シュガークッキー


……あやうく変な声が出ちまうところだったぜ……。

共有スペースを飛び出したオクタンは、ブリッジへと繋がる通路に出ると、マスクを首元まで下げてふうと大きく息を吐いた。
ミラージュに荒らされた口の中には、まだ生々しい舌の感触が残っている。

エリオットの奴、ヒューズが見てる前であんなすげえのしてきやがって、これからゲームだってのに集中できねぇだろ。
……帰ったら倍返しのお仕置きだな。

火照った顔を冷やすためにゴーグルも外し、あてもなく通路をブラブラ歩いていく。
四角くくりぬかれたガラス窓の向こうには 、遠方から近付いてくるキングスキャニオンとリヴァイアサンが見える。今日も快晴のゲーム日和だ。
その雄壮な景色を、独り物憂げに眺めていたのは、意外にもライフラインだった。
「お、アジャイ。どうした? 珍しいな、一人でこんなとこに居るなんてよ」
「……オク」
振り返ったライフラインは通路の手すりに寄りかかって腕を組み、オクタンを観察するように目線を動かした。
彼女の吊り上がった鋭い目に、オクタンは思わず身構えた。博物館での出来事が頭をよぎる。
「あんた、顎のところに何か付いてるわよ?」
「え?」
拍子抜けして自分の顎をさすってみたが、そこにあるのは薄い顎髭の感触だけだ。手を見ても何も付いていない。
それに気付いたライフラインはぷっと吹き出した。
「なぁんだ、それ髭だったの!? てっきり顔で床掃除でもしたのかと思ったわ。急になによ、ミラージュの真似してんの?」
「ちっげえよ! 俺のは伸ばしたってあんな風にはならねぇし。おしゃれだ、おしゃれ」
オクタンはそそくさとマスクとゴーグルを装着して、その慎ましい茂みを隠した。
ほんの気まぐれで伸ばしてみただけだったが、キスの時にミラージュにこそぐられるのがわりと気に入っている。
「あんたこそどこ行くのよ? もうすぐゲームが始まるわよ?」
「俺は……ちょっとな。ヒューズとふざけてたらエリオットが暴走して……」
ヒューズという名前を聞いて、ライフラインはピクリと眉を動かし、さくらんぼ色のグロスでつやつやした唇が不満げにとんがった。
「みんな、あのおっさんに気を許しすぎよ」
「おっさんって、ヒューズのことか?」
「そうよ。あいつの女がキングスキャニオンをめちゃくちゃにしたんだ。あたしがせっかくセレモニーに招待した、小さな子供達まで巻き込んで……。なのに悪びれもしないで、偉そうに肩をいからせてるのは正直気にくわないね」
「だって、それはヒューズのせいじゃねぇだろ? マッド・バギーとかいう女の逆恨みだ。あいつだって被害者だぜ?」
「マギーよ、マッド・マギー」
オクタンのいい加減な記憶力に、思わず頬を緩ませたライフラインだったが、すぐに表情を引き締めた。
「そんなの分からないでしょ? もしかしたら裏で繋がってるかもしれない。あたしらの懐に潜り込んで、あの女を手引きするつもりなのかも」
「そりゃ考えすぎだぜ、アジャイ。ヒューズはそんな奴じゃねぇ」
「あんたはヒューズにずいぶん懐いてるみたいだからね。けど、仮にもシンジケートのテリトリーであるキングスキャニオンが、あんなに簡単に破壊されたのよ? あたしには、誰かが裏で糸を引いてるって思えてならない」
ライフラインが言わんとすることを理解したオクタンは、生え際の辺りがチリチリする感覚を覚えた。
マッド・マギーの協力者、シンジケートに敵対する存在、それが彼女らをそそのかしバックアップしているとすれば、思い当たる名前はひとつしかない。
いや、とオクタンは首を振った。
それこそ俺の考えすぎだ、と。
「……とにかく、あたしは簡単にはヒューズを信用しないことにした。あんたも気を付けな」
ライフラインはそう言い残して、降下ハッチのある下層へと降りていった。

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