たからもの

アーティファクトの完成までもう少しだというのに、皆の心はバラバラになっていた。
騒動のあと、ミラージュとオクタンの他に、パラダイスラウンジに残っていたのはジブラルタルとコースティックだけだった。
いつまでもオクタンをここに寝せておくわけにもいかないが、ミラージュはバーを開けておかなくてはならない。
どうしたものかと思案していると、ジブラルタルがやって来て、ミラージュの肩を叩いた。
「俺が留守番しててやるから、そいつをふかふかのベッドに連れてってやったらどうだ? ここじゃあ可哀想だ。お前さんも疲れてるだろう?」
ジブラルタルの申し出はとてもありがたかった。
「すまねぇ、恩に着るぜ。飲みたかったら好きに飲んでてくれ。あのおっさんと一緒じゃ、楽しいパーティーってわけにもいかねぇだろうが……」
コースティックが何を思ってここに残っているのかは分からないが、追い出す理由もないので、そのままジブラルタルに任せることにした。
「おっと、忘れ物だ、ブラザー」
ジブラルタルはオクタンに修理していた義足を差し出した。
「あらかた修理は済んでるぜ。俺ができるのはここまでだ。あとは専門家にでも頼んでくれよ」
「グラシアス、ジブ」
「なぁに、いいってことよ!」
別れ際にジブラルタルは言った。
「俺はあいつらを信じてるぜ、ブラザー。きっとみんなここに戻ってくるさ」
外に出るとすっかり夜も更けていた。
時間ぴったりに横付けされた無人タクシーに乗り込んだふたりは、約2日ぶりに家に帰ってくることができた。
「お前はそれじゃ、風呂には入れねぇな。後で俺がきれいにしてやるから……」
包帯まみれのオクタンをベッドに残して、ミラージュはシャワーを浴びに行った。
ハッキング騒動のせいで、ミラージュとゆっくり話をすることもできないまま帰ってきてしまった。
タクシーの中で、ライフラインに宛てたメモのことは説明できたけれど、ミラージュには伝わっただろうか。
ライフラインは自分にとって大事な幼なじみであり、姉であり、妹でもある。
どちらも違う意味で愛していると。
オクタンにとって大切なものは、そう多くはない。
エリオットと、アネキと、APEXゲームと、アドレナリンと、そしてこの足……。
オクタンは、自分と同じく傷ついた義足を抱えて、浅い眠りに落ちていった。

「オクタビオ……起きられるか?」
頬に触れたミラージュの手の感触で、オクタンは目を覚ました。
「薬の時間だぜ?」
「……まさか、シルバ製薬のか?」
「残念だな、どうやらコバヤシ製薬らしいぜ」
とりあえず適当にそう答えたミラージュは、オクタンの体を抱き起こし、顎に手を添えて口を開かせた。
「自分れ飲める……」
その言葉を無視して、ミラージュは白い錠剤をふたつオクタンの舌に乗せると、コップの水を口に含ませて、そのまま口移しにオクタンの唇に流し込んだ。
こくり、と喉が鳴る。
ミラージュはもう一度同じことを繰り返して、オクタンが薬を飲み下したことを確認すると、顔を離した。
「もっと」
オクタンがミラージュの目を見つめたまま、挑発するようにキスをねだった。
ミラージュが抱き寄せてそれに応える。
「まだ、足りねぇ」
唇を重ねるごとに、ふたりのキスはだんだんと熱を帯びていき、息をする間もないほどだったが、オクタンはミラージュを離そうとしなかった。
大きくなる胸の鼓動に共鳴するように、足の傷がズキズキと痛む。
結局、根負けしたのはミラージュの方だった。
「分かったよ、オクタビオ……分かったから、離せ。傷にさわる」
オクタンを柔らかく押し倒すようにベッドに寝かせると、ミラージュは、これでおしまいとばかりに、唇に触れるだけのキスをした。
荒くなった呼吸と痛みが治まった頃、オクタンは満足げな笑みを浮かべて、ミラージュに語りかけた。
「なぁ、エリオット。俺はもし、いま人生の最後が来たとしても、改めてお前に伝える事はないぜ。俺にはそんなの必要ねぇんだ」
その言葉の意味を掴みかねているミラージュを見上げながら、オクタンが続ける。
「なぜなら、いつもこうやって伝えてるからさ。ありがとう愛してるって、毎分、毎秒……俺が生きてる限りずっとだ」
熱烈な愛の告白に、ミラージュは面食らったように固まっていた。真っ直ぐな目に見つめられて、頭がクラクラする。
「だから、俺がどっかへ飛んでいっちまったとしても、悲しむ必要はないんだぜ。いや、なるべく行かないように気を付けるけどさ……」
「……ああ、そうしてくれ」
ミラージュが泣き笑いのような顔をしてオクタンを抱きしめ、おしまいのはずだったキスが、もうひとつ唇に追加された。

数日後、めきめきと回復したオクタンは、ジブラルタルの修理してくれた義足を装着しようと、ソファーの上で悪戦苦闘していた。
回復したといっても、義足なしでは日常生活もままならない。
ミラージュは、どこか嬉しそうに甲斐甲斐しくオクタンの世話を焼いていたが、オクタン本人は退屈で死にそうだった。
「ジブには悪いが、それはもう使い物にならねぇんじゃねぇか? 他にもいくつか持ってんだろ」
リビングに暖かいミルクティーを運んできたミラージュが、渋い顔をしているオクタンに向かって言った。
ソファーに並べられた義足は、かろうじて形は保っているものの所々部品が欠け、フレームも歪んでしまっていて、実用に耐えられる状態ではなかった。
「分かってるさ。でも、俺がジブに頼んだんだ。使えなくてもいいから、できるだけ元に戻してくれってな」
オクタンは二本の義足を拾い上げると、抱きしめるように腕に抱えて唇を付けた。
「……よっぽど愛着があるんだな」
「ああ、そうだぜ。そりゃ、他の奴らにも感謝してるけどよ。俺にとってこいつは、すげぇ特別なもんなんだ」
「ふーん……、お前は幸せな奴だな。ちょっと妬けるぜ」
ミラージュはそう言って微笑み、あの日と同じように、オクタンの抱えている義足を優しく撫でた。

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