アイドル
まだドロップシップの中にいたオクタンは、そのメールを読むと、すぐにミラージュに連絡した。
だが、端末はコールを繰り返し「Hello!こちらはエリオット・ウィット、ミラージュとも言うな、まぁ、どっちでもいいんだが……」という、呑気な声が聞こえてくる。
オクタンは苛立たしく端末を切って、ジブラルタルの元に走った。
「ジブ! お前のバイクを貸してくれ!」
血相を変えたオクタンに、ジブラルタルが何事かと尋ねる前に、「頼む頼む! 時間がねえんだ!」とオクタンがすがり付いてきた。
「訳ありなのか? なら俺も行こう」
ジブラルタルはバイクのキーを取り出すと、オクタンと一緒にパーキングに向かった。
ジブラルタルが一緒なら心強い。
「行き先は?」
「パラダイスラウンジだ」
ジブラルタルのハーレーは、オクタンをタンデムに乗せて爆音を鳴らして走り出した。
ポケットの中の端末が鳴っているのは分かっていた。
きっとオクタンからだ。
「出ないのか? オクタビオかもしれないぜ? 助けに来てくれって頼めよ」
「言わなくってもあいつは来るさ。俺を守ってくれるって言ってたからな」
それを聞いた男は、ジーンズの後ろポケットからゆっくりとピストルを抜いた。
その後ろから、叫び声のような、呻き声のようなものが聞こえてくる。彼が乗り付けた車の中に誰かがいるようだった。
「チッ……、うるせえな」
「誰かいるのか?……女?」
ミラージュは警戒を解かずに、ちらりと車の方を見やった。
「そうさ。俺の彼女を紹介するよ。あんまりゴチャゴチャ言うもんだから、一緒に連れてきてやったのさ」
男は愉快そうに笑った。
くぐもった叫び声が大きくなると、男は車に向けてピストルを一発撃ち込んだ。
「なんてことしやがる……!」
「可哀想な娘だよ。俺なんかと付き合ったばっかりにさ。オクタビオにさえ出会わなければ、俺にも彼女にももっと違う未来があったのかもな」
「お前だって、まだやり直せるだろ?」
ミラージュは目の前の絶望しきった若者に、怒りよりも憐れみを覚えた。
オクタンとそう変わらない年齢の、同じような境遇の彼は「お前と俺は何が違うんだ?」とオクタンに問いかけていた。
「は、金も学歴もなんもねえ俺が……こんなめちゃくちゃなことやっちまってる俺が? どうやって?」
「お前はオクタビオに、自分と何が違うんだって聞いてたよな? 俺が代わりに教えてやるぜ。……それは意志だよ。オクタビオにあってお前にないもの、それは人生を自分で掴み取ろうとする意志だ。それがない限り、お前は誰にもなれない」
「偉そうに言うな! なら、俺はお前を殺して、人生ってやつを掴み取ってやるぜ」
弾かれたように男がピストルの引き金を引いた。だが、弾丸は虚しくミラージュのデコイをすり抜けていった。
「クソッ……!」
ミラージュは素早くクロークを発動させて車に取りつき、トランクを開けた。
顔を腫らして鼻血を出した少女が、猿轡をされ手足を縛られて転がっている。
男が震える手で銃口を向けているのが見えた。
「エリオット!」
爆音が近付いてきて、ミラージュの名前を呼ぶオクタンの声が聞こえた。
続いて二発の発砲音。
ミラージュは、とっさにトランクの中の少女を庇いながら、夕日を背にジャンプしてくるオクタンの姿を見た。
肩にチリっとした痛みが走る。
「ミラージュ!」
ジブラルタルのドームシールドが、車とミラージュを青く包み込み、残りの弾丸を弾き飛ばした。
オクタンは後ろから男の首を抱え込み、こめかみにP2020を突き付けていた。
「俺の男になにしてんだ?」
「オクタビオ!」
男は銃を投げ捨て、嬉しそうに笑った。
そして、羽織っていたコートの内側からグレネードを取り出した。
「これが爆発したら、お前と一緒に死ねるな? そしたらずっと一緒だ」
「お前がピンを抜くより、俺が引き金を引く方が速いぜ」
オクタンが二人いるような訳の分からない状況の中、ジブラルタルがミラージュの側に駆け寄った。
弾がかすったらしく、肩口から血が流れている。
「大丈夫か? 一体これは……?」
「説明はあとだ。とりあえずこの娘を頼む」
「分かった」
オクタンはその様子を横目で見ながら、男に問いかけた。
「俺らは仮にもレジェンドだぜ? こうなることは分かってただろ? 何がしてえんだ、本当に死ぬ気だったのか? 彼女にあんなことまでして……」
解放された少女は、ジブラルタルに抱き抱えられて、泣きながら振り絞るような声を出した。
「もうやめてよ、ビリー……。うちに帰ろうよ」
「俺をビリーって呼ぶんじゃねえ!」
ビリーと呼ばれた男は、その声を振り払うかのように頭を振って、そのまま車に向かって走り出した。
「エリ、撃つな!」
捨てられたピストルを拾って、咄嗟に銃口を向けたミラージュを、オクタンが制止する。
「オクタビオ……!?」
「俺はだいじょうぶだ、エリオット」
オクタンはゴーグルをずらして、ミラージュたちに笑い掛けた。
「あんたの彼氏も連れて帰るから待ってろよ、チカ」
ビリーは車のエンジンをかけた。
オクタンは興奮剤を突き刺して猛スピードでダッシュすると、スタントマンのように車のドアに取りつき、走り出していた車の中に乗り込んだ。
「ビリーが……死んじゃう」
少女は血だらけの顔を覆って泣きじゃくった。
「大丈夫さ、きっと……。あいつがああ言うんだからな」
ミラージュはボサボサになった少女の頭を、いたわるように優しく撫でてやった。
長い夜が明ける頃、オクタンはビリーを連れて帰って来た。
二人の間に何があったのか、ミラージュは聞かなかった。
ただ、オクタンはミラージュにごめん、と謝り、ミラージュはいいさ、と言って彼を抱きしめた。