Take Me Out


「スピーチはちゃんと覚えていますか?」
支度を終えて、控え室の椅子にぼんやり座っているオクタンに、エージェントが話し掛けた。
フォーマルなスーツに身を包んだ彼は、パンツ一丁で転げ回っていた野生児とは思えないほど品があり、落ち着いて見える。
今朝からのオクタンは、粗野な振る舞いは一切見せず、ずっとこんな感じだった。
「大丈夫だ。俺の言うことはもう決まってる」
穏やかに微笑むその顔に、揺るぎない決意のようなものを感じて、エージェントはかえって不安になった。
「シルバ製薬のCEOの座を、あの男の為に手放すおつもりですか?」
「そうかもな」
「勿体無いことを。結婚は無理でも、愛人としてなら続けられるかもしれませんわよ?」
エージェントは半ば諦めに近い心境で、自分を揶揄した意地の悪い質問を投げ掛けてみる。
「俺はオヤジとは違うぜ。そりゃ、この世には、一度に何人も愛せるやつだっているのかもしんねぇけど、俺はひとりを愛したいし愛されたい。エリオットとならそれができるんだ」
惜しみなく注がれる陽の光のようなミラージュの笑顔を思い浮かべながら、夢見るようにオクタンは言った。
「……愚問だったわね。でも、きっと……」
エージェントは言いかけた言葉を飲み込んだ。
言ってしまえば負けを認めることになる。
この青年にも、彼に良く似たあの人にも。
オクタンは少し首を傾けてエージェントの言葉の続きを待っていたが、彼女にもうその気はなかった。
「そろそろお時間です」
トレードマークの三点セットを身に付けて静かに頷くと、オクタンは義足を軋ませて立ち上がった。
「世話になったな」
「もう二度とあなたのお守りは御免だわ。さようなら、オクタビオ様」
エージェントはそう言って、初めてオクタンの前で微笑んでみせた。

その頃、パーティー会場である本社ビルの大広間には、製薬業界の関係者やマスコミの他に、APEXゲームのお偉方やレジェンドたちが勢揃いしていた。
普段とは違い、華やかにドレスアップした彼らは注目の的だ。
女エージェントと別れ、屈強なボディーガード達に付き添われてひっそりと会場に入ったオクタンは、ついぞ会うことのできなかった彼の父親に、ようやく対面することになった。
シルバ氏は、オクタンを見て、「こんな時くらい顔を見せたらどうだ」と言い、差し出されたトレイの上からシャンパングラスを取ってオクタンに手渡した。
黙ってそれを受け取り、促されるままグラスを合わせる。
オクタンはそれに口をつけず、ゴーグル越しに目の前のシルバ製薬CEOである壮年の男の顔を眺めていた。
あんたは誰だ?
なぜ当然のように、俺の父親みたいな顔をしてそこにいる?
今さら叱って欲しいわけでも抱きしめて欲しいわけでもなかったが、愛情の欠片も見せない父親がなぜ自分に固執するのかが理解できなかった。
隔てるテーブルがなくなっても、結局俺たちは遠いままだ。
懇意らしき客と世間話を始めたのを幸いにシルバ氏の元を離れ、オクタンはレジェンドたちの集まっているテーブルに足を向けた。
ゲストに紛れた警備員が、さりげなく回りを取り囲むのが分かったが構わない。
「オクタビオ!」
キュートな赤いドレスを着たライフラインが駆け寄ってきてオクタンの腕を取り、気遣うようにエスコートする。
「アネキ、逆だ逆」
「もう、心配したのよ?あんた急に居なくなるから……」
そう言って、ライフラインはオクタンの手の中に一枚のカードを滑り込ませた。
「ジョーカーから、だって」
心臓が大きく脈打って暴れだすのがわかった。
オクタンは頷き、カードをそのままシャツの袖口に押し込んだ。
見なくても分かっている。
「久しぶりね、オクタン。元気そうで良かったわ」
「早くアリーナに戻ってきなさい、蜂の巣にしてあげるから」
「アニータったら、やけに嬉しそうじゃない。妬けるわ、ベイビー」
「俺のドローンが壊されたんだが」
「さあ、乾杯しようぜ、ブラザー」
久しぶりの再会に、レジェンド達が口々にオクタンに声を掛ける。
だが、オクタンの意識はフワフワとまるで違うところをさ迷っていた。
みんなの声が、言葉が遠くて、聞こえているはずなのに意味を成さないまま頭の中を素通りしていく。
心地いい酩酊感とアドレナリンの奔流。
まるで興奮剤を打ったときみたいだ。
エリオットがこの会場のどこかにいる。
息を殺したあいつのクロスヘアが、俺を捉えて狙いを定めている。
最早、パーティーも父親も会社もAPEXゲームでさえも、世界中のすべてがどうでもよかった。
マスクの下で自然と口角が上がる。
オクタンは、ミラージュの放つ弾丸に貫かれることだけを考えて胸を高鳴らせ、体を熱くした。

エリオット
はやく
俺を連れてってくれ
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