ヘイルストーム


嵐の去ったワールズエッジの空は、雲の隙間から薄日が差して、俺らの乗ったドロップシップをオレンジ色に染めていた。
チャンピオンは、抜かりなく戦いを続行した、バンガロールのチームだった。
さすが、とはいえ、悪天候の中それに付き合わされたローバは、メイクが崩れたと少々不機嫌で、鬼軍曹に手足の様にこき使われたクリプトは、やつれた顔で記念撮影とインタビューに駆り出されていた。
それを尻目にひと足先にシャワーで温まり、俺は伸びていた髭を念入りに整えた。ウェーブした前髪を額に垂らして、仕上げに愛用のトワレを一振りすれば、すっかり元通りのイケメンの出来上がりだ。
鼻歌まじりで共有スペースに戻った俺は、今日の失態の詫びと礼を言おうとヴァルキリーを探した。だが、そこに彼女の姿はなかった。
あの後、どこで見つけたのか、古ぼけた毛布を手に戻ってきたヴァルキリーの前に残されていたのは、無情にも俺とオクタビオの装備だけだった。
それでも彼女が粘り強く生き残ってくれたおかげで、部隊は上位に入ることができた。
またしても俺は、首の皮一枚で繋がったってわけだ。今度酒でも奢ってやらねぇとな。
ヴァルクを探すのを諦めた俺は、共有スペースの裏の給湯室でコーヒーを淹れ、ついでにオクタビオのブースへと運んだ。
私服に着替えたオクタビオは、マスクとゴーグルも外してリラックスしていた。いつ染めたのか、少し伸びた髪は黒くなり、顎の先にはうっすらと顎髭が生えていて、ずいぶんと大人びて見える。
「傷は診てもらったのか?」
「さっきアジャイに薬を塗ってもらったぜ。大したことはねぇ」
「そうか、良かった」
パーカーの袖口で隠れた両手を温めるようにマグカップを持ち、口に運ぶオクタビオを、俺はその場に立ったまま眺めていた。
ゲーミングチェアに行儀悪く両脚を乗せて背中を丸め、カップから立ちのぼる湯気にしきりに息を吹きかけて遊んでいる。見た目は少々変わっても、中身はやっぱりオクタビオには違いない。
「髪を黒くしたんだな」
「ほんの気まぐれさ。明日には赤くなってるかもな」
「似合ってるぜ」
オクタビオはちらりと俺の方を見て、無造作に頭を掻いた。
「俺の母親の髪は黒かったって話だ。あいにく俺のは父親譲りだけどな……。マムの顔は俺によく似てたって……」
こいつが自分から家族の話をするなんて、珍しい事もあるもんだ。きっとすげぇ美人だったんだろうなと、他に座るところのない俺は、モニターに占領されたデスクに尻を乗せた。
追い出されないのをいいことに、手を伸ばしてオクタビオの髪に触れてみる。固そうに見える黒髪も、触ってみればふわりと柔らかく、懐かしい手触りがした。
「冷たくしたり優しくしたりなんなんだ」
オクタビオは、伏し目がちにパーカーの袖口を引っ張りながら呟いた。尖らせた唇は、怒るというより、こいつが困ったり拗ねたりしてる時の顔だ。
「いまさら俺と友達にでもなりてぇのかよ?」
「またそこから始めるのもいいかもな……」
と、俺は言った。
まるで疑問も後悔もわだかまりも、あのヘイルストームが全部持って行っちまったみたいに、俺の気持ちにもう迷いはなかった。
そうさ、間違えたならまたやり直せばいい。何度でも。終わったならまた始めればいい。何度でも。
新たに続く道が、どこへ辿り着くのかは分からないが、何もしないまま別れるよりもずっとましだ。
「この先どんな関係になろうが、俺がお前を好きな気持ちに変わりはないぜ」
俺の告白を聞いたオクタビオは、両手で挟んだカップから目を上げて俺を見つめた。次々とシップに戻って来るレジェンド達の騒がしい声に紛れて、頼りない呟きがかろうじて俺の耳に届く。
「俺も、お前がすきだぜ……エリオット。けど、考えれば考えるほど、俺がお前にふさわしい人間なのか分からなくなるんだ。俺はお前の愛に値するような男か? お前もいつか、俺に失望して突き放すかもしれねぇ……それならこのままでいい」
らしくねぇ弱気な言葉だ。もしかしたら、オクタビオが信じられないのは俺じゃなく、自分自身なのかもしれない。
