シュガークッキー


「俺たちはマギーの船から脱出したあと、森に隠れてライフラインにケガの手当てをしてもらってたんだ。なに、ケガって言ってもほんのかすり傷程度だがな」
瓶に直接口をつけて豪快にビールをあおりながら、ヒューズは事の次第をミラージュに話し出した。
同行していたブラッドハウンドは、酒の勧めを丁寧に断り、静かにカウンターに鎮座している。
「その時、俺がふざけて彼女のドローンをいじくっちまったんだ。適当にボタンとかを押しまくったんだな。そしたら急にあれがオクタビオの声で喋りだしたかと思ったら、あのお嬢ちゃんの顔色がみるみる変わってってよ……」
ヒューズはぽりぽりと頭を掻いた。
「正直、俺にゃ何が何だかさっぱりだったが」
黙って話を聞いていたミラージュの表情が曇る。
「そうか、バレちまったのか……」
「お前さんは知ってたんだろ?」
ミラージュは「ああ」と、頷いてため息をついた。
誰にも言わないと約束したふたりだけの秘密を、簡単に話していいものだろうか?
だが、三人はすでに、D.O.Cに録音されていた内容を聞いてしまった。
ライフラインはもちろん、オクタンが父親のように慕っているヒューズと、物静かな人格者であるブラッドハウンドならば、事を荒立てたりはしないだろう。
とはいえ、オクタンが秘密の共有にこだわっていたのも事実だ。
躊躇ためらうミラージュに、ブラッドハウンドが静かに語り掛ける。
「ミラージュ、告白は勇気のいる行為だ。無理にとは言わない。だが、オクタンに非はないにせよ、彼は自分の父親が罪人であることに良心の呵責を感じている。私たちは何か力になれないだろうか?共に戦う仲間として、同じ神の子として生まれた同志として……」
「そうだぜ。お前ら二人っきりでドラマの主人公を気取るのもいいけどよ、そのうち息が詰まるぜ? オープンに行こうぜ、オープンによ!」
ヒューズはぐびぐびとビールを飲み干し、隣のブラッドハウンドの肩を叩こうとしてあっさりとかわされた。
「一体どこに目がついてんだぁ?ブラッドちゃんはよ。まあいい、それで? オクタンの父親ってぇのは、そんなにすげぇ奴なのか? この俺様よりも?」
「あいつの父親はシルバ製薬のCEOだ。俺も直接会った事はねぇが、企業国家とも言えるアウトランズじゃ、政治をかるく動かせるくらいの力は持ってんだろ」
それからミラージュは、オクタンとライフライン、彼の父親であるデュアルド・シルバの関係と、マルタでの襲撃事件の事、それによってオクタンが自暴自棄になるくらい思い詰めていた事を、彼にしては珍しく簡潔に語った。もちろんあの夜の、泥沼のようなセックスについては触れなかったが。
長く戦いを共にしているブラッドハウンドは、オクタンの出自について概ねの事は承知しているようだったが、ヒューズはデュアルド・シルバの名前を聞いて驚きを隠さなかった。
「あのボウズが? マジか? 天下のシルバ家の御曹司が、グレネードで足を吹っ飛ばすようなイカれた野郎だったとはな。だが、その話が表に出たらエラいことになるぜ? アウトランズ中を巻き込む大騒動に発展しかねねぇ」
「あなたの言う通りだ、ウォルター。マーシナリー・シンジケートとサルボの将軍は同盟を結び、虎大インダストリーの所有者であるシェ家との繋がりも強い。それに敵対するのがシルバ家だとすれば、アウトランズの勢力図が一気に塗り替えられる事になるだろう……」
「でも何だってそんな話になったんだ? オクタンとライフラインの父親は、親友って言えるほど仲がいいんだろ? 協力こそすれ、対立する理由なんかあるか? 俺なんか近々、両家のお茶会とやらに招かれる予定だってあるくらいだぜ。まぁ、そんな退屈そうなとこにゃ、行かねぇけどな。それに、シルバ製薬はAPEXゲームの有力なスポンサーでもある」
ヒューズが訝しげに首を捻る。
