シュガークッキー


マッド・マギーを迎え撃つべく、キングスキャニオンに向かったヒューズ、ライフライン、ブラッドハウンドの三人が秘密の抜け道から帰ってきたのは、ソラスシティの空に一番星が輝きだした頃だった。
まだ客のいないパラダイスラウンジでミラージュとオクタンが乾杯していると、勢いよく入り口の扉が開き、思い詰めた顔をしたライフラインがつかつかとオクタンの元に歩み寄った。
「ちょっとオクタビオを借りるわ、ミラージュ」
ミラージュの返事もオクタンの返事も聞かず、ライフラインはオクタンの腕を引っ張って入り口に戻ろうとした。
「なんだよアジャイ? どうしたんだよ?」
「いいから、来てよ」
有無を言わせない彼女の様子に、オクタンは肩越しに振り返ってミラージュに声を掛けた。
「悪りぃ、エリオット。ちょっと行ってくる」
「ああ……」
狐につままれたような顔のミラージュをパラダイスラウンジに残し、オクタンはライフラインと一緒に店を出た。
入り口でヒューズとブラッドハウンドとすれ違ったが、ライフラインは挨拶を交わすこともなくオクタンを引っ張っていった。
乗り込んだタクシーの中は無言の空間で、モーターの軽い音だけが車内に響いている。
窓の外に流れていく景色を見ながら、オクタンはタクシーが彼女の家に向かっているのだと悟った。
かつて何度も来たことがある道だ。
嫌な予感がする。
黙りこくったライフラインの膝の上にはD.O.Cが乗せられていた。

まさか、な。

沈黙を乗せたタクシーは、指定された住所に辿り着くと、静かにエンジンを停止させた。
こじんまりとしたアパートメントの階段を上がった一番端の角に、レジェンドとは思えない慎ましやかな暮らしぶりのアジャイ・シェの部屋があった。
優しい色合いのカーテンやリネン、シンプルな家具はオクタンの記憶とさほど変わっていない。
「ここに来んのは久しぶりだな……」
「オクタビオ」
懐かしさに浸る間もなく、ライフラインが足元に浮遊するD.O.Cを手元に呼び寄せ、いきなり切り出した。
「聞いたわ、この子にあんたが話した事を」
オクタンは一瞬息を飲んだが、すぐに何事もないふりを装った。
「なんのことだ? 俺は知らないぜ……何も話してねぇ。それに、そのドローンには人の話を隠し録りするせこい機能なんか付いてなかったはずだろ?」
「昔はね。でもあたしもD.O.Cも成長してるのよ。音声プロセッサを内蔵したのはかなり前…、その時は手動だったけど、今は全部この子が判断してやってくれるわ」
オクタンは思わずD.O.Cの胴体に赤く光るランプを見つめた。充電しているとばかり思っていたそれは、録音中のサインだったのだ。
「とにかくあたしは聞いたのよ、オクタビオ。あんたの父親があのテロの黒幕だったことを、あんたの言葉でね」
「アジャイ……」
「シルバとシェは敵同士になった。長いこと親友として付き合ってきた、あんたの父親とあたしのパパが……」
オクタンは必死に弁解しようとして声を大きくした。
「俺は知らなかったんだ、あの時あのトイレに入るまで、何も知らなかったんだよ! 信じてくれ、アジャイ」
ライフラインは一瞬戸惑ったようにオクタンを見、そして悲しげに顔を歪めた。
「なんでそんな事言うの? あたしはそんな事聞いてない。そんな言い訳が聞きたいんじゃない」
「じゃあ何が聞きてぇんだよ? お前は何も知る必要はねぇんだ、アジャイ。その方がお互い幸せに過ごせる」
「あんたは? それで平気なの? 一人でそんな重たい秘密抱えて……D.O.Cに話さずにいられないくらい苦しかったくせに?」
「ひとりじゃねぇさ」
オクタンの瞳にふいに熱がこもる。
「俺にはエリオットがいるからな。あいつが分かってくれてればそれでいいんだ。他にはもう、なにも要らねぇ」
二人はリビングの入り口で向かい合ったまま、座ることも忘れて対峙していた。
ライフラインの声がかすかに怒気を帯びる。
「あんたの事を心配してるのが、ミラージュだけだと思ってんの? あたしはあんたの何?」
「どうしたんだよ、アジャイ? ハハッ、お前まさか、エリオットに焼きもち焼いてるとか言うなよな?」
ライフラインの剣幕に押されて、へらりと曖昧な笑いを浮かべたオクタンの頬に、彼女の平手が飛んできた。
避ける間もなく、パァン! という乾いた打撃音が部屋に響く。
「なんだよっ!?」
「人の心ってのはさ、そんなに単純なもんじゃないんだよ、オク。あんたは自分は独りだと思ってたのかもしれないけど、あんたがまるでモノみたいに他人の心を弄んでたときだって、あんたの事を本気で大事に思ってた奴がいたんだ。あんたが気付かなかっただけ……」
ライフラインの目はその髪と同じように、静かに赤く燃えるように揺れていた。
オクタンはひりつく頬を押さえ、殴り返しそうになる右手を懸命に握りしめた。
なぜライフラインがこんなに怒っているのか分からない。打たれた頬の痛みが、腹立たしさだけを増長させていった。
「そんなの……俺の知ったことか。愛されたら愛さなきゃならねぇのか? 俺はお前みたいに、ボランティアで人助けとかできねぇからな!」
「あんたはバカよ。何も分かってない。そうやって二人だけの世界に閉じこもってればいいわ」
たとえ親同士が仲違いしたとしても、自分たちは何も変わらない、そう言って欲しかったし言いたかった。
だが、話は何だかおかしな方向へ進んでいる。
お互いに意地になった二人は、煮え切らない思いを抱えたまま別れることになった。

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