俺は、オクタビオの手からマグカップをそっと取り上げてデスクに置き、着ていたパーカーのフードを被せて、間近に引き寄せた。
「なぁ、オク。今このフードの中は、俺たち二人っきりの世界だぜ? ドキドキしねぇか? 誰にも気付かれずに、キスだって内緒話だって思いのままさ。試してみるか?」
「ふざけてんのか? ……俺は真面目に考えてるってのに……」
「いや、マジさ。大マジだ。いいか? お前が俺にとってふさわしいかどうかは俺が決める。お前があれこれ考えて進めないってんなら、俺は気長に待つぜ。たとえ一生かかってもいい。確かにお前は、俺をヤキモキさせるかもしれねぇが、それ以上の幸せを俺にもたらしてくれる、ただ一人の存在なんだ。お前は俺にとってかけがえのない、唯一無二の……この世に二人といない……えっと、あとはなんだ? クソ、いい例えが浮かばねぇ……。とにかく、誰がなんと言おうとお前は最高だ、オクタビオ」
フードの中のオクタビオは、眉間に皺を寄せて歯を食いしばっていた。ひょっとして泣いちまうんじゃねえかと思ったが、そうはならなかった。
弾かれたように飛びついて、体ごと乗っかってきたかと思ったら、至近距離にあいつの顔があって、俺はブースの壁にしたたか頭を打ち付けていた。
義足が机に当たる音と、モニターが倒れる音が派手に鳴り響き、床に落ちたステンレス製のマグカップは、残っていたコーヒーをあたりに撒き散らした。
「待たなくっていい。答えなんか、始めから決まってるんだ」
痛みに呻く俺になどお構いなしに、オクタビオの乱暴なキスが俺を襲った。散らかったデスクに体を押し付けて、強い眼光が俺を射抜く。
「ほんとに俺でいいのか?」
「ああ、お前じゃなきゃ駄目だ」
「俺は、お前が望むような男にはなれないかもしれない」
「俺の望みはそのまんまのお前だ」
「後悔はナシだぜ……?」
「するもんか……今までも、これからもな」
両手をついて俺を見下ろすオクタビオの、薄くめくれた唇から尖った犬歯が覗いている。
朝起きたときには思いもしなかった幸福が、オクタビオの姿をして俺に微笑みかけている。
俺は目を閉じてオクタビオ抱きしめ、今度は柔らかく吸い付いてくる唇の感触を味わった。
後頭部が少々痛むがなんてことはねぇ。
こうしてお前を腕に抱ける喜びに比べたら、ズボンの裾がこぼれたコーヒーの染みだらけになった事だって、取るに足らねぇことさ。
久しぶりに触れ合う唇は、熱く溶け合ってなかなかに離れがたい。俺たちはここがシップの中であることを忘れて、いつまでも重なり合っていた。
「なんだよ、やっぱり仲良しなんじゃねぇか」
いきなり現実に引き戻されて目を開けると、オクタビオの頭の後ろから、ヴァルキリーがひょっこり顔を出した。その横から、ラムヤがニヤニヤしながら俺たちを眺めている。
「だから言ったろ? こいつらが別れたとか、ぜってー嘘に決まってるって。ほらほら、お二人さん、ソラスに着いたぜ」
気が付けば、ブースのまわりには、わらわらと人だかりができていた。
「隣ですごい音がしたから、てっきり殴り合いでもしてるのかと思えば……人騒がせな奴らだ」
クリプトが呆れたように言い、ワットソンは抱き合っている俺たちを、口に手を当ててまじまじと観察している。「ナタリー、そんなに近寄るんじゃない。バカが感染る」
「あんた達、くっ付いてないと死ぬの? ふっ、そういえば、くっ付いてても死んだわね」
「アニータったら、意地悪なこと言わないの」
「……見せもんじゃねえぞ」
さすがに恥ずかしくなった俺は、オクタビオを首にぶら下げたまま体を起こして、言いたい放題の野次馬たちを手で追い払った。
「どーでもいいけど、さっさと船を降りて店を開けろよ、ウィット。今夜はパラダイスラウンジでヴァルクの歓迎会だ。張り切って飲むぞー!」
ラムヤはすきっ歯を全開にしてそう言い残し、帰りかけたヴァルキリーは、思い出したように俺たちを振り返った。
「オクタン、これ、忘れ物」
