幸せの在処


オーブンに入れたポークチョップが焼き上がる頃、ドタドタとせわしなくオクタビオが帰って来た。
玄関で出迎えると、ゴーグルとマスクを外し開口一番「おっ? 今日はポークチョップか? いい匂いがするな」と、顔を綻ばせる。
「そうだ、今日はちょっとしたお祝いの日だぜ」
おかえりのキスをして、「なんだ? なんかあったか?」と首をひねるオクタビオを、リビングの方へ押しやって片目で合図する。
「見てのお楽しみだ」
「なんだか今日はみんな思わせ振りだな……。アジャイのやつも、大事な用あるとか言ってたくせに、ヨーリョーをえない話ばっかでよ」
ぶつぶつ言っていたオクタビオの足が止まる。
リビングの入り口で新しいソファーを見たオクタビオは、そのままそこで動かなくなった。
「どうだ、驚いたか? 実はな、このためにライフラインに頼んでお前を」
「なくなってる……」
オクタビオは信じられないといった表情を浮かべ、真新しいソファーなどまるで目に入っていないかのように部屋の中を見回し、俺を振り返った。
「俺らのソファーがなくなってる」
そう繰り返した目には、怒りの色すら滲んで見える。
「なんでだよ!? まだ使えるって言ったじゃねぇか。……勝手に……取っ替えちまうなんて」
喜ぶとばかり思っていた俺は、思いもしねぇオクタビオの反応に狼狽え、しどろもどろになりながら答えた。
「だってよ……、あのカバーはあんまり具合が良くねぇし、正直言うと、俺はあのソファーに一目惚れしちまったんだ。そう、オクタン風に言えばハートを奪われるってやつさ。お前も気に入ってただろ? だから……その、サプライズのつもりだったんだ……」
俺を見据えるオクタビオの目から涙がこぼれていくのを見て、俺は一瞬目を疑った。
ウソだろ?
「おい……オク……」
オクタビオは手の甲で乱暴に目の辺りを拭った。それでも溢れ続ける涙に苛立ったように「クソ……なんだよ……」と呟く。
初めて自分の前で涙を見せるオクタビオに、俺はただ戸惑うばかりだった。
「どうしたんだよ? 何か悪いもんでも食ったか…?」
「俺にだって分かんねぇよ」
盛大に鼻を啜り、俯いたまま両手を握りしめる姿はまるで、自分の感情に必死に抗っているみたいだった。
なぜだ? お気に入りのソファーがなくなったからか?
いや、でも、だからってそんな事で泣くのか? 子供じゃあるまいし……。
今まで何があっても涙を見せなかったお前が、たかがソファーひとつでぼろぼろ涙をこぼしてるなんてよ。
俺はそんなにひどい事をしちまったのか?
「俺はどうすりゃいいんだ、オク?俺が悪かったなら謝る。ソファーが気に入らねぇんなら返品したっていい。けどよ、こんな事でお前がそんなにショックを受けるだなんて、俺は思ってもみなかったんだ。今まで泣いた事なんかなかっただろ? なぁ……おい、何か言ってくれ……オクタビオ」
頬に伝う涙を拭ってやろうと手を伸ばすと、オクタビオは涙に濡れた目で俺を睨みながらその手をはね除けた。
それに軽いショックを受けて、思わず後ずさる。
「オク……」
俺はきっと今、ひどく情けねぇツラをしてるんだろうな。突然の涙と拒絶にビビって、これ以上声を掛ける事ができねぇなんて。
「新しいソファーが嫌なわけじゃねぇんだ……」
オクタビオは唇を震わせて、振り絞るような声を出した。
「けど俺はさ……あのソファーがすごく好きだったんだ、エリオット。あの上でお前と一緒に過ごす時間がな……。今まで誰かとあんなに長く近くにいたことはねぇ。やっと俺の居場所を見つけたような気がして嬉しかった。思い出がいっぱい詰まってんだ……あの茶色いソファーは俺の幸せのシンボルだったんだよ……」
涙をこぼしながら訥々と吐き出されるオクタビオの言葉に、俺は胸が締め付けられて何も言えなかった。
「顔洗ってくる」
オクタビオはそう言ってリビングを出ていった。
残された俺といえば、今頃ふたりで座っているはずだった新品のソファーをぼんやりと眺め、アホみたいに突っ立っているだけだ。
キッチンから焦げたような匂いがする。
オーブンに置き去りにされた、哀れなポークチョップが俺を呼んでいるらしい。
俺はのろのろとキッチンに行って、余熱にあぶられて焦げちまったポークチョップをオーブンから取り出した。
食ってくれるかは分からねぇが、とりあえず付け合わせと一緒に皿に盛り付ける。
ダイニングのテーブルに並べ終わると、俺はそのまま椅子に腰掛けてクロスの上に突っ伏した。
「俺は……バカだ……」
オクタビオの泣き顔が頭から離れない。
大したことじゃねぇと思ってた。
たかがソファーだろ、ってな。
でも、あいつにとっては違ったんだ。
俺があのソファーに感じていた愛しさと同じように、いや、それよりもっと切実な思いを汲み取ってやれなかった自分に腹が立つ。
パートナーとして最高に嬉しいはずの告白を、あんな風に泣きながら言わせちまうなんてな。
俺は最高に滑稽で、最低の大馬鹿野郎だ。
上手く立ち回ってるつもりでいても、知らず知らずのうちに誰かを傷つけてる。
オクタビオしかり、レネイしかり……。
つくづく学習しねぇ野郎だな。嫌になる。
バチャバチャと水音がするバスルームの方に目をやり、ひとつ大きく肩で呼吸してから、俺は立ち上がってオクタビオを呼びに行った。

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