アイドル
「変な手紙じゃないだろうな?」
ソファーに義足を立てて、爪を噛みながら手紙を読んでいるオクタンに、ミラージュが食後のコーヒーを持ってきた。
「……俺のことすげえ好きらしい」
たいして嬉しくもなさそうに、オクタンが答えた。
「お前のことは嫌いみたいだけどな」
「そりゃ、な。お前のファンからしたら、俺はあんまり歓迎すべき存在じゃねえだろうさ」
ミラージュは肩をすくめてオクタンの隣に陣取ると、コーヒーを片手にすかさずほっぺたにキスする。
「こうやってお前を独り占めしてるんだからな」
「……俺のファンになんか言われたのか?」
オクタンは少し心配そうな顔になった。
前にミラージュのことで、自分のSNSがプチ炎上したことがあるからだ。
結果的にそれは、彼らの絆を深めることになったのだが。
「いや? 大体が応援してくれる奴ばっかだぜ。結婚式はいつですか~? とかな。そんなの、俺が教えて貰いてぇもんだ」
気楽な口調でミラージュが答える。
「JAJAJA、そんときはお前がドレスを着るんだぜ? 髭面のウェディングドレス姿とか、想像しただけで笑える」
オクタンは手紙を放り投げてミラージュの膝の上に乗っかると、その手を取ってうやうやしくキスした。
「何があっても、お前は俺が守ってやると誓うぜ」
「そりゃ、頼もしいね」
そう言って、ミラージュはオクタンの唇にコーヒー味のキスを返す。頬に添えた手に、そよそよした感触が触れた。
「……お前、いい加減面倒くさがらずに髭を剃ったらどうだ? どう頑張っても、俺みたいにセクシーにはならねえぞ」
「んー、そうだな。気が向いたらな」
次の日のゲーム後、オクタンは事務所から自分の写真入りのポストカードを貰い、その場でサインを入れ「いつも応援ありがとな、アミーゴ!」と書き添えて、相手の住所と一緒に受付のマーヴィンに渡した。
「ここに出しといてくれ」
「わかりました、オクタン。直筆で返事を出すなんて、珍しいですね」
マーヴィンが笑顔のマークと一緒にカードを受け取る。
「俺の一番のファンらしいからな。頼んだぜ、マーヴ」
レジェンドへのファンレターは、ほとんどがAPEXの事務局に届き、本人に渡されることになっている。
大抵のレジェンドは、直筆のファンレターにはサインの印刷されたポストカードで返信していた。事務所には各レジェンドのカードが備わっていて、係のマーヴィンに頼めば勝手に送っておいてくれるのだ。
もちろん律儀に自分で返事を書いているレジェンドもいるし、そういったものを全く無視している者もいる。
バンガロールはサインをしないことで有名だ。「私はアイドルじゃないわ、軍人よ」と、当然ファンレターも読まないし、SNSの類いもやっていない。
オクタンも最初の内は全部読んで返事を書いていたが、人気が出るにしたがって数に対処できなくなった。
カードとはいえ、こうやって直筆で返事を書くのは珍しいことだ。
事務所から出ると、正面の入り口に出待ちの人だかりができていた。
オクタンはいつもミラージュと車で帰るので、そこを通らずに直接パーキングに向かう。彼と住むようになってからは、黄色い声にもみくちゃにされることも少なくなった。
「キャー! ライフラインよ!」
「アジャイー!」
「ジブー! チャンピオンおめでとう!」
ライフラインとジブラルタルが出てくると、高い声も低い声も入り交じって歓声が沸く。
目立ちたがりの虫が騒いで、オクタンは二人の元に全力で駆け出した。
「俺もいるぜ、アミーゴ!」
マスクとゴーグルをつけながら軽やかなジャンプで登場したオクタンに、ひときわ大きな歓声があがった。
「ファーーー!!! オクタンやで!」
「ほんまや! ええもん見れたで!」
どこか他の惑星から来たらしいファンの声も聞こえる。
「よお、ブラザー。珍しいな」
ジブラルタルがオクタンの背中を叩いた。
「この歓声が恋しくなってさ」
「目立ちたがりは相変わらずね」
三人がにこやかに手を振ってファンに応えていると、柵に仕切られた向こうから
「オクタン! 俺だよ! オクタビオ!!」
と叫びながら、若い男が手を伸ばしてオクタンの腕を掴んだ。
「おっ?」
「やっと会えた」
男はそう言って、掴んだ手に力を込めた。
オクタンは初めて会ったはずの男に、なぜか見覚えがあるような気がした。
「あんたずるいわよ!」
「あたしのオクタンに触んな!」
他のファン達が騒ぎだしたのを見て、ジブラルタルがやんわりとオクタンから男を引き離す。
「すまないな、ブラザー。事故があると危ないんでな、もうすこし下がってくれ」
静かだが威圧感のある声と眼差しに、ファンたちは大人しく引き下がったが、男は恨めしそうな目をジブラルタルに向けていた。
「ありがとうみんな! 気をつけて帰るんだよ!」
ライフラインがその場を取りなすように明るい声で呼び掛けると、再び歓声があがって、和やかな空気が戻ってきた。
「大丈夫か? オクタン」
ファンたちの姿が遠くなった頃、ジブラルタルがオクタンを気遣うように声を掛けた。
「ああ、平気だ。まったく人気者はつれえな」
オクタンは頭をかいた。ライフラインが幼なじみらしく忠告する。
「あんた昔っから、すばしっこい割には隙だらけだから気を付けな」
「ちょっと油断しただけさ」
もしかして、あいつが手紙の主か……?
オクタンは何となく確信を持って、ミラージュの待つパーキングへと向かった。
それからほどなく、2通目の手紙が届いた。