Take Me Out


オクタンがシルバ邸に幽閉されて三日が過ぎた。
特に事態に進展はなく、そろそろミラージュのお喋りとキスが恋しくなってきた。
この部屋では、テレビを見るくらいしかやることがない。
オクタンはソファーに寝そべり、今日行われているはずのAPEXゲームの生中継にチャンネルを合わせた。
アナウンサーは、オクタンの欠場の理由を体調不良だと言い、しばらくの間治療に専念すると説明している。さすが、運営への根回しにも余念がない。
果たして、ミラージュがゲームに出場できる状態なのかが気掛かりだったが、エントリー画面に名前があったのを確認して、オクタンは少し安心した。
だが、ゲームの中継画面に映るミラージュの顔は、痛々しく腫れ上がり、痣と絆創膏にまみれていた。
その様子を食い入るように見つめていたオクタンは、腹の中からふつふつとした怒りが沸き上がってくるのを押さえられなかった。
「あんな顔になっちまって……」
全くの無傷だった自分を思うと、余計に憤りが増す。
「一体どうしたのでしょうか?」「何かトラブルでもあったんですかねぇ」お馴染みの実況のマイク・ハナサーズと、解説のヨーク・ワカルが呑気なやり取りを交わす中、自分が映されていることに気付いたミラージュは、カメラドローンに向かって微笑み、手の中から魔法のように一枚のカードを取り出してみせた。
ハートの8。
と、塞がって間もない、生々しい傷のあるその唇が僅かに動く。
「Te deseo」
ミラージュが言える、数少ないスペイン語のひとつだ。
ファンサービスに見せかけた、ふたりにしか分からない暗号。
『愛してる、オクタビオ、おまえが欲しい』
顔が命のミラージュにとって、醜く腫れた顔をカメラに晒すのは屈辱的なことに違いない。
なのに、あえてそれをしたのは自分のためなのだと思うと、ミラージュのメッセージに胸が熱くなる。
それと同時に、深刻なエリオット不足に陥っていたオクタンは、いてもたってもいられなくなった。
突如として暴れはじめた彼は、部屋にあるものを手当たり次第に壁に投げつけ、自分の体が傷付くのも厭わずそこら中を蹴り、殴り、何事かと駆け付けたエージェント達に、外した義足で襲いかかって脱走を試みた。
だが、一人でできる抵抗などたかが知れている。あっけなく取り押さえられ、とうとう義足まで取り上げられてしまった。
それでもオクタンに反省の色はない。
「フン、足がなければ手で歩くぜ」
オクタンはその身体能力を駆使して、器用に部屋の中を動き回った。逆立ちに疲れれば肘で這い、時にはゴロゴロと転がり、用意された衣服を身に付けず、頑なにボクサーパンツ一枚で過ごした。
「まるで、動物ですわね」
オクタンの世話役となっている例の女エージェントが、部屋に入るなり憐れんだような目で野生化してしまったオクタンを見た。
「いい加減、服を着たらどうです?」
「俺をニンゲンに戻したかったら、俺の服を返してくれ。そんで、エリオットに会わせろ」
根負けしたエージェントは、仕方なく綺麗に洗濯されたパーカーと、ハーフパンツと新品のパンツを持ってきてオクタンに手渡した。
とにかく、オクタンを無事にパーティーに出席させなければならない。このまま半裸の野人では困るのだ。
「グラシアス」
礼を言われるとは思っていなかった彼女は、少し戸惑ったような顔を見せる。
オクタンはエージェントの目の前で着替えを始め、何日も履き続けていたパンツを彼女に向かって放った。
「きゃっ!」
思わず女性らしい悲鳴をあげて後ずさるエージェントを見て、オクタンは面白そうに笑った。
「ゲロを踏んでも平然としてたくせに、俺のパンツはそんなにばっちいのか」
エージェントは眉間に深い皺を寄せてオクタンを睨み、彼女にしては珍しく感情をあらわにした。
「……なぜ、そんな風に笑っていられるのですか?」
エージェントは、オクタンの図太さに呆れ、苦々しい気分になっていた。もっとしおらしくなると思っていたのに……。
閉じ込められ、義足も奪われて無力になっても、めげるどころか彼女をからかう余裕さえ見せる。
「なぜって、面白れぇからさ。惨めったらしく、メソメソ泣いてる俺様がお望みだったのか? 可愛いげがなくて、悪かったな」
エージェントを煽るように唇を吊り上げ、オクタンは着なれた部屋着のようなパーカーとハーフパンツを身に付けると、軽業師よろしくベッドに飛び乗った。
「いつまでそう強がっていられるかしら?」
エージェントは気を取り直し、目の前の生意気な若者を黙らせる、取って置きの切り札をちらつかせる。
「エリオット・ウィットはこちらの条件を飲んで、アウトランズから去ることを選んだそうですわ」
オクタンの動きが止まった。
「……は?嘘だろ」
「先ほど、彼と接触したエージェントから報告がありました。彼はこちらの用意した手切れ金を受け取り、あなたとは別れると……」
オクタンは言葉を失い、ベッドに半立ちになったまま傷だらけの手をぎゅっと握りしめた。
嘘だろ? エリオット。
ここに連れてこられてから今まで、オクタンが悲観的になったことはない。
相変わらず豪勢なだけの、味気ない食事も残さずきれいに食べた。
常々ミラージュは、体を大切にしろ、飯をちゃんと食え、と口酸っぱくオクタンに言っていたからだ。いざって時に力が出ねぇからな、と。
そのいざという時のために、オクタンは力を溜めていた。
だが、この女はミラージュが小切手を受け取ったと言う。
まさか本当に俺と別れるつもりか?
「疑うなら音声ログをお聞きになりますか?」
「いや、いい……聞きたくねぇ」
短い足で、打ちひしがれたように立ち尽くすオクタンの姿に、エージェントは満足して部屋を出ていった。
さすがに心が折れそうだぜ……。
オクタンは力なくベッドに倒れ込んだ。
もう五日もミラージュに会っていない。
付き合うようになってから、こんなに長い間離れていたことはなかった。
隣にいるのが当たり前で、ふたりでいる時はいつもこっそり体のどこかを触れ合わせて安心していた、そんな存在がたった五日会えないだけでこんなに寂しいのに、これからずっと居なくなるんて考えたくなかった。
「騙されるな……」
オクタンは呟き、自分の頭を両手で叩いた。
エリオットが俺と別れることを選ぶなんてあり得ねぇ。
俺はあいつを信じてる。
何があったって、今まで少しずつ時間をかけてふたりで築いてきた信頼は揺るがない。
俺がハートの8なら、お前は俺のジョーカーだ。
どうせそれも得意のジョークなんだろ?
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