「そこが不気味なところさ。オクタビオの父親は、表向きクリーンなイメージを保ちつつ、何か良からぬことを企んでるのかもしれねぇ。だが正直俺は、オクタビオがそれに巻き込まれて欲しくねぇんだ。そっとしといてやりてぇ……」
ミラージュの言葉に三人は押し黙り、重苦しい雰囲気が漂った。今頃オクタンとライフラインは何を話しているのだろうか?
ミラージュは壁に掛かったアナログ時計に目をやった。
午後八時をまわったばかりだが、何となく今日は店を続ける気にならなかった。
表に出て看板を裏返していると、ブラッドハウンドが外に出て来た。
「私はそろそろ帰るとしよう。安心するがいい。この事を知ったからといって、私は何も変わらない。これからも同志として共に戦うだけだ。そして、事が起こったのなら、喜んであなたとオクタンの力になろう。何かあれば遠慮なく言ってくれ、ミラージュ」
「ありがとう」
ミラージュはブラッドハウンドの差し出した手を握った。
グローブの上からでは体温は感じられなかったが、彼の、もしくは彼女の声からは、深い慈愛のようなものが感じられた。
ミラージュが店の中に戻ると、ヒューズは何本目かのビールを片手に
「もう終いか? たまにはサシでゆっくり飲もうぜ?」
と手招きをした。
ミラージュは棚からウィスキーの瓶とグラスを2つ取り出すと、カウンターのヒューズに肩を並べた。
「正直、俺はあんたが苦手なんだがな」
「まぁそう言うなよ、エリオット。お前が苦手なのは俺じゃなくて、俺のグレネードだろう?」
ヒューズはスコッチの注がれたグラスを目線まで持ち上げてから、旨そうに飲み干した。
ミラージュは思わず「なんで分かるんだ……?」と口走っていた。
「オクタビオがそう言ってたんだ。なるほど、よく見てみれば、戦闘中グレネードを食らうと、お前の動きが一瞬だけ鈍る事がある。ほんの些細な事だがな。さすが相棒だと思ったもんさ」
「……参ったな。誰にも気付かれてねぇと思ってたのに。あいつ余計なこと言いやがって」
「それにしちゃ、何だか嬉しそうじゃねぇか? あ?」
ヒューズに言われて、ふと笑みが漏れる。
あの夢の内容をオクタンに話したことはないが、彼がそれをどこかで感じ取っていたのかと思うと愛しさが込み上げた。
「なぁに、そのうち克服して見せるさ。この俺様に弱点なんてあっていいはずがねぇからな」
「おめぇのそういうとこ嫌いじゃないぜ、エリオット。それじゃ、これからも遠慮なくガンガン行くから覚悟しとけ。ビビって小便漏らすなよ?」
「ああ、望むところさ。リハビリには丁度いいぜ」
二杯めのグラスを合わせて、ミラージュとヒューズは乾杯を交わした。
それから問われるままにぽつりぽつりと身の上話をしていくうちに、ミラージュは不思議な懐かしさに包まれていった。
写真でしか見たことのない父親の顔が、脳裏に浮かんで消えていく。

おい、親父。
あんた今どこにいるんだ?
生きてるのか?死んでるのか?
まったく、どうしようもねぇロクデナシだな。
けどよ、……一度くらい、あんたとこんな風に酒を飲んでみたかったぜ。

ミラージュの心を知ってか知らずか、ヒューズは酔って赤くなった顔でぽつりと呟いた。
「親子ってのは因果なもんだな。俺にガキがいなくて良かったぜ。自分の生き方で子供を振り回さずに済むからな……」
「そうか?あんたはいい父親になれると思うぜ。何となくだけどな」
そんな事を言ったミラージュもまた酔っていたのかもしれない。
「おお? 嬉しい事言ってくれるじゃねぇか。んじゃ、これからひとつ頑張るとするか。俺様のテルミットランチャーはまだまだ現役だぜ! ガハハ」
さっきまでのしみじみとした風情はどこへやら、ヒューズはそう言って下品に腰を突き出し、愉快そうに笑った。

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