HANDLE WITH CARE


目覚めたときに、隣に暖かいぬくもりがあるってのはいいもんだ。
ここ最近、ミラージュことエリオット・ウイットは、つくづくそれを実感していた。
恋人であるオクタンと、自分の家で暮らし始めてからしばらく経つ。
始めのうちは、なにかこそばゆいような照れ臭さがあったが、次第にそれは大きな安心感に変わり、オクタンを自分の手の内に入れているという実感と幸福がミラージュを満たした。
もっともっと、大切にしたい。
思いっきり甘やかして可愛がって……あいつの望むものすべてを与えてやりたい。
ミラージュのオクタンに対する庇護欲は、日に日に増していく一方だ。
今朝もミラージュはオクタンより先に起きて、キッチンでお気に入りの古いポップソングを口ずさみながら朝食作りに励んでいた。
「Oh my baby ,Oh my baby ……」
半熟のボイルドエッグにカリカリのベーコン、イングリッシュマフィンとたっぷり野菜の入ったスープとサラダ。
オクタンが少し眠そうに、だが旨そうにそれらを食べる様を想像して、自然と頬が緩んだ。
料理をダイニングテーブルに並べ終えると、腕捲りをしたエプロン姿のまま、可愛い恋人が眠っているベッドルームへと向かう。
シーツからはみ出しているくしゃくしゃの髪を見てまた目を細め、ミラージュはシーツをめくってオクタンの頬に口付けた。
「おはよう、ハニー」
微かに身動ぎしたオクタンが、薄目を開けて睫毛をしばたかせ、眠そうな目をこする。
「……おはよ」
「朝飯の準備ができたぜ? 先にシャワーにするか?」
「いや……飯食ってからにする」
オクタンは起き上がって、所在なさげにポリポリと頭を掻いた。
すかさずミラージュがベッドのそばに置いてあった義足を運び、両腿の金属パーツに装着しようと足元にかしずく。
ミラージュがこうしてオクタンの義足の取り外しをするようになったのは最近のことだ。
てきぱきとした作業を興味深げに眺めているミラージュに、何気なく「やってみるか?」と言ったのがきっかけだったが、それからミラージュはほぼ毎朝毎晩、まるでそれが使命であるかのように、オクタンの義足の世話をした。
鋼鉄の義足は、オクタンにとってなくてはならない相棒であり、命綱でもある。
その着脱を自分に委ねてくれるようになったということは、オクタンが自分を信頼し、愛されている証のようで、何より嬉しかった。
「……なぁ」
オクタンが何か言いたげな声を出したので、ミラージュが微笑みながら目を上げると「いや、何でもない」と言って首を振り、
「……グラシアス」
と、戸惑ったような礼が返ってくる。
義足の具合を確かめるように足をブラブラさせるオクタンに軽くキスをしてから、ミラージュが立ち上がって手を差し伸べた。
「行こうぜ、朝飯が冷めちまう」
その大きな手に自分の手を乗せ、オクタンは
「俺はお姫様か?」
と、困ったように笑った。
朝食といい義足といい目覚ましがわりのキスといい、なんだか至れり尽くせりすぎて、背中がムズムズしてくる。
以前からミラージュはオクタンに甘かったが、一緒に住むようになってからは特にそれが顕著だ。
食事の用意はもちろん、掃除も洗濯もベッドメイクも全部ミラージュがやってくれる。
風呂に入れば泡まみれにされて隅々まで綺麗に洗われ、 仕上げには髭剃りとドライヤーのおまけ付きだ。
ソファーに座れば自動的に暖かい飲み物が出てくるし、眠くなれば優しく義足を外され、お姫様抱っこでベッドまで運ばれる。
最初のうちは、楽でいいな、なんて笑っていたが、それがいけなかったのだろうか。
ミラージュの献身が、自分に対する好意ゆえだと分かっていても、オクタンはどこか居心地の悪さを感じるようになった。
まるで、お前は笑って息をしてるだけでいいよ、と言われているみたいだ。
はっきり言えずにいる自分も悪いのだが、このままミラージュの望む可愛い人形のままでいたら、いずれ自分は発狂するだろう。
オクタンは思った。ちゃんと言わなければ。
しかし、ミラージュは楽観的に見えて、変なところで気にしいな性格でもあったので、ズバッと言ったら落ち込むのは目に見えている。
彼を傷つけることなく、この事を伝えるにはどうすればいいのか……。
思案して食事の手が止まったオクタンに、ミラージュはトマトを刺したフォークを差し出し、自分の口を一緒に開けて「あーん」などと言っている。
「俺は人に食わせてもらうトマトは嫌いだ」
ついそんな言葉が口から出てしまった。
「え? そうだったか? 今まで普通に食ってた気がするが……」
「さっき嫌いになったんだよ、ほっといてくれ」
いきなり不機嫌なトマト嫌いになってしまったオクタンに、ミラージュは訳が分からないといった顔で、仕方なくトマトを自分の口に入れた。
ミラージュの流れるようなお喋りをBGMにした朝食を終えると、オクタンは空になった食器を持ってキッチンに向かった。
「珍しいこともあるもんだ。お前が洗ってくれんのか? 今日のソラスシティにはきっと雪が降るぜ」
「俺だって皿くらい洗えるさ」
オクタンは、スポンジにやたら多すぎる洗剤を染み込ませ、食器を洗い始めた。
みるみるうちに泡に埋もれたシンクを見たミラージュは、「それじゃどこに皿があるか分からなねぇな」と笑い、
「いいよ、俺がやるから」
と、オクタンの手から泡まみれのスポンジを優しく取り上げた。
「返せ、俺にやらせろよ」
「手が荒れちまうだろ?」
それを聞いたオクタンは、眉を寄せて目を吊り上げ、
「それが日々戦ってる男に対して言うセリフか!?」
と声を荒げた。
その勢いに驚いて、呆気にとられているミラージュからスポンジを奪い返すと、オクタンは乱暴に皿洗いの続きを始めた。シンクの中の食器たちが、ガチャガチャと悲鳴をあげる。
「どうしたんだよ、オクタビオ? 俺の言い方が気に入らなかったのか?」
「……そうじゃねぇよ」
「何か思ってるなら言ってくれ」
ミラージュの声に真剣さが混じり、オクタンは頭の中を整理しようとした。その時、
「……っ、痛って」
指先に鋭い痛みを感じて思わず手を引く。
欠けたカップの縁で人差し指が切れたらしい。
「大丈夫か?」
ミラージュが慌ててオクタンの手を取ると、泡だらけの指先からぷくりと血が盛り上がり、指を伝った。
「こんなの、舐めときゃなおる」
「ダメだ。酷くなってトリガーが引けなくなったら困るだろ?」
ミラージュは流水で泡と血を洗い流し、オクタンの人差し指をためらいもなく口に含んだ。
オクタンはぼんやりと、ただされるままそれを眺めていた。
その行為に触発されたのか、指先から唇を離したミラージュはニヤリと笑い、そのままオクタンの唇を奪う。
「オクタビオ……、可愛い」
クッソ……ずりぃんだよ。
そうやって、お前が可愛い可愛いって言うから俺は……。

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