シュガークッキー


マッド・マギーがレジェンド達に接触してきたのは、それからすぐの事だった。
ヒューズの残った左腕を差し出せというのだ。さもなければゲームを妨害する。一方的な要求だった。
だが、ヒューズはどこまで本気なのか、自分の腕にマーカーで印を付け「そんなに欲しけりゃくれてやるさ」と、うそぶいている。
それを聞いたコースティックは、興奮気味に目を輝かせ、ヒューズの腕を切断しようとメスを握りしめた。
「おいおい、俺の店でそんな物騒な事はやめてくれよ。もうここで怪我人の手当てをするのは金輪際禁止だ。俺はもう嫌だぜ」
ミラージュがうんざりしたようにカウンターの中からどなった。
彼は、オクタンやワットソンがここで治療を受けることになった、あの宝探しのことを思い出していた。
「案ずるな、そう簡単にヒューズの左腕は渡さない。あなたがマッド・マギーを戦士としてもてなすと言うなら、私も手伝おう」
そう申し出たのはブラッドハウンドだった。
ここにコースティックやブラッドハウンドが居ること自体が珍しい、奇妙な顔ぶれだった。
聞けばヒューズが二人を誘ったのだという。
何とも酔狂な男だ。
ヒューズがちょっかいを出しているのはオクタンやミラージュだけにとどまらず、被害はブラッドハウンドやコースティックにも及んでいるらしい。
あのブラッドハウンドが「まったく仕方のない人だ」と、困惑しながら話すのがなんとも可笑しかった。
だが、誘われて応じるあたり、彼らも満更ではないのかもしれない。
ブラッドハウンドに取り押さえられ、数的不利になったコースティックは早々に退散してしまったが。
「あたしも行くよ」
カウンターでオクタンと肩を並べていたライフラインが、座っていたカウンタースツールをくるっと回してブラッドハウンド達に向き直った。オクタンが慌てたように小声で囁きかける。
「おい、アジャイ。お前、ヒューズのこと嫌ってたんじゃねぇのか?」
「付いていって尻尾を掴んでやるわ。あいつにペテンはさせられない。よく言うでしょ? 虎の威を借る~じゃなかった……ミラージュ、出番よ」
「あー、待てよ?補欠……墓穴……違うな、虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ」
「そう、それそれ!」
「だったら俺も……」
身を乗り出そうとしているオクタンに、ミラージュがすかさず釘を刺した。
「オクタビオは駄目だからな。お前が首を突っ込むと大抵ロクな事にならねぇ」
「そうよ、あんたは大人しくしてなさい。マルタでもあんな目にあったんだし」
「ひでぇな……俺のせいかよ……?」
ゴーグルとマスクに守られていないオクタンの顔が、一瞬強ばったのに気付いたのはミラージュだけだった。
ライフラインが軽やかにスツールから飛び降りてヒューズ達の話に加わると、ミラージュはカウンター越しに手を伸ばし、オクタンの薄い頬の肉をつまんだ。
「顔が笑ってねぇぞ」
オクタンは唇の両端をわずかに上げてみせたが、それは彼を溺愛する恋人にとっては不器用な強がりにしか映らなかった。
「お前はほんと、ライフラインに弱いんだな。……大丈夫さ、彼女は全然気付いてねぇ」
「気付かれてたまるか。あれは俺とお前だけの秘密だ。……墓まで持っていくんだぜ、ふたりで」
喋りながら伸び上がってミラージュの唇にそっと触れる。
二人だけの永遠の秘密、という甘美な響きと、ミラージュの優しいキスがオクタンの頭をとろけさせた。
喉の上、下顎の辺りを指で何度もなぞられ、ぞくぞくと身体中が総毛立つ。
熱っぽい息をひとつ吐いて、オクタンは潤んだ瞳をミラージュに向けた。
「そこ触られると変な気分になる……」
「お前の弱点がひとつ増えたな。自分で増やしてりゃ世話ねぇぜ」
ミラージュはクスクスと笑って軽くリップ音を立て、「もうちょっとで終わるから待ってな」と、カウンターを出ていった。
唇の名残惜しさにミラージュの姿を目で追えば、フロアで意味もなくウロウロと動き回っているパスファインダーの弟を捕まえ、何やら指示をしている。
パスのお墨付きでヘルプに来てくれたはいいが、目を離すと何をしでかすか分からない新人マーヴィンは、パス譲りのハンドサインを掲げていっそう忙しく働き始めた。
彼は仕事はからっきしだったが、その愛嬌のある仕草から、店のマスコット的存在になりつつある。
ライフラインはといえば、ヒューズとブラッドハウンドとマッド・マギーを探す算段でもしているのだろうか? あれこれ言い合いながらも、ピリピリした雰囲気は感じられない。
「クソ、楽しそうだな……」
ミラージュのキスを口の中で反芻しながら、オクタンはカウンターにだらりと伸びた。

こんな面白そうな計画を、俺様抜きで実行しようだなんてよ。
だが、君子危うきに近寄らずとも言うぜ。
俺はしばらくおとなしくしてた方が良さそうだ……。

珍しく冷静に判断を下したオクタンだったが、彼はすっかり忘れていた。
墓にまで持っていく秘密を打ち明けたのが、ミラージュだけではない事を。
そして、その相手であるD.O.Cが知らない間に音声プロセッサを手に入れていた事など、知るよしもなかった。

3/8ページ
スキ