シュガークッキー
休日の射撃訓練場の片隅で、ライフラインはD.O.Cを膝に乗せ、もう何回となく聞いたオクタンの声を再生していた。
少ししゃがれ気味の声、独特な話し方……いつもの快活さは影を潜め、時々言い淀みながら訥々と言葉を継いでいく。
今更ながらその事実の重さに、オクタンの心情を思うと胸が痛んだ。
なんであんなことを言ってしまったのだろう。
オクタンが父親の事を隠していた理由など、考えれば分かるはずだ。
けれど……。
そこにいきなり飛び込んできたのは、爆竹のようなナックルクラスターの音だった。
驚いて飛び上がったライフラインに、ヒューズが大きく手を振りながら近付いてくる。
「よう! 驚かしたか?!」
「ヒューズ!? もう、びっくりするじゃない!」
「悪い悪い」
ヒューズはランチャーを背中に担ぎ上げ、よっこらしょと岩肌でできた階段を登ってきた。
「休みの日にこんなところでドローンとデートか?年頃の娘にしちゃ、ちと寂しいな」
「余計なお世話よ。あんたこそ大丈夫なの? 昨日、あんな目にあったってのに」
「ああ、サルボじゃあんな事はしょっちゅうさ。常にどっかで揉め事と爆発が起きてる」
ヒューズはとぼけたように肩をすくめたが、ライフラインの目は冷ややかだった。
「……それで不幸になる人間がいるってことは考えないんだ? 親を失ったり家を失ったりする子供達のことは? 本当の英雄ってのは人助けをするもんさ」
「は、手厳しいな、お嬢ちゃん。サルボには秩序を嫌う奴らも多いのさ、マッド・マギーみたいにな」
ヒューズが苦笑して頭を掻いた。
話題を変えようと、気掛かりだった事を聞いてみる。
「それはそうと、夕べはオクタビオと何を話したんだ? 無理やり引っ張ってったみたいだが」
「あんたに関係ないでしょ」
「エリオットが心配してたぜ。俺とブラッドハウンドも奴から話を聞いた。あんたもオクタビオも、大層な家の出なんだってな。虎大って言やあ……」
ライフラインの鋭い視線がヒューズの言葉を遮った。それ以上は言わせないという雰囲気だ。
「何しにきたのよ? あたしとお喋りしに来たの?」
「俺はこいつの試し撃ちにな。ちょっとばかりガタが来てたもんで、ランパートに調整してもらったのさ。なぁに、可愛いお嬢ちゃんとの語らいの方が、俺にとっちゃ有意義ってもんだ」
「きもっ。あんた、いくつだと思ってんのよ?」
「まぁそう言うなって。俺とマギーがきょうだい同然に育ったってことは知ってるだろ? あんたとオクタビオも同じだ。何だか他人事とは思えなくてよ。元はと言えば、俺がそいつのボタンを押しちまったのが原因だしな」
ライフラインはドローンに目線を落として、赤いランプの部分をさすった。
話をしたとして、ヒューズに何が出来るというのか……そう思わなくもなかったが、誰かに話を聞いてもらいたい気分でもあった。
ためらいがちに口を開く。
「あたし、あいつのことひっぱたいちゃったのよね」
「はぁ、そりゃ穏やかじゃねぇな」
「最初はただ話をするつもりだったの。でもオクタビオが、お前は何も知る必要はない、俺にはミラージュさえいればいいなんて言うもんだから……」
所在なく足元に視線を落としたライフラインを、腕組みしたヒューズが気使わしげに見守っている。
「今のオクタビオの世界にはミラージュしかいない。まるで彼に出会う前の人生が、ぜんぶ無かったことになってるみたいに。そう思ったら悔しくて、情けなくて、腹が立って……」
殴っちゃった、とライフラインは自分の右手を見つめた。
「好きなのか? あのボウズが?」
「みんなそう言うのね。でも、あたしとオクタビオはそういうんじゃないわ」
ライフラインはヒューズから少し離れ、崖の縁に張り巡らされた柵に寄りかかって海を見つめた。
自分たちの回りの小さな生き物のことなど気に留めることなく、リヴァイアサンが巨体を揺らして水と戯れている。
「オクタビオにはミラージュがいるのに、あたしには誰もいない。誰もいなくなった。……自分から捨てたはずの家族に、どこか期待してたんだわ。だから、家族同然だと思ってたオクタビオが、あたしに隠し事をしてたのが許せなかった。のけ者にされたみたいで……」
ライフラインはヒューズを振り返って自嘲気味に笑った。
「おかしいわよね? アネキだなんて呼ばれて、あいつより大人のつもりでいたのに、弟離れできてなかったのはあたしの方だった」
「別に離れるこたあねぇさ。恋人や夫婦になるだけが男と女のあり方じゃねぇだろ? 俺とマギーみたいなのだっているしな。きっとあいつとは、どっちかがくたばるまでの腐れ縁なんだろうよ」
「……彼女を愛してる?」
「広い意味でいえばそうだな。俺はあいつを愛してるのかもな。なんともゾッとしねぇ話だが」
いつの間にかヒューズは、ライフラインの隣で同じように海を見ていた。
目を閉じて穏やかな波の音に耳を澄ませると、まるで歌うような低いリヴァイアサンの鳴き声がそれに重なってくる。
彼らが機嫌のいいときに出す声だ。
海風に後れ毛を揺らして、ライフラインが懐かしい思い出を愛おしむように話し出した。
「小さい頃、パパと一緒にクッキーを作ったんだ。パパは忙しい人だったけど、空いた時間を見つけては、コックたちを追い払ってキッチンを占領してね。オリンパスで取れる極上の材料を使って、最後にたっぷりの愛情を入れる、それが美味しさの秘訣なの。でも、きっともう、あたしの作るクッキーは美味しくない……」
「そんなこたあねぇさ」
ヒューズはその武骨な手で、俯いたライフラインの頭を撫でた。
「あたしがパパとクッキーを焼くことは、もうないの」
ぽつりと漏らした言葉は、まるで小さな子供のように頼りなかった。
ライフラインの勝ち気そうな瞳から涙がこぼれていく。思わず両手で顔を覆って泣き出した彼女の細い肩を、ヒューズはしっかりと抱き締めた。
「よしよし、いい子だ。お前はいい子だよ、アジー……」
ヒューズの腕の中でしゃくりあげるライフラインを慰めるかのように、2頭のリヴァイアサンはいつまでも、低く優しく歌い続けていた。