うまくいかない日


最近、ミラージュは調子が悪い。
彼の言葉を借りるなら、「イマイチイケてない」という感じだ。
戦績を見れば、そこそこチャンピオンにもなっているし、稼いだ賞金の額も悪くはない。しかし、ゲームが終了したときに表示されるスタッツを見ると、何か物足りないような気がしてしまうのだ。
キル数よりも、圧倒的にアシストの方が多いのがミラージュの特徴だった。真っ向勝負というよりは、ホログラムで敵の目を欺き、思わぬ場所から攻撃を仕掛ける遊撃手的な戦法を得意としている。
たとえ自分がキルを取れなくても、三人のうちの誰かが取ればいい。味方に合わせて、変幻自在に戦い方を変えられるのが自分の強みだと自負していた。
しかし、そんなミラージュの戦い方を、姑息だという者も少なくなかった。よせばいいものを、試合後に自分の名前をエゴサーチしてみれば、『ミラージュ 弱い』『ミラージュ チキン』『ミラージュ 髪型 変』などといった、自分の期待した賞賛とは程遠いキーワードばかり並んでいる。
今やAPEXゲームはアウトランズ中で大人気の競技であり、レジェンド達はどこに行っても一目置かれる存在だったが、笑顔でファンに愛想を振りまくミラージュの胸中は、どこか報われない気持ちで曇っていた。
それは知らぬ間にプレイにも悪影響を与える。
今日も功を焦るあまり前に出過ぎた結果、集中砲火を浴びてキルされてしまった。
同じ部隊のレイスとジブラルタルが危険を犯してバナーを回収し、リスポーンしてくれたのはいいものの、すでにゲームは終盤を迎えていた。結局、ミラージュはほとんど何もできないまま、チームメイトがチャンピオンになる場面をダウンしながら見ているしかなかった。
ゲーム後、キルリーダーで6000ダメージ超の新記録を叩き出したレイスに記者達が群がる。
だが、レイスは急いでいるからと、素っ気なく虚空に消えてしまった。
「女王様は相変わらずつれねえなあ」
後ろから歩いてきたミラージュが、記者たちに「俺なら何でも答えるぜ?」と冗談交じりに声をかけるが、彼らは興味を失ったようにそそくさと散っていった。
行き場をなくした右手をあげたまま突っ立っているミラージュを、通りすがりのオクタンがからかう。
「あんたはお呼びじゃないようだな、ミラ?」
「ちぇ、なんだよ……どいつもこいつも。このミラージュ様の、つぶ、つぶし……いぶし銀の立ち回りを理解できねえとは、見る目がないぜ」
恨めしげにオクタンを一瞥すると、ミラージュはぶつくさと独り言を言いながら歩き出した。オクタンはゴーグルをクルクルと回しながら、跳ねるようにその後ろを付いていく。
いつもなら聞こえれば心が浮き立つような義足の音も、今日はやけに耳障りに思えてならなかった。
「……なんだよ。俺になんか用か?」
「チャンピオンになったわりには機嫌が悪いな」
「ほっとけ」
ミラージュは絡んでくるオクタンを適当にあしらい歩を早めたが、オクタンはなおも背中に向って話しかけてくる。
「なあ腹減らねえ? なんか食って帰ろうぜ。あ、もちろん、あんたのおごりでな」
「なんでチャンピオンの俺がおごらなきゃならねえんだ。お前が祝ってくれるってんなら分かるが」
「賞金いっぱい貰っただろ?」
ミラージュの返事も聞かず、オクタンは隣で端末を開き、さっそく今日行くべき店を吟味している。
「け、ちゃっかりしてやがる」
毒づいたミラージュだったが、邪気のないオクタンの様子を見ているうちに、すっかり毒気を抜かれてしまった。
このお調子者と過ごすのは、気分転換にはちょうどいい。オクタンとなら、きっと楽しい時間になるだろう。
オクタンへの自分の気持ちを自覚し、受け入れてからというもの、ミラージュの心は不思議と軽くなった。些細な事に一喜一憂していた頃と比べれば、変に気負うことなく自然体でいられる。
どうやらオクタンの方も、ミラージュを気のおけない友人として認識しているらしい。年の差はあれど、それを気にするような柄でもない。
今ではゲームの後にどこかへ出かけるのにも、これといった理由は必要なかった。


