アイドル


やっぱりあいつが手紙をよこしてたのか……。
それにしても気が滅入るような内容だ。
住所だけでなく、自分の両親のことまで知っている。
自傷行為までしているという行き過ぎた偶像崇拝に、この男の精神状態が心配にもなる。
一緒になるべきって、どういうことだ?
さすがに気味悪くなったオクタンは、このことをミラージュに言うべきか迷っていた。
彼はオクタンが問題事をひとりで抱え込むのをとても嫌う。
何でも明け透けに見えるオクタンが、いざ自分のこととなると、そうなりがちなのをよく分かっているのだ。
けれど、結局オクタンは言わなかった。
今のところ手紙だけで、実害があるわけでもない。ファンに腕を掴まれたり抱きつかれたりするくらいは、今までに何度もあったことだ。
もし、何かしらあったとしても、レジェンドである自分がそうそう負けるわけがないという自惚れもあった。
「また、手紙か? ずいぶん熱心なファンだな」
ミラージュの何気ない視線に居心地の悪さを感じながら、オクタンは気楽な態度を装った。
「俺様にハートを奪われちまったんだとさ。でも、ちゃんと彼女がいるみてえだから、そのうち飽きるだろ。……それより、風呂で俺の髭を剃ってくれよ、エリオット」
オクタンが気を逸らそうとした提案に、ミラージュは簡単に乗ってきた。
ふたりはたいそう長い時間バスルームに籠り、出てきたときのオクタンの顔はさっぱりしていたが、同時にのぼせて真っ赤になっていた。


翌日、オクタンが早朝ランニングに出掛けるのを見送って、リビングに戻ったミラージュは、昨日届いた手紙のことが気になっていた。
オクタンははぐらかしたが、わざわざ彼氏と同棲中の家にまで、一度ならず手紙を送りつけてくるというのが引っかかる。
読んで嬉しそうにしているという風でもない。
変なことに巻き込まれてなきゃいいが……。
二十世紀の、あの有名なアーティストの事件が頭をよぎった。
ミラージュは手紙を探したが、リビングでも寝室でも見つからなかった。普段はあまり使わないゲストルームや、自分がホログラムの研究に使っている専用部屋も見てみたが、やはり見つけることはできなかった。
私物の管理にズボラなオクタンは、興味を失うとすぐにそこら辺に物を置きっぱなしにする癖がある。
なのに、簡単に見つからないということは、見せたくない何かあるに違いない。
息を弾ませてランニングから帰って来たオクタンに、ミラージュは珍しく単刀直入に言った。
「なあ、オクタビオ。あの手紙、俺に見せてくれ」
「なんで? あれは俺宛の手紙だ。いくら彼氏でもプライバシーってもんが……」
「オク」
ミラージュはオクタンの腕をとった。
あの男に掴まれた場所だ。
オクタンの瞳が一瞬揺らいだのを、ミラージュは見逃さなかった。
「見せろ」
オクタンは観念して、パーカーのポケットから三通の手紙を出した。
一通はランニングの途中、以前住んでいて借りたままにしてある自宅に取りに行った。
内容は他の二通と同じようなものだった。
立ったままそれを読むミラージュの表情が、だんだんと険しくなる。
所在なさげにポケットに手を突っ込んで、それを見ていたオクタンは、ミラージュがこっちを向いたと思ったと同時に、彼に抱きしめられていた。
「何にもされてねえか?」
オクタンは慌てて頷いた。
「なら良かった」
ミラージュが心底ほっとしたように言うので、
「俺様がそう簡単に何かされるわけねえだろ?」
と強がったが、心のどこかにミラージュにバレて良かったと安心している自分がいた。
正直、どう対応すればいいのかわからない。
人の人生を背負うほど自分は強くないし、そんなに大した人間でもない。
けれど、自分を傷つけ血を流すほど愛しているという、彼の叫びを無視してもいいのだろうか……?
だが、ミラージュはオクタンの心を見透かしたように、
「流されちゃだめだ、オクタビオ」
と、腕に力を込めた。
「もう返事は出すなよ。かえって期待させちまうだけだからな。こいつには気の毒かもしれねぇが、お前にしてやれることは何もない。せいぜい、評判のいいカウンセラーを紹介してやるくらいだ」
「それで、何か解決するのか?カウンセラーなんて、クソの役にも立たねえぞ」
「そいつはただの例えだ。いいか? もう一度言うぜ。こいつには関わるな。何かあったらすぐ俺に言え。隠すなよ? 俺らは何でも半分ずつ分け合うんだ」
オクタンは「分かった」と言って、ミラージュの肩に顎を乗せて目を閉じた。
「何でも半分こってのは、いいもんだな」
「だろ?」
「こいつだって、もっと彼女を大事にすれば分かるかもしれねえのに……」


シーズンも半分を終え、ランクマッチは折り返しを迎えたが、あの男から手紙が来ることはなかった。
だが、ミラージュは、オクタンが時々ポストを覗いているのを知っている。
俺が言ったことは間違いだったのか?
あいつの好きなようにさせて、あのイカれたストーカー野郎との文通に付き合わせてやれば良かったってのか?
「悪いな、今日は貸し切りなんだ」
オクタンがチャンピオンになった祝勝会をしたいと言ってきたので、ミラージュが店を開けるために先に帰って来ると、パラダイスラウンジの前には古びた車が停まっていた。側に若い男が立っている。
金色の髪にマスクとゴーグルをしていたので、一瞬オクタンかと思ったが、それにしては違和感があった。足が違う。
それに、オクタンはチームのメンバーと、後から来る予定になっていた。
「お前は……? うちの客じゃなさそうだな」
「オクタビオじゃなくてがっかりしたか?」
ミラージュを挑発するように男が言った。
声を聞けば完全に別人だと分かる。
「なあ、ミラージュ。俺に返してくれよ」
ミラージュはオクタンの扮装を真似たこの男が、彼に手紙を送ってきている人物だと気付いた。
「俺は、あんたから何か盗った覚えはないぜ。それどころか、今まで人様の物を盗んだことはねえ。女は別だがな。……あんたの彼女は元気か?」
喋りながらミラージュは考えていた。ランパートはまだ帰っていない。銃はバーの中にある。簡易的なホロ装置は常に携帯しているが、こいつがもし武器を持っていたら? 残念ながら、その可能性の方が大きいだろう。
……どう動く?
「その喋り方、最高にムカつくぜ……」
男の声には、暗いいらだちが宿っていた。
「俺のオクタビオを返せよ」
「あんたのじゃねえ、俺のだ」
「……じゃあ、俺を抱いてくれ。見た目はそう変わらないだろ?」
金色に染められた髪を揺らしてうそぶく男に、ミラージュは眉をひそめた。
「何でそうなる? お前は俺が嫌いだろ?」
「ハハッ、それとも逆だったか? 俺はオクタビオを愛してる。あいつが愛してるものなら何だって愛せるさ。俺はあいつになりたいんだ。あいつは……俺だ」

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