彼女の投げた小さな物体は、光りながら弧を描いて、咄嗟に反応したオクタビオの手にキャッチされた。
「あんたの倒れてた場所に落ちてたんだ。……大事なものなんじゃない?」
「グラシアス、アミーガ」
俺の膝から降りたオクタビオは、ひとつ頷いて去っていくヴァルキリーの背中を見送り、握りしめた右手を見つめた。
その中に何が入っているのか、俺の勘が正しければ、それは本来、オクタビオの左手の薬指にあったものだ。
「捨てたんじゃなかったのか?」
「……捨てようと思ってポケットに入れといたんだよ。エッジの溶岩の中にでもぶん投げちまおうって……。けど、嵐だの何だの忙しくて……つい、タイミングを逃しちまったのさ……」
誘導尋問に簡単に引っかかったオクタビオは、歯切れの悪い言い訳をゴニョゴニョと繰り返し、耳を赤く染めている。
固く握られた指をそっとほどいていくと、そこにあったのは、銀色に光る紛れもないペアリングの片割れだった。
「ヴァルクに感謝しねぇとな」
俺はそれを摘み上げ、オクタビオの薬指に戻そうと左手を取った。
「もう失くすなよ?」
「……ちょっと待て」
オクタビオは少しの間、俺の顔と自分の手を見比べていたが、何を思ったのか、俺の左手のリングを抜き取って自分の人差し指に移し、俺の小指を一回り小さい方のリングに突っ込んだ。不可解な指輪の交換に、俺は自分の左手を眺めて首をひねった。
「……なんの意味があるんだ?」
「意味なんてねぇけど、なんとなくこの方がいいなって思ったんだよ。ほら、ピッタリだ」
オクタビオは一人で勝手に納得したように頷き、人差し指にリングのはまった左手を俺に向けた。
手のひらを合わせてみれば、お互いの手の大きさや、指の太さの違いが、妙に愛しく感じられる。
俺の手には可愛らしすぎて不似合いなピンキーリングも、そこにオクタビオがしがみついていると思えば、それはそれで悪くないような気がしてきた。
我ながら単純だとは思うが、こいつのやることなすことがいちいち俺の琴線に触れるんだから仕方ねぇ。
それに、結婚指輪をするために、薬指は空けとかなきゃな? ……なんて、ちょっと気が早ぇか……。
自然に指が絡み合い、どちらからともなく握りしめる。俺たちは新たな絆を確かめるように、ゆっくりと誓いのキスを交わした。
名残惜しく唇が離れたところで、待っていたかのようにシップの照明が落とされる。点いているのは非常灯だけだ。
いつの間にやら、艦内に残っているのは俺たち二人だけになっていた。もうちょい余韻に浸っていたかったが、早いとこ降りねぇとマーヴィンにハッチを閉められちまう。
「早く行こうぜ」
オクタビオが濡れた唇を舌で拭いながら、机に腰掛けたままの俺に首を傾けて催促した。
「暗くてこわいから抱っこして?」
ふざけて両手を差し出すと、オクタビオはおもむろに俺を抱えあげ、「甘えんな」と文句を言いながら床に降ろしてくれた。おまけに、はぐれないようにと、手まで繋いでくれる。なんやかんや優しいんだ、俺の恋人は。
「お前もパラダイスラウンジに来るだろ?」
「美味いもんを食わせてくれるんならな」
「おう、任せとけ。極上の素材に愛情たっぷりの、エリオット特製ディナーを用意するぜ。メニューはもちろん……」
言いかけた俺の唇にオクタビオが吸い付き、軽く歯を立てた。じゃれるように唇を喰み、暗闇からいたずらな瞳が俺の目を覗き込んでくる。
「ついでにお前の事も食っていい?」
「えっ……、俺?」
「さっきのはそういう事じゃねぇのかよ?」
「いや、あれは……その……、ちょっとふざけただけだ。残念ながら俺はメニューには入ってねぇ」
予想外のリクエストに動揺する俺を見て、オクタビオはハスキーな独特の笑い声を響かせた。
「とりあえず、俺はめちゃくちゃ腹が減ってるんだ。なんでもいいから食わせろよ。食後のデザートをどっちにするかは……ベッドの中でゆっくり話し合おうぜ」

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