whole Lotta Love


 オクタンが運転手に命じた行き先は、カジノでもヨットハーバーでもなく、一見、劇場のような巨大なレストラン・バーだった。
食事や酒と一緒にショーを楽しむ為のステージと、それを取り囲むテーブル席、更には豪華な桟敷席が壁際に設けられていた。
予約をしていないと言うオクタンだったが、ほとんど待たされることもなく、ステージ近くのテーブルに通される。それどころか、席に着くなり、支配人とおぼしき男が挨拶にやってくるという歓迎ぶりだ。
チョビ髭の支配人は、「最近はAPEXゲームでご活躍のようで」と、愛想のいい笑いを浮かべ「この間、お父様がお見えになって、あなたのご活躍を喜んでおいででした」と、嬉しげに両手を揉んだ。
「きっと大金を賭けてたんだろ。俺も親孝行できて良かったぜ」
珍しくミラージュの正面に席を取ったオクタンは、感情の籠らない声で答えた。
「どうぞごゆるりとお楽しみ下さい」
所在なく座っているミラージュに申し訳程度に会釈し、支配人は、貼り付いたような笑みを絶やさないまま退場していった。
「何か食うか?」
ウェイターから、顔が全部隠れてしまうくらいの仰々しいメニューを手渡されたオクタンが尋ねる。
ミラージュは、怪しい魔術のようなショーが行われているステージを見ながら、いや、と首を振った。二人ともゲームが終わった後、シップ内の食堂で夕食は済ませていた。
「じゃあバッカナール、こいつも同じので頼む」
オクタンは、この店の名物だというオリジナルのカクテルとサイドメニューをいくつか注文し、ウェイターにメニューを返した。
レシピが公開されていない幻のカクテルと聞けば、一流バーテンダーを自称するミラージュとしても、黙ってはいられない。
「この世界に、まだ俺の知らない酒があったとはな。ここはひとつ、俺様のたぐまれ……たぐ、類まれなる嗅覚で、レシピを解明してやるか」
「ひとつだけヒントをやろうか? あの中には、オキナンダケのエキスが入ってるんだぜ」
「げ、マジか、嘘だろ?」
「JAJAJA、飲んでみれば分かるさ」
「……あんまり気が進まねえなあ。あれにはいい思い出がないんだ」
そうこうしている間にもプログラムは進んでいき、勇壮なファンファーレとともに、ステージを照らす照明が、ぐるぐると回り始めた。
どうやら今夜のメインイベントが始まるようだ。
観客たちから歓声が沸き起こり、アルビノのプラウラーが、猛獣使いの操る鎖に繋がれて壇上に姿を現す。
自由を奪われて神経質になったプラウラーは、落ち着きなくステージをウロウロと歩き回り、時折鋭い牙をむき出しにして唸り声をあげた。
続いて反対側から登場したのは、全身傷だらけの大男だった。ゆうに二メートルを超えそうな身長と、鎧のような筋肉をまとった男は、巻き舌の司会者によって『命知らずのイモータル』と紹介された。
マイクにかかったエコーが会場に響き渡る中、男は突如として地鳴りのような雄叫びをあげると、目の前で牙をむいているプラウラーに猛然と挑みかかった。
突然始まった異種格闘に、ミラージュは目を丸くして口をあんぐりさせている。
殺気に満ちたプラウラーは、イモータルの体のあちこちに噛みつき、その度に血しぶきがあがったが、イモータルはそれをものともせず、丸太のような腕でプラウラーの首を締め上げた。まるで痛みを感じていないかのような戦いぶりだ。
プラウラーの白い毛皮が、大男の返り血でまたたく間に赤く濡れた。
舞台上で、猛獣対人間の狂った死闘が繰り広げられる中、それを見ている観客たちは、時折歓声を上げたり拍手をしたりしながらディナーを楽しんでいる。
どうやら、この光景を見て驚いているのは、ミラージュだけのようだった。
横目でオクタンの様子を伺うと、面白くもつまらなくもなさそうな顔で舞台を眺めている。
普段はあんなに活き活きと動き、輝いているはずの瞳は、ただ眼の前の光景を写しているだけのガラス玉のようだった。
その表情は、理由もなくミラージュを不安にさせた。
「い、いくらなんでも素手でプラウラーと戦うなんて、イカれ過ぎじゃねぇか?」
「心配ないさ。あいつは今までに76回死んで、同じ数だけ再生を繰り返してるんだ。もし負けたとしても、来週にはピンピンして戦ってるだろ」
オクタンは、イモータルが凶悪な殺人鬼で、一度は捕まって死刑執行されたにも関わらず、このショーのために生き返らされたのだと説明した。
そして、このショーは賭博の対象になっていて、イモータルの生死を巡って巨額の札束が飛び交っているという。
「再生ってのは便利なシステムに違いねえが、やたらに繰り返すと記憶が劣化する。あいつに残ってるのはもう、残虐な性格と、やけくそみてえな闘争本能だけなんだろうな」
ミラージュは言葉を失い、目の前に運ばれてきた酒にも手を付けず、あ然と舞台を見守っていた。
結局、イモータルは77回目の凄惨な死を迎え、ショーはお開きになった。
興奮冷めやらぬ客たちがさんざめくロビーを後に、車止めへと向かう二人の間には、どこか重苦しい空気が漂っている。
「どうだった? ショーは楽しめたか?」
オクタンの問いかけに、ミラージュは思わず眉をひそめた。思い出すのもおぞましい殺戮の光景が、まだ脳裏に焼き付いている。
あわよくば店のメニューに加えようと思っていた幻のカクテルも、レシピを解き明かすどころか、味すら覚えていなかった。
「あんなものを見ながら笑って飯が食えるなんて、悪趣味もいいとこだ」
「……だから言ったろ? ここはそういうとこなんだよ。それに、APEXゲームだって、何百万人もの視聴者が俺たちの殺し合いを見て喜んでるんだ、大して変わりはねえだろ」
ミラージュの表情はますます曇り、なにか考え込むような気配が伺える。
「その様子じゃ、あんまりお気に召さなかったようだな。そんじゃ、気分を変えてパーッといくか」
オクタンはミラージュの手を握り、滑るように横付けされたリムジンに勢い良く乗り込んだ。



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