きらきら


ミラージュがやられた……。

リングも縮まってきたゲーム終盤、視界の端に飛び込んできたキルログを見たオクタンは、マスクの下で小さく舌を鳴らした。
今日はどうやって倒してやろうかと楽しみにしていたというのに、不甲斐ない奴だ。
オクタンとミラージュはここ最近、相対したときに勝ったほうが食事を奢るという賭けをしていた。
オクタンがAPEXゲームに参加してからの対戦成績は、今のところ五分と五分。
ミラージュは自分の方が勝っていると主張しているが、それはあくまで主観的なもので、最初の頃こそ彼のデコイに手を焼いてやられっぱなしだったオクタンも、最近では成長著しく巻き返しを図っている。
それならどっちが上か決めようぜと言い出したのはオクタンだった。
年下の新入りには負けられないとばかりに、ミラージュも二つ返事で賭けに乗る。
そんな二人を見たライフラインは「あんたら子供みたい」と呆れていたが、実際、年上の多いレジェンドの中で、オクタンのお遊びに付き合ってくれるのはミラージュくらいのものだった。
羽目を外しすぎた彼らがバンガロールの逆鱗に触れる、なんてこともしばしばだ。
――今日の夕めしをどうするか考えなきゃな……。
オクタンはぼんやりと考えた。
当然自分が勝ち、夕食はミラージュが作ってくれるものだと思っていたのに宛が外れた。
彼はオクタンに外で食事を奢るより、自分で作った料理を振る舞う方を好んでいた。
ある時はミラージュの家で、またある時はオクタンの家で、軽快なお喋りとともに披露されるレシピはどれも絶品で、その上、食後には飲み放題のバーカウンターが付いてくるとなれば文句はなかった。
そんな美味しい賭けの相手がリタイアとは、チャンピオンになる楽しみが半減したような気がしたが、いざ最終リングになるとそんな気分も吹っ飛び、オクタンはいつものように雄叫びをあげながら興奮剤を片手に突っ走っていった。


ゲームが終わり、ドロップシップに戻ったオクタンは、帰り支度もそこそこに、ミラージュをからかってやろうと彼の姿を探した。
だがミラージュは自分のスペースにはおらず、フロアの真ん中のソファーでレイスと話をしていた。
ゲームの反省会でもしているのかと、仕方なく自分の陣地ヘ移動する。
暇つぶしにゲームでもしようとモニターを立ち上げるが、しばらくすると、隣から漂ってくるの薬品の匂いが鼻をつき、オクタンは思わず顔をしかめた。
レジェンドには各自に固有のスペースが設けられているものの、完全な個室というわけではなく、簡素な仕切りで区切られただけの開け放しに近いものだった。
移動中のシップで快適に過ごすため、それぞれが好みのアイテムを持ち込んでいる。そこを覗けば、少なからず持ち主の趣味が分かるというものだ。
オクタンの隣人であるコースティックは、怪しげな実験道具や薬品をいくつも並べ、シップ内でも研究に余念がなかった。
何とも形容しがたい悪臭に業を煮やしたオクタンは、コントローラーをぶん投げ、コースティックのところに乗り込んだ。
「おい、ガスのおっさん! 近所迷惑だぜ!」
「ああ、済まなかったな。少しばかり調合を間違えたようだ」
怒鳴り込んできたオクタンに向かって、コースティックは大して申し訳なくもなさそうに言った。
「ったく、勘弁してくれよな。あんたにはガスマスクがあるかもしれねぇが、あいにく俺は今すっぴんなんだ。くそ、鼻がひん曲がっちまうくらいひどい匂いだぜ」
「心配するな。この程度なら、特に人体に影響はない。しかし、お前はある程度、化学薬品というものに耐性があると思っていたのだが……」
「ハァ? どうゆうことだ? とにかく、実験なら自分ちでやってくれ」
「オクタンの言うとおりだ」
言い争う二人の間に入ってきたのは、カラスを連れたもう一人の隣人だった。
「私からも言わせてもらおう。事を荒立てまいと今まで我慢していたが、今日はいささか度が過ぎているようだ。そなたのガスはアルトゥルも不快だと言っている。彼は私達よりも小さきもの、健康に害がないとも限らない」
「そうだそうだ」
「カアカア」
両隣からの苦情に、さすがのコースティックも渋々と装置を止めて、おとなしく学術書らしきものを読み始めた。
それを見届けたオクタンとブラッドハウンドも、再び自分のスペースへと戻っていく。
何気なく中央へ目をやると、ミラージュとレイスはまだ熱心に何かを話し合っていた。
心なしか距離が近いような気もする。
オクタンは、自分の存在に気付きもしないミラージュに苛立ちを感じながら、ゲーミングチェアに乱暴に腰を下ろすと、義足を机の上に乗せた。
――レイスはミラージュと友達だって言ってた。
平静を保とうと心の中で繰り返してみても、すぐにもう一人の自分が反論してくる。
――でもミラージュは? 
ミラージュがレイスを好きだとしても何もおかしくない。二人は年齢も近く、APEXゲームが始まったときから一緒に戦っている。ミラージュが彼女を信頼し、レネイと呼ぶことも知っていた。
それに、『自分が戦うのは女のため』というインタビューにもある通り、かねてから女好きを公言しているミラージュの事だ、それがレイスでなかったとしても、男である自分は、はなから選択肢にすら入っていない……。
オクタンはコントローラーを握りしめて、ブンブンと頭を振った。
――こんなのはおかしい。これじゃ、まるで俺がミラージュを好きみたいじゃねぇか。
ガスの匂いが消えたにもかかわらず、オクタンはバッグの中からゴーグルとマスクを引っ張り出した。
最近ではゲームの後に素顔で過ごす事も珍しくはないが、今は自分の考えていることが全部顔に書いてあるような気がして落ち着かなかった。
誰かのことが気になって仕方ない、などというのはオクタンにとって初めての経験で、この得体の知れない感情にどう対処していいのか分からない。
ただ、無性に不安になる。
そしてまた、無意識にミラージュの姿を追っている自分に気付くのだ。


