幸せの在処


珍しく冷たい雨が降っている休日。
今日は一日中だらだらして過ごすと決めた俺とオクタビオは、ソファーに並んで映画を観ていた。
その名も『ボギーのだいぼうけん』
手違いでロケットに乗せられちまったウェルシュ・コーギー・ペンブロークが、飼い主の老人の元に帰るため、惑星間を大冒険するって話らしい。
これはオクタビオのチョイスだ。
ホラーだけは勘弁してくれとは言ったが、明らかに子供向けのタイトルに不満を漏らすと「犬とじいさんなら、途中で誰が誰だか分かんなくなることもねぇだろ?」なんて言って、本気なんだかふざけてるんだか……。
あいつに言わせれば「あくびが出ちまうような恋愛映画だの、ハナクソみてぇなドキュメンタリーよりはまし」なジャンルらしい。
テーブルにはビールと何種類かの炭酸飲料、デリバリーのピザにチキンナゲット、オクタビオが好きなマンゴーなんかを並べて、籠城の準備も万端だ。
俺は背もたれに身を預けて足を投げ出し、オクタビオは胡座をかいて猫背気味にクッションを抱えている。
立体映像を映し出すホームシアターのスクリーンでは、離ればなれになっていたコーギーと飼い主の老人とが、今まさに再会せんとするクライマックスのシーンに差し掛かっていた。
コーギーはその大きな耳をヨンッ!と立たせ、飼い主の老人に向かってベルベルと走り出す。
「ボギーや……」
老人のしわくちゃの震える手が、コーギーの薄汚れて荒れた毛並みを撫でる。
コーギーは口からだらりと舌を出したまま、黒々とした大きな目で健気に主人を見上げていた。
良かったな……ここまで辛い旅だったもんな……。
俺はじわりと目頭が熱くなるのを押さえきれず、オクタビオを背中から羽交い締めにして肩に顔を埋めた。
急に抱きつかれて驚いたオクタビオが、俺の方を振り返って「脅かすなよ」と言い、「……まさか、泣いてんのか?」と呆れたような声を出す。
俺が映画を観て泣くのは今に始まった事じゃなく、希によくある事だ。
特に家族絡みのヒューマンドラマに弱い。
分かってても駄目なんだ。勝手に涙が出てきちまう。
それに引き換え、俺はオクタビオが泣いているのを見た事がない。
こいつとつるんで遊ぶようになった頃に、全アウトランズが泣いたと評判の映画を見に行ったときだってそうだ。
感動的なシーンにも心を動かされた様子はなく、不気味なくらい淡々と画面を見つめているだけだった。
隣で大号泣していた俺は、こいつは一種の不感症かなんかなんじゃねぇかと思ったもんさ。
それは映画やドラマに限った事じゃなく、自分自身に起こる出来事に対しても同じだ。
泣くのを我慢しているとか、精神力が強ぇとか、そういうのとは違うような気がする。
上手くは言えねぇが、熱い男に見えてどこか醒めたところがあるんだ、こいつには。
もしかしたら、あのゴーグルの下で人知れず涙を流していたこともあったのかもしれない。だが、俺の前であいつが泣いたことはなかった。
「お前は感情移入しすぎなんだよ。チョロすぎて心配になっちまうくらいだぜ。ほら、涙を拭けよ、泣き虫エリオット」
オクタビオは俺の目尻をべろりと舐め、しょっぺぇ……と笑いながらまぶたと鼻の頭にキスしてきた。それから頬っぺたへと移り、唇へゴールするのがお決まりのコースだ。
俺はオクタビオのほくろを辿るのが好きだが、こいつは俺の顔の傷がいたく気に入ってるらしい。
映画がハッピーエンドを迎え、エンドロールが流れる頃には、俺の涙もすっかり乾いていた。
オクタビオはスクリーンに背を向けて、相変わらず俺の唇を吸ったり噛んだりして遊んでいる。
「次は何する? エリ。気持ちいいことするか?」
目の前で舌を出し、いたずらっぽく笑うあいつにまんまと煽られた俺は、その舌を掬いとるようにして唇を重ねる。
