ヘイルストーム


離陸寸前のシップに滑り込んだ俺は、そのままロッカールームへと向かった。他の連中はもう準備を済ませてしまったのか、中には誰もいない。
ロッカーを開け、少し思案した後、カタカナで「ミラージュ」とペイントされた緑色のジャケットを羽織り、左手にはめたままのペアリングを指抜きのグローブで覆い隠す。
備え付けの安っぽく細長い鏡に写る俺は、なんとも冴えない顔をしていた。
左右の角度からポーズを決め、笑顔を作ってみても、自画自賛どころか出るのはため息ばかりだ。
俺はロッカーに顔を突っ込み、またしても意味のない堂々めぐりを繰り返した。
あの時なぜ簡単にあいつを置いてきちまったのか、俺らはもっと良く話し合うべきじゃなかったのか?
時間が経つにつれて、後悔と未練ばかりが募る。
だが、何度電話してもオクタビオは出なかった。メールを送っても返事は返って来ねぇ。しまいにはブロックされる始末だ。
それでも残った奴の荷物を処分する気にはなれないし、指輪を外す事もできなかった。
俺の気持ちは、いまだ宙にぶら下がったままどこにも行けずにいる。
もし二度と会わないのなら、いつかは忘れられるかもしれない。けどゲームがある限り、顔を見ないわけにもいかないだろ?
あいつを目の前にして、俺はどんな顔をすればいいんだ?やあ、今日もいい天気だね!とでも言えばいいのか?
静寂を破り、唐突にロッカールームの扉が開いた。
虚をつかれて振り向くと、まさにそのオクタビオが入ってくるところだった。
オクタビオは一瞬立ち止まり「よお、アミーゴ」と俺に声を掛けた。「ひさしぶりだな」
ゴーグルとマスクのせいで表情は分からないが、その声はいつも仲間に挨拶するときと何ら変わりなく聞こえる。
隣のロッカーを開けて何かを探しているあいつを、俺は返事も忘れて呆けた様に見つめていた。
丸まった背中に長い腕、キャップの裾からすっと伸びたうなじ、しなやかな身体も気怠げな声も、少し前までは全部俺のものだったのに、今はその存在を遠く感じる。
そのうち目当ての物が見つかったのか、俺に一瞥もくれずロッカールームを出ようとするオクタビオを、はっと我に返って引き止めた。
「ちょっと待て、オク」
「なんだ? 俺は急いでるんだ」
「ひとつだけ聞かせてくれないか? ……興奮剤はどうなった?」
それは俺にとって最も忌むべき物であり、気掛かりな事でもあった。
新シーズンにあたっての調整について、運営から発表された詳細には、リチャージタイムの短縮と体力の減り幅の増加としか書いていない。実際に使われる興奮剤が新しいものなのか、従来のものなのかまでは分からなかった。
「……あれはいったん中止になったぜ。いつ完成するか、予定は未定だ。シルバの製薬技術は、そう簡単には真似できねぇ代物ってことだな。俺にとっちゃ複雑だけど」
「そうか……。引き止めて悪かったな」
ひとまず安堵してオクタビオに道を譲る。
とりあえずそれが聞けただけでも良かったと思おう……。
オクタビオは出ていく素振りも見せず、その場に立ったまま俺の顔をじっと見つめていた。
「どうしたんだよ? 髪がボサボサだぜ」
そう言われて、絡まった自分の前髪が目に入る。
「ちょっと寝坊しちまってな」
「髭も伸びてる」
「ああ」
「お前が見た目に手を抜くなんて、珍しいこともあるもんだな。ちゃんとキメとかねえと、お前のファンががっかりするぜ?」
首をかしげる仕草に胸がうるさく騒ぎ出す。
何の屈託も見せずに話をするオクタビオに、俺は徐々に違和感と苛立ちすら感じ始めていた。
早く……行ってくれ。情けねぇことに、俺はまだお前の顔をまともに見ることができないらしい。
「俺のマスクを貸してやろうか?」
オクタビオはおどけたように言った。
無造作に引き下ろされたマスクの下の唇は、俺を嘲笑うかのように、残酷で魅力的な弧を描いている。
なんでお前はそんな風に笑える?
俺はこんなにも苦しいってのに、まるで何もなかったみたいに平気な顔で……。
「急いでるんだろ? さっさと行けよ」
俺の声は自分でも驚くほど冷たく、棘を含んでいた。オクタビオのゴーグルがわずかに動いて、眉間に皺が寄ったのが分かる。
「……お前から話してきたんだぜ?」
「もう用は済んだ」
俺がそう吐き捨てると、オクタビオは傷ついたようにきゅっと唇を引き結んでその場を去った。踏み鳴らす義足の音が儚げに遠ざかる。
その音を聞きながら、俺は自分に対しての苛立ちが抑えられずにロッカーの扉を蹴り飛ばしていた。
『おいおい、兄弟。物に当たるのは感心しねぇな』
久しくゲーム以外で出番のなかったデコイが、俺を憐れんだようなしたり顔で現れる
『オクタビオはお前とギクシャクしねぇようにって、いつも通り振る舞おうとしてたんだろ?どっちが大人だ? エリオット。八つ当たりもいいとこだぜ』
「……ほっといてくれ」
『じゃなきゃ、お前はあいつにとってその程度の男だったって事だ。どっちにしろ、終わった事には変わりねぇ。俺はお前がつれなくなって寂しかったんだぜ? また昔みたいに楽しくやろうじゃねぇか、なぁ相棒?』
気安く肩に腕を乗せてくる、自分と同じ顔のホログラムに苦々しい気持ちになる。ガキの頃から常に一心同体だったはずの分身も、今は心底ウザいだけの存在だった。
「Fuck off」
俺は強制的にデコイとのリンクを切った。

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