whole Lotta Love


 未知への期待と不安を感じながら、ミラージュはオクタンに案内され、無事デュオニュソス・リゾートへの入口であるエアポートに降り立った。
通常ならば十時間ほどの航路も、星間ジャンプを使えば一時間足らずで到着できる。豪華な専用シャトルでの旅は快適だった。もちろん、それなりの割増料金を払わなくてはならないが。
広々としたエントランスを見渡せば、デュオニソスでの夜を楽しむ為に着飾った紳士淑女達が、あちこちにたむろしている。
若干、場違いな雰囲気を感じつつ、ミラージュが『オビ・エドラシムのアーティスティックな世界へようこそ』と書かれたポスターを見るでもなく眺めていると、二人の前に黒塗りのリムジンが横付けされた。
白手袋の運転手がドアを開け、無言で乗車を促す。
「これに乗れってか? こんな格好で?」
「いいからいいから」
オクタンに押し込まれ、豪華な客室のような後部座席に収まったミラージュは、ますます居心地の悪さを感じて落ち着きなくあたりを見回した。
隣に座ってふんぞり返っているオクタンは、ミラージュの反応を楽しんでいるかのようにニヤニヤと笑っている。
「初めてか? リラックスしろよ、相棒」
そのまま唇をキスで塞がれ、ゆるりとシートに倒れ込む。
ミラージュは、運転手の存在が気になってキスどころではなかったが、バックミラーにちらりと視線を向けた運転手は、眉ひとつ動かさずに車を発進させた。
次にリムジンが停まったのは、表通りに面した高級セレクトショップの前だった。
半ば引っ張られるようにして店内に連れ込まれたミラージュは、オクタンの見立てであれこれと試着を繰り返し、店を出る頃には、すっかりにわか紳士に仕立て上げられていた。
「うーん、その髪型はどうにもならねぇが、ま、いいか」
ミラージュのくせ毛を後ろに撫でつけようと苦心していたオクタンは、それを諦めて困惑気味の唇にリップ音を立てた。
「これで誰にも田舎者だなんて言わせないぜ」
上質な生地でできたレンガ色のスーツは、既製品とは思えないほどミラージュの体に馴染んでいた。
そういうオクタンも、ダークグリーンのスーツにボウタイと、さっきまでのだらしない服装から、うって変わって上品な装いに変わっている。
値札の付いたままの丸いグラスを鼻に乗せ、当たり前のように店を出ようとするオクタンに、ミラージュは慌てて追いすがった。
「おい、まだ金を払ってねえぞ」
「必要ないさ、今日の支払いはぜんぶ親父だ」
驚いたミラージュは、さり気なくボタンにぶら下がっている値札をめくってみたが、その金額を見て更に目を丸くした。とてもじゃないが、気軽に財布から出せる金額ではない。
「あいつにとっちゃ、毎月銀行口座からどんくらいの金が引き落とされてるかなんて、関心事のうちに入らねえのさ。家にいた頃だって、俺がいくら無駄使いしようが何も言わなかったしな。欲しいもんがあったら何でも買っていいぜ」
そう言われても、ミラージュにはドゥアルド・シルバの金で買いたいものなど思い浮かばない。
オクタンが店員に処分してくれと頼んだ服を返してもらい、後を追って外に出た。
改めて眼前に広がるデュオニソス・リゾートの夜景は、ミラージュが知っているどの街とも似ていなかった。
立ち並ぶ建築物はどれも贅を尽くし、趣向を凝らしたものばかりで、ひとつひとつが巨大な芸術品のようだった。少なくとも、レプリケーターで日々量産されているような、赤と銀のドアはどこにも見当たらない。
ただっ広いメインストリートの両脇には高級ブランドの店舗や劇場、レストラン、ギャラリーなどが軒を連ね、唐突に置かれている奇妙な形のオブジェが目を引いた。
エメラルドブルーに煌めく水柱を噴き上げる噴水池を隔てた対岸には、ライトアップされた超高層ビルの群れが浮かび上がり、合間を縫って行き交う車両から流れるテールランプが光の帯と化している。
上空には、二十世紀からタイムスリップしてきたかのようなツェッペリン型の飛行船が、まばゆいライトを回しながら何隻も浮かんでいた。
ソラスのような辺境で暮らし慣れた目には、まるで異世界に紛れ込んだかのような非日常的な光景だ。
ミラージュの心は否応なく浮き立った。
唯一気がかりなのは、明日もオリンパスで試合があるという事だ。帰りの時間を差し引いて逆算すると、あまり長居はしていられそうもない。
「今夜はひと晩中遊ぶぜ、と言いたいところだが、少なくとも日付けが変わる頃にはシップに戻らねえとな……」
「その心配は無用だぜ。俺様がちゃんとホテルを予約しといたからな。多少寝坊したとしても、こっからオリンパスに直行すれば、ゲーム開始には余裕で間に合う」
オクタンは、端末をひらひらとかざしながら、遠方にひときわ高くそびえ立つ超高層ビルを指差した。
街の明かりをすべて反射してばらまいているようなガラス張りの塔は、ミラージュも名前を知っている超高級ホテルだ。
「デュオニソスで一番高いホテルの最上階だぜ」
ミラージュは思わず感嘆の口笛を鳴らした。
「ヒュー。さすがはオクタビオ・シルバだな。住んでる世界が違うっつうか……」
嫌味ではなく、正直な感想だ。
レジェンドになってずいぶんと生活は潤ったが、ミラージュの金銭感覚は、まだ一般市民のそれだった。
一緒に暮らしていると忘れがちだが、オクタンは、こういった浪費を贅沢とも思わない、特別な世界に生まれた人間なのだと、改めて思う。
「さあて、どっから見て回る? カジノ? クラブ? それともヨットでナイトクルージングでもするか?」
光の街を背に、笑いながら手を差し伸べる盛装のオクタンを、ミラージュは眩しそうに見つめた。
「……俺はなんだか、シンデレラになったような気分だぜ」
「浮かれるのはいいが、靴はちゃんと履いとけよな。おヒゲのシンデレラちゃん」



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