ゲームに集中できないオクタンが淡白なゲームオーバーを繰り返しているうちに、ドロップシップはようやくソラスシティへと帰還した。
船内に詰め込まれていた参加者たちが、次々と船を降りていく。
オクタンは大きく伸びをして、縮こまってしまった身体に血を巡らせた。
――今夜は久しぶりに昔の仲間でも集めて騒ぐかな……。
端末を片手に、シップと地面を繋ぐスローブを下りていく。たぶん、彼が一声かければ、あっという間にクラブが貸し切りになるくらいの人が集まるだろう。
だが、不思議なことに、そのアイデアは少しもオクタンをワクワクさせてはくれなかった。
「よお、オクトレイン」
急に呼び止められて振り返ると、通り過ぎた昇降口の影に、やけに愛想の良い笑みを浮かべたミラージュが立っていた。
「なんだ、俺のことは無視か? 寂しいねぇ」
「……悪い、気が付かなかった」
思いがけないミラージュの登場に動揺したオクタンは、気の利いたことも言えず、素で答えた。
わざわざ自分を待っていてくれたのかと嬉しい反面、今日の賭けは成立しなかったはずなのにと不思議に思う。
ミラージュは、立ち止まったオクタンの元に軽い足取りで歩み寄り、少し上から彼を見下ろした。
発達した胸筋を強調するようなシンプルなシャツに、ブルージーンズとゴツめのワークブーツがよく似合っている。
額にかかる縮れた前髪の下の瞳は、何かいたずらを企んでいる子供のようにキラキラと輝いていた。
「手を出してみな?」
突然そう言われ、訝しく思いながらも言われた通り手を出す。
「なんかくれんのか?」
オクタンが首を傾げると、ミラージュは思わせぶりに笑いながら、
「いいから目をつぶって、俺がいいって言うまで開けんなよ?」
と白い歯を見せた。
「おっと、ゴーグルをしてるからって、ズルはナシだぜ? ちゃんと閉じてろよな」
「……分かったよ」
オクタンは律儀に固く目を閉じた。すぐ側にミラージュの気配がする。
――何だかキスする前みたいだな……。
そんな風に思った途端、胸が勝手に早鐘を打ち、顔が熱くなってくる。
差し出した右手が震えていやしないかと心配していると、ミラージュの手がオクタンの手をそっと支え、手のひらの上に何かを乗せた。
そして、その小さくて固い物体を、自分の両手で包むようにオクタンに握らせた。
「オープンセサミー!」
ミラージュがおどけた声で呪文を唱え、オクタンは催眠術から解けたように目を開けた。
恐る恐る開いた右手の中には、ピーナッツのような形をした小さな人形が入っている。目を凝らしてみれば、それは黄色いジャンプスーツを着たミラージュの姿を形どっていた。どこか見るものを馬鹿にしたようなふてぶてしい笑い顔が、ミラージュの特徴を捉えている。
オクタンは思わず、
「なんだこれ」
と口走った。
さっきまでのドキドキ感は一体なんだったのか、勿体をつけた割にはショボくねぇか……というのが、偽らざる本音だ。
オクタンの微妙な反応に気が付いているのかいないのか、ミラージュは得意気に話し出した。