嬉しそうにあいつの濡れた舌が絡み付いてきて、ぴちゃぴちゃといやらしい音を立てた。
ソファーに両手を押し付け、さらに深く角度を変えながら口の中を探っていくと、オクタビオは甘ったるい息を漏らしながら身を捩り、義足がもどかしげにソファーを引っ掻いた。
とたんにビリっという音がして、オクタビオの動きが止まる。
「ん?」
起き上がって足元を見ると、オクタビオの踵がソファーの布を突き破り、大きく裂けた部分から中身が剥き出しになっていた。
「ヤベ、穴が開いちまった!」
甘いムードは吹き飛び、俺らは唖然としてその裂け目を見つめた。
「あー……、こりゃ結構派手にいったな。生地が弱くなってたのか? まだそんなに古くねぇはずなんだがな」
「俺のせいか……」
オクタビオは自分の義足をさすりながら顔を曇らせた。
俺たちは揃って家に居るときは、大半をこのソファーの上で過ごしている。ぶっちゃけ酷使してるといっていい。
ふたりで座るとちょうど収まりのいいその空間で、今日みたいに映画を観たり、ゲームをやったり、酒を飲む事もあれば昼寝したりもする。時には愛を確かめ合い、ただ話をして一晩中過ごすことだってあった。
言ってみりゃ、ここは俺とオクタビオの巣みたいなもんだ。
オクタビオにとって、隣に座るという行為がとても重要な意味を持っている事を知ってから、俺は尚更その時間を大切に思っていた。
それは多分、こいつも同じだ。
自分の固い脚のせいだと言って、肩を落としているオクタビオに俺は言った。
「そんなに落ち込むなよ、仕方ねぇさ。思い切って新しいのを買うか? もっとふかふかで、デカくてゴージャスなやつを」
「いや、まだ使えるだろ。ちょびっと破れただけだ。表を貼り替えてもいいし、カバーとか掛けりゃいけるって」
喜ぶかと思ったが、意外にもオクタビオは食い付くようにして反論してきた。
ちょびっと、って言うには無理があるくらい大胆にいっちまってるが、オクタビオに責任を感じさせるのは嫌だった俺はそれに同意した。
「そうだな、明日ゲームの後にでも買いに行くか。花屋にも用があるしな。もうすぐ母さんの誕生日なんだ」
俯いてしきりに布の裂け目を撫でていたオクタビオが、顔を上げて俺を見る。
「そういや去年も花を贈ってたな」
「毎年そうしてんだ。母さんの誕生日には、マリーゴールドの花束を贈るのがウィット家のしきたりさ」
「なんでその花? バラとかカーネーションとか色々あんのに……まぁ、それしか知んねぇけどな。あ、チューリップは知ってるぜ? あとはヒマワリと、カスミ草もだ」
質問しておきながら脱線していくオクトレインを無視して、俺は答えた。
「兄貴達と初めて母さんにプレゼントした花なんだ。母さんは、家の花壇にもマリーゴールドを植えてて……考えてみりゃ、それをわざわざプレゼントするってのも間抜けな話なんだが、俺らはそんな事考えも及ばねぇ子供だったからな。母さんが好きな花なら喜ぶだろって、そんな感じでさ」
その頃を懐かしく思い出しながら、俺は話を続けた。いつの間にか、オクタビオは俺の隣にぴったりと肩を寄せている。
「母さんは俺たちを順番に抱きしめて、涙ぐみながら『ありがとう、私の可愛い子供たち』って言ったんだ。いい話だろ? けど、この話には続きがあってな。後になって、母さんがマリーゴールドを植えてたのは虫除けのためだったって聞いて、感動的なエピソードは同時に笑い話になったのさ。いや実際笑えたぜ、あれは」
俺が家族の話をするときのオクタビオはいつもおとなしく、おとぎ話に耳を傾ける子供のように聞き入るのが常だ。
今も隣でクッションを抱きながら俺に寄り添い、「お前の家族の話を聞くのは好きだぜ。もっと話してくれ」とせがんでくる。
複雑な気持ちを胸にしまい、俺はとっておきのウィット家のおもしろエピソードを披露してやった。

1/6ページ
スキ