シップを降りたミラージュとオクタンは、連れ立ってソラスシティの街へと繰り出した。
大通りに一際目立つ看板を掲げているのは、最近オープンして人気を集めているアメリカンスタイルのレストラン・バーだ。
古い倉庫を改造した開放的な店内には陽気な音楽が流れ、壁のあちこちにはレトロな看板やポスターが貼ってある。カラフルなネオンサインと、ゆるやかに回る天井のファン、安っぽいビニール張りのシートにピンボールやジュークボックスといった遊具が並ぶのを見れば、まるでここだけ二十世紀にタイムスリップしたような雰囲気だ。
二人は案内された壁際のボックス席に、いつものように並んで座った。
ビールで乾杯し、軽食をつまみに会話が弾む。
そのうち程よく酔いが回ったミラージュが、今日の出来事をぼやき始めた。
「分かってんだ。俺の役目は敵を陽動して撹乱すること、そういう役回りなんだってな。でもよ、たまには主役になってスポットライトを浴びたいって気持ち、お前に分かるか、オクタン?」
「俺様は常にスポットライトを浴びてるからな! 見てろ、すぐにレイスの記録だって抜かしてみせるぜ」
「……お前はいつもポジティブだな」
微妙に噛み合っているようないないような会話にミラージュが肩透かしを食らっていると、オクタンは彼の背中を景気づけるようにポンポンと叩いた。
「まあそう落ち込むなって、アミーゴ。あんたが活躍して勝つ日だってあんだろ? あー、年に一回か二回くらいはな」
「いちいちひと言多いんだよ」
「でもさ、俺にチームプレイの大切さを説教したのはあんたなんだぜ? 覚えてるか? あれから俺はちょっとばかり謙虚になったぜ。なんていうか、全体ってもんを考えるようになったんだ。このゲームで大切なのは、三人揃って生きてるってこと、そうだろアミーゴ?」
身振り手振りを交えて力説するオクタンに、ミラージュは思わず目を見張った。
参加したての頃は、自分の事しか考えていないような戦いぶりだったというのに、変われば変わるものだ。
そのきっかけになったのが自分だと聞かされれば、満更悪い気もしない。
しかし、それとこれとはまた別の話で、オクタンと二人きりという気安さもあってか、酔ったミラージュの口からつい本音がこぼれ落ちる。
「……そうは言っても、結局、後に残るのはキル数とかダメージとか、そういう数字だけだろ。どうせ俺のことなんか、誰も見ちゃくれないんだ……」
「あーあーこりゃ重症だな」
オクタンは困ったように頭をかいた。
いつもなら憎たらしいくらいに自信満々で、人を食ったような態度のミラージュが、こんなに素直に落ち込んでいるのは珍しい。
「世の中なんてそんなもんさ。見ようとしなければ、本当の事なんか見えない。まるであんたのホログラムみたいだよな……、でも」
オクタンはそう言ってミラージュの方に向き直った。
「俺はちゃんと見てるぜ」
耳に心地よく響く、いつもより少し低い声。
ミラージュは不意をつかれたように顔を上げ、そのままオクタンの表情に釘付けになってしまった。
柔らかさと力強さを携え、淡く緑色に光る瞳は、逸らされることなく自分を見つめている。
ミラージュはそのまっすぐな瞳から目が離せなくなった。時間が止まり、周りの喧騒が聞こえなくなるくらい心臓がうるさく音を立てる。
せっかく友人として丁度いい距離感を掴みかけていたというのに、この男ときたら、それを無自覚に踏み越えてくるのだから困ったものだ。
……こんなの反則だろ。
オクタンに聞こえないくらいの小声で呟いたミラージュは、彼の言葉を聞き取ろうと首を傾げたオクタンを抱き寄せた。そして、戸惑ったように開きかけた唇に……。
……というのは、残念ながらミラージュの脳内の話だ。
見つめ合った時間がとても長い時間に思えたが、実際にそれは数秒間の出来事で、オクタンはすぐにこう続けたのだった。
「俺だけじゃねえ、一緒に戦ってる奴らだってきっと分かってるさ。……お前の家族とか、友達とかもな」
友達、という言葉で現実に返ったミラージュは、あやうく事故るところだったと胸をなでおろし、改めてオクタンの方を見やった。
「そうだな、それで……じゅうぶんだ」
ミラージュが噛みしめるように穏やかな声で答えると、オクタンは満足そうに笑って頷いた。
それをきっかけに、二人の会話はいつものペースに戻っていった。
適度なアルコールとオクタンの笑い声が幸福物質へと変化し、ミラージュの脳内をふわふわと漂う。
胸につかえていたわだかまりも、どこかへ飛んでいってしまったようだ。
誰かの言葉ひとつで、こんなにも晴れやかな気分になれるなんて、子供のとき以来だとミラージュは思った。
同時に、自分の中でオクタンという存在が、ますます大きなものになっていくのを感じていた。
そんなミラージュの慌ただしい胸の内に気付く気配もなく、ビールを片手にポテトをかじっているオクタンの興味は、すでに次の話題に移っていた。
「そういやさ、バンガロールがよく言ってる、“犬にルイス”ってどういう意味なんだ?」


翌日、ミラージュが目を覚ますと、端末に二通のメールが届いていた。
一通は、昨日のミラージュの試合を見た母からの、厳しくも暖かい叱咤激励のメッセージだった。
そしてもう一通はオクタンから。
「良かったな」という素っ気ないひと言と共に、なんとなく見覚えのあるURLが添えられていた。訝しく思いながらも、そのページを開いたミラージュの口元に笑みが広がっていく。
そこには、APEXゲームの公式サイトに寄せられたレイスのコメントが載っていた。


『記録を残せたのは名誉なことだけれど、自分ひとりの力ではなし得なかったと思う。チームメイトのミラージュとジブラルタルに感謝するわ。これは、私の、ではなく、私たちの記録よ』 レネイ・ブラジー



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