだと思ってたんだって」
パスファインダーは、さっきまでとうって変わった調子で生き生きと喋り出した。
口を塞ぎたくっても、困ったことにこいつには口がねぇ。俺はパスの顔の前であたふたと手を振って話を遮った。
「やっ……やめろパス。その話は秘密だって約束しただろ?」
「君たちは恋人同士になったんだから、もう話してもいいでしょ?」
「ダメだ。俺とお前は親友だろ? 親友との約束を破るのか?」
「何だよ、パス。聞かせてくれよ。バカとか言われちゃ、聞き捨てならねぇ」
オクタビオが俺の方をチラリと見やって牽制する。
一瞬の沈黙の後、あろうことかパスファインダーは、親友であるこの俺を裏切り、俺がこいつに話した内容を嬉しげに喋り始めた。
ご丁寧に、俺が自分でも忘れてたような、些細な一言一句までだ。
さすがはロボットだ、完璧な記憶力だぜ。
なんて、感心してる場合じゃねぇぞ。
ニヤニヤしながら話に聞き入っているオクタビオを見て、そこに居るのがいたたまれなくなった俺は、そそくさとバックヤードに逃げ込んだ。
あの時、俺は別に相談しようとした訳じゃねぇ。
ただ、自分でも良く分からない感情を吐き出したくて、パスに話を聞いてもらっただけだ。
そこからなに食わぬ顔をしてオクタビオと付き合ってたってのに、隠してた本心を暴露されてるみたいで、どうにも居心地が悪い。
もちろん、すべてが下心だった訳じゃねぇけどな。
恋人になる前のオクタビオは、俺にとって愛すべき友人でもあった。
もどかしい想いを抱えながらも、一緒に過ごす時間はいつも楽しかったし、あいつの人となりを知って、お互いの距離が縮まっていくのを感じるのは新鮮だった。
俺はそれまでパス以外の人間と……いや、パスはロボットだが……、とにかく親しい友人と呼べる存在を持ったことがなかったからな。
広く浅く、誰とでも調子よく話を合わせて、決して嫌な気分にならない程度に距離を保つのが、俺の処世術だったのさ。
まさに、俺にとって、バーテンダーは天職といえる。
だが、オクタビオは、そんな事はお構いなしにするすると心に入り込んできた。
そして俺はそれを許し、心地いいとさえ感じたんだ。
これってこうなる運命だったんじゃねぇか? って思うくらい、自然で違和感がなかった。
今の俺とオクタビオは、恋人であり親友であり、兄弟でもあるついでに良きライバルでもある。そのどれもが大事で、どれもが失いたくないものだ。
兄弟と寝るのはちとまずい気もするが、それはまぁ一種の概念? ってことで……我ながらこの考えって、結構イケてるんじゃねぇか?

「オクタンは寝ちゃったみたい」
しばらくしてパスがバックヤードに入ってきた。
顔を出してみると、カウンターに突っ伏してダウンしているオクタビオの背中が見える。
「そろそろ店じまいするか。……お前、今日は俺ん家に来るか? ベッドはねぇけど、電気ならたっぷりあるぜ?」
「ありがとう、ミラージュ。でも平気さ。僕は人間と違って、悪夢は見ないんだ。スリープモードに入れば、何も考えることはないからね」
それが幸せなことなのか、そうじゃねぇのかは、俺には良く分からない。
だが、パスの平坦な口調が、やけに悲しく聞こえるのは確かだ。
「こんなこと言っても、何の慰めにもならねぇかもしれねぇけどよ……。アッシュはお前の運命の相手じゃなかったんだよ。お前にも、いつかきっと見つかるさ。それが、お前の言うマスターなのかもしれねぇだろ?」
「そうだね。そうかもしれない。僕はマスターの事を何も覚えてないけど、たまに思うんだ。僕が誰かを大事に思う気持ちや信じる気持ちは、全部マスターから教わった気がする。僕のマスターはきっと、とても優しくて暖かくてユーモアのある人に違いないよ。そう、君みたいな人だったらいいな」
「調子のいい奴め。本当にそう思ってんのかぁ?」
「もちろんだよ、信じて! 君と僕は親友さ!」
パスファインダーはそう言って、俺に向かって得意のサムズアップをしてみせた。

店の片付けを済ませ、俺は何やらむにゃむにゃと寝言を言っているオクタビオを背負い、パスと一緒に店を出た。
「じゃあね、ミラージュ」
「おう、気を付けてな。また時間があるときには助っ人を頼むぜ」
「うん、任せて!」
パスファインダーは、あれ以来棲み家にしている倉庫のある方向に、勢いよくジップラインを張った。
「あ、そうそう」
片手でワイヤーを掴みかけたパスが振り返る。
「オクタンはね、君の事を運命の人だって言ってたよ。君の隣はどこよりもすごく居心地がいいそうだ。良かったね、ミラージュ」
「え……」
「君の話だけするのはフェアじゃないからね! それじゃあ、おやすみ!」
俺はオクタビオを背負ったまま、片手を振りながら遠ざかるパスファインダーの姿を見送った。
「おやすみ……」
奴が見えなくなると、俺は背中にしがみついている軽い荷物を背負い直し、車を停めてある近くの空き地まで歩いていった。
自然と顔がにやける。
運命の人か……。
パスとオクタビオが、他にどんな秘密の話をしたのか気にならないでもないが、俺にはその一言で十分だ。
助手席のシートにオクタビオを降ろし、閉じられた薄いまぶたをなぞると、うるさそうに眉間に皺が寄った。
あの日と同じように、無防備で可愛い寝顔に愛しさが込み上げる。
違うのは、今は躊躇なくその唇にキスしてもいいんだ、ってことだ。なんたって、俺はこいつの運命の人だからな!
感慨深くオクタビオの唇に自分のそれを重ね合わせ、「大好きだぜ」と囁いた。
「……おれも……」
寝ぼけながら返事をして、オクタビオはまた夢の中に戻っていった。

車のエンジンをかけると、カーナビゲーションからBTの声がする。
一瞬、俺はその声がパスファインダーに似ているような気がして、パネルを操作する手を止めた。
俺の気のせいか?
機械の合成音なんて、どれも似たようなものだしな……。
すぐにそう思い直して、目的地を告げた。
明日もゲームがある。
早く帰って、オクタビオを寝かして俺も寝よう。
助手席に目をやると、楽しい夢でも見ているのか、オクタビオはうっすらと口元に笑みを浮かべていた。
今頃、パスファインダーはもう眠っているだろうか?
人間が見るのは、悪夢だけじゃないんだぜ、パス……。
どうか、あの陽気で孤独なマーヴィンが、とびきり幸せな夢を見られるように、あいつの長い旅がいつか最高の結末を迎えられるようにと、俺は風変わりなもう一人の親友の為に、柄にもなくそう願った。

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