「これは今度新しく実装される予定のガンチャームさ。銃に付けるアクセサリーっつうか、まあ、幸運のお守りみたいなもんだ。その様子じゃ、お前んとこには話が行ってねぇようだな。ま、物事には順序ってもんがある。人気者からグッズ化されるのは当然の事だしな。どうだ? なかなかチャーミングだろ? チャームだけに、なんてな」
「……なんかムカつく顔してるな」
オクタンは、目の前のミラージュと手の中のミラージュを交互に見比べて、ぼそりと呟いた。
ミラージュの眉がぴくりと持ち上がる。
「ん? 何だって? 俺がデザイナーと年みつ……いや、めん……綿密に相談を重ねて、やっと完成した試作品だぞ? 可愛くないはずがあるか。言っとくが、これはこの世に五個しか存在しない、超レアな代物なんだ。特別な奴にしかやらないんだぜ? 俺と母さんと……」
そこでミラージュは不自然に言葉を切った。
オクタンは首を傾けて彼の顔を見つめている。
「ま、まあ、あれだ、お前は今のところ、俺の一番の友人って言ってやってもいい、このミラージュ様が認めたライバルでもあるしな。別にいらねぇなら返してくれてもいいぜ?」
ミラージュはオクタンと目を合わせず、あさっての方向を向きながら早口でまくし立てた。
マスクの下で、オクタンの口角がみるみると上がっていく。もちろん、ミラージュがそれに気付くはずもない。
「しようがねぇな、じゃあ貰っといてやるぜ。お前は友達が少ないしな」
オクタンは、能天気な笑顔をしたミラージュのチャームを、無造作にパーカーのポケットに突っ込んだ。
ぞんざいな扱いに、ミラージュがオクタンの額を指でつつく。
「おい、もっと大事にしろよ。それは非売品なんだからな? 失くすんじゃねえぞ?」
「大丈夫さ、俺のポッケに穴が開いてなけりゃな」
ミラージュは疑わしげに自分の髭を撫でながら、先に歩き出したオクタンの後を追った。
カシャカシャと機嫌のよい音を立てていた義足が思い出したように立ち止まって、ミラージュを振り返る。
「それはそうと、俺のライバルを名乗るなら、もうちょい頑張れよな、ミラージュ。あれじゃ賭けにもなりゃしねぇ」
「そう言うなって。今日はちょっと腹の調子が悪かったんだよ。たまにはそんな日もあるだろ」
「いいや、俺様は常に絶好調だぜ」
「腹がかぁ?」
「どっちもだ」
好き勝手なことを言い合いながら並んで歩く。
日の暮れかかったコンクリートの歩道に、二人の影が細長く伸びた。
残りのチャームが誰に渡るのか、それともミラージュの手の中に残されたままなのか、気にならないと言ったら嘘になる。
けれど、今はただ、このままミラージュの車でドライブして、美味しい夕食を共にするだけで満足だと、オクタンは思った。
だって、賭けなど関係なしに、二人は始めからそう決まっていたかのように駐車場に向かっているのだから。
オクタンはポケットに手を入れ、特別なチャームの存在を確かめると、こみ上げてくる笑いを抑えきれずにくふふと